山田方谷ゆかりの地を歩く(1) --- 刑部の方谷記念館2016年02月14日

方谷記念館、刑部駅
◎山田方谷ゆかりの地は三カ所

 岡山県新見市にある父母の墓参りに行くのを機に山田方谷ゆかりの地を訪ねることにした。

 山田方谷は備中松山藩の藩政改革に活躍した幕末の陽明学者で、JR伯備線には「方谷(ほうこく)」という駅がある。人名が駅名になったのは異例だそうだ。小学生の頃、私は夏休みのたびに祖父母の住む新見へ伯備線で行っていた。だから「方谷」という駅名は子供の頃から耳になじんでいた。しかし、方谷が地名ではなく人名だと知ったのは約10年前、50代後半になってからだ。

 その頃、司馬遼太郎の『峠』に山田方谷が登場すると知り、この小説を読んだ。それ以来、山田方谷についてもう少し知りたいと思いつつ月日が過ぎた。今回、久々に岡山へ行くのをきっかけに、山田方谷に関する本を何冊か読み、『おかやま歴史の旅百選』というガイドブックで山田方谷ゆかりの地を調べた。そこに紹介されている「ゆかりの地」は次の三つだ。

 ・備中松山城(JR伯備線備中高梁駅から車15分下車徒歩20分)
 ・方谷園(JR伯備線方谷駅から車10分)
 ・方谷庵・方谷記念館(JR姫新線刑部駅から徒歩15分)

 この三つはかなり離れた位置にある。ドライブ旅行ではなく汽車の旅でこれらを巡るのは大変そうだが、2泊3日の旅行で墓参りの他にこの三つのすべてに行くことにした。

◎山村にたたずむ山田方谷記念館

 最初に訪ねたのは姫新線の刑部(おさかべ)駅から徒歩15分の方谷記念館である。ネットに月火休館とあり、訪問予定日は水曜日なので大丈夫だとは思ったが、念のために事前に電話で確認した。「休館は月曜と火曜ですが、事前に連絡いただければ、休館日でもなるべく開けるようにしています」という親切な対応だった。

 姫新線は姫路と新見をつなぐ鉄道で、刑部は新見の三つ手前の駅だが、姫路から新見まで行く列車はない。新幹線で岡山まで行き、津山線で津山まで行って一泊、津山発新見行きの姫新線に乗り、刑部駅で途中下車した。11時22分に下車し、次の14時2分に乗車した。1日8本のローカル線なので、乗り遅れると次は17時17分になってしまう。

 刑部駅は無人駅で、駅の周辺に店などはない。人通りのない道を約15分歩き、方谷記念館にたどり着いた。私の他に客はいないだろうと思っていたが、記念館の前に三重ナンバーの車が止まっていて、4人の先客がいた。先客は私と入れ違いで出て行ったので、一人でゆっくり見学できた。

 管理人らしき老夫婦がいて、まず最初にビデオ上映があり、お茶とお菓子が出た。2本立てのそこそこに長いビデオだったので、それを観ながら持参したコンビニ握り飯で昼食をとった。ビデオの後、管理人らしき亭主の展示説明もあり、いろいろお話しもできた。

 その亭主は元JR職員だそうだ。「私はJRに長い間勤めていましたが、方谷駅が人名だと知ったのは60歳を過ぎてからです。地元に立派な人がいたんですねえ」と語るのが、私と似たような体験なので面白かった。

 この記念館のオープンは12年前の2004年で、当初の来館者は年間数百人だったが、最近は増加して年間千人を超えたとのことだ。ということは1日平均5人前後か。のんびり見学できるのは間違いない。

◎方谷山田先生遺蹟碑の見学は断念

 記念館の少し先に方谷庵があり、それは外から見学した。刑部には方谷山田先生遺蹟碑というオベリスクもある。勝海舟が題字を揮毫した石碑で、これも記念館の近所にあるのだろうと思っていたが、駅の反対側のかなり遠い所にある。そこにも行こうと思っていたが、のんびりし過ぎて時間がなくなった。徒歩でオベリスクを目指したがなかなかたどり着かず、汽車の時刻が気になり途中で引き返した。乗り過ごすと次の汽車まで3時間以上待つことになってしまうのだ。

