『大聖堂』全3冊に続けて続編全3冊も読むはめになったワケ2016年02月29日

『大聖堂(上)(中)(下)』(ケン・フォレット/矢野浩三郎訳/ソフトバンク文庫)、『大聖堂 ― 果てしなき世界(上)(中)(下)』(ケン・フォレット/戸田裕之訳/ソフトバンク文庫)
◎読書人・児玉清氏に誘われて

 『大聖堂』という小説を購入したのは、故・児玉清氏のテレビでのトークを観たのがきっかけだから5年以上前だ。海外小説を原書で読む児玉清氏は、ハードカバーで1,000ページ近いこの小説を読んでいる途中で海外旅行に行くことになり、本書を持参しようとしたが、かさばるので断念したそうだ。ところが旅行中にも小説の続きが気になってしかたないので、旅先の書店で本書を購入し、続きを読んだそうだ。

 あの坦々とした調子でそんなエピソードを語る児玉清氏の姿を観て、そんなに面白い小説なら読んでみたいと思った。ネット書店で調べると翻訳は文庫版全3冊で出ていたので、それを注文した。届いた3冊の文庫本はどれも600ページほどの厚さで、かなりのボリュームだ。カバーの紹介文で大聖堂を建築する物語だとの見当はついたが、厚さに圧倒され、これは気合を入れて取り組まねばならない本だと判断し、とりあえずは未読本の棚に積み上げた。著者のケン・フォレットは私には未知の作家だった。

◎読み出したらやめられないが----

 そのまま数年が経過し、先日、ふとした気まぐれから『大聖堂(上)』を読み始めた。これが、じつに面白い。読む前は晦渋で重厚な中世の建築ウンチク物語を予想していたのだが、そうではなかった。波乱万丈ハラハラドキドキの壮大な物語で、すぐにその世界に引きずり込まれてしまった。児玉清氏が旅先で続きを読みたくて本書を購入したのも納得できる。

 そんなわけで、かなりのスピードで『大聖堂(上)』を読了し、『大聖堂(中)』に移った。それを読んでいる途中でちょっと気になることがあり、三冊目の下巻を手にした。そして、私は重大なミスを犯したことに気づき愕然とした。

 私が手にしている三冊目の文庫本は、いま私が読んでいる『大聖堂(中)』の続きである『大聖堂(下)』ではなく、『大聖堂』の続編『大聖堂 ― 果てしなき世界』の下巻だったのだ。『大聖堂(下)』と間違えて『大聖堂 ― 果てしなき世界(下)』を購入していたのだ。

 下巻にだけ「果てしなき世界」というサブタイトルがあることには当初から気づいていたが、本書を購入する時には『大聖堂』に続編があるなどとは知らなかったので、何の疑いも抱かなかった。最終巻にのみサブタイトルを付ける趣向なのだろうと思っていたのだ。

◎間違えて購入した「(下)」をゲット

 何はともあれ、読み出したらやめられない面白本の下巻がないというのは重大問題である。早急に『大聖堂(下)』を入手しなければならない。5年以上前に購入した本なの多少の不安があったが、ネット書店で在庫を確認し安心した。『大聖堂(下)』を注文するのは当然だが、それだけでは続編の(下)が宙に浮いてしまう。続編を読むか否かは本編を読み終えて判断するべきだが、行きがかり上しかたないと考え、続編の(上)(中)も同時に注文した。

 ありがたいことに注文の翌日には手元に本が届き、『大聖堂(中)』を読み終えてすぐに『大聖堂(下)』に取り組めた。この手の小説は後半になるほど盛り上がり、息もつかせぬ展開になるので、購入ミスがあったにもかかわらず中断せずに波乱万丈の物語を読了できたのは幸いだった。

 購入ミスに気づかずに下巻に突入していたらと思うとゾッとする。登場人物や時代背景が急に転換するのだから、かなり違和感を抱くはずだ。別の小説だと気づかず最後まで読むことはなかろうが、どの時点で気づくかはわからない。ミスに気づき、ハラハラドキドキしながら読んできた物語の先がすぐには読めないとわかった時、児玉清氏の海外での気分を切実に推測できたとは思う。また、続編を読みたいと思っても、(下)の冒頭部分の記憶を頭から消すのは至難だから興をそがれるのは間違いない。

◎日本語のタイトルに難あり

 購入ミスは私の責任だが、翻訳版のタイトルにも問題がある。『大聖堂』の原題は『The Pillars of the Erth』で、『大聖堂 ― 果てしなき世界』の原題は『World without End』である。後者が前者の続編なのは確かだが、原題のタイトルはまったく異なっている。

 本編に『大聖堂』という日本語タイトルを付けるのは悪くはないが、続編の『大聖堂 ― 果てしなき世界』が問題だ。サブタイトルだけで区別するのでは紛らわしい。せめて『続・大聖堂 ― 果てしなき世界』か『果てしなき世界 ― 続・大聖堂』とでもしてくれれば、私のような間違いは防げるだろう。

 ただし、続編はそれ自体で独立した物語で、本編を読んでいなくても十分に楽しめるので、営業的には『続・大聖堂』は好ましくないかもしれない。そもそも「大聖堂」というタイトルは続編の内容を反映しているとは言い難いのだ。

◎続編より本編の方が面白い

 そんなわけで『大聖堂(上)(中)(下)』(ケン・フォレット/矢野浩三郎訳/ソフトバンク文庫)、『大聖堂 ― 果てしなき世界(上)(中)(下)』(ケン・フォレット/戸田裕之訳/ソフトバンク文庫)を続けて読んで寝不足になった。長大な小説をノンストップのアクション映画を観るような気分で一気読みしたのでフラフラである。もう60代後半なのだから、睡眠時間を削るような読書時間を排除し、ゆったりとした読書時間を過ごすべきだと思う。

 『大聖堂』の舞台はイギリス中世、1123年から1174年までの約50年間の物語である。大聖堂建築を基調に波乱万丈のさまざまな出来事が展開していく。その過程でばらまかれたあれこれの伏線が最終的に収拾されていくのも心地よい。

 『大聖堂 ― 果てしなき世界』の地理的舞台は『大聖堂』と同じで、時代は1327年から1361年までの34年間、『大聖堂』の約200年後で英仏百年戦争の時代の物語だ。主な登場人物は『大聖堂』の登場人物の末裔たちで、基調は大聖堂建築ではなく黒死病(ペスト)である。少年少女たちが中年になるまでの群衆劇の趣きもあり、波乱万丈的な物語の面白さは本編に劣る。だが、続編の方が中世の社会の猥雑さが迫真的になっている。

 本編、続編に共通している面白さは、修道院という世界の精神性と俗物性、職人たちの技術(建築・医学)、商人たちの経済などが絡み合う世界を巧みに描き出している点にある。

◎フィクションと歴史の実相

 本書を読むまでこの小説の舞台となったイギリスの中世には不案内だった。そもそもヨーロッパの中世にあまり関心がなかった。だが、この物語世界に引きずりこまれ、主人公たちの人生を疑似体験することで、中世の社会のあれやこれやに触れた気分になり、この時代への興味がわいてきた。この壮大なフィクションに描かれた猥雑な世界が歴史の実相をどの程度まで反映しているのか知りたくなる。と言っても、歴史の本を読んで容易に確認できることではない。不可知なことだとはわかっているが――

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