山田方谷ゆかりの地を歩く(2) --- 高梁市中井の方谷園2016年02月14日

山田方谷の墓、方谷園、方谷駅
◎車でしか行けない方谷園

 方谷園は山田方谷が生まれた高梁市中井西方にあり、方谷の墓も園内にある。最寄り駅は伯備線の方谷駅で、そこから車で10分かかる。周辺には何もない無人駅で、もちろんタクシー乗り場などない。

 方谷園に行くとすれば、新見駅か備中高梁駅からタクシーで行くしかなさそうだ。かなりの費用になりそうだが、エイヤと決断し、新見からタクシーで往復することにした。事前に東京からタクシー会社に電話した。「方谷園」と言えばすぐ通じると思っていたが、なかなか伝わらない。ガイドブックにある住所を言って何とか伝わった。地元で山田方谷を知らない人は少ないが方谷園はあまり一般的でないようだ。

 さらに驚いたことに、方谷駅から方谷園のある高梁市中井までの道路は通行止めなっていて、すぐに復旧する見込みはないそうだ。多少大回りになるが別ルートで行けるとのことなので、タクシーを予約した。

◎方谷園は閑静な墓地だった

 途中下車した刑部駅から姫新線に乗り新見駅に到着したのが14時26分、駅前には予約したタクシーが待っていた。方谷園までは約50分、途中かなり細い山道を登って行った。山奥の日影の道端には残雪もある。年配の運転手も方谷園へ行くのは初めてのようで、途中2回ほど車を止めて地元の人にルートを確認していた。

 方谷園は川沿いの山裾にある山田家の墓地で、その前方に小さな庭園が作られている。閑静でひなびた場所で、浮世から隔離された心地良いひとときを過ごした。

◎方谷資料展示室も見学

 方谷園の近所の中井地域市民センターという施設の中には方谷資料展示室がある。入口にたたずんでいると、どこからか職員の女性が現れ展示室の照明を点けてくれた。親切にも「説明員を呼べますが…」と言ってくれたが、時間の余裕もないのでそれは断わった。方谷の筆跡やパネル展示などを一通り眺めて、タクシーで新見へ戻った。見学時間を含めて往復で約2時間、タクシー代は16,000円ほどだった。

◎方谷駅は車窓から眺めるだけ

 タクシーで方谷園へ往復しようと決意した時、方谷駅で途中下車して周辺を散策したいと思った。かつて山田方谷が居住していた場所が方谷駅のあたりなのだ。方谷駅経由のルートが通行止めだったため、その散策の目論見はかなわなかった。で、翌日、新見から備中高梁へ行く途中に車中から駅の看板を撮影した。小学生時代から知っている駅だが、その時から現在に至るまでいつも通過するだけだ。いつか、下車してみたい。

山田方谷ゆかりの地を歩く(3) --- 備中松山城2016年02月14日

備中松山城、方谷ゆべし、山田方谷を大河ドラマにする署名簿
◎天空の城・松山城に登城

 方谷記念館と方谷園を訪れた翌日の帰京日、備中高梁駅で途中下車し、備中松山城に行った。城の登り口までは事前予約制の乗合タクシー(往復860円)を利用した。車を降りてから徒歩20分と聞いていたが、この20分の登山はかなりきつかった。寒い冬の日だが、汗だくになり途中でコートを脱いだ。

 備中松山城は現存天守12城の一つで天空の城としても有名な観光地だ。訪問者もそこそこに多い。とは言え、20分の登山をしなければたどり着けない場所なので、人がひしめきあう状態ではなく、ほどよい混み具合だ。天守閣のある山頂から見下ろす高梁川沿いの城下町の景観もすばらしい。

◎昔の藩士たちはこの山道を毎日登ったのか?

 それにしても、山田方谷ら備中松山藩の藩士たちはこの山道を毎日登り下りしていたのだろうかと疑問に思った。足腰の鍛錬にはなりそうだが、現代の満員電車での通勤以上に消耗するようにも思える。その疑問は帰京の新幹線車中での読書で解消した。山田方谷記念館で買った本の中に「江戸時代とはいえ、毎日山の頂上までは登っていなかった。天守閣に行くのは祭事など特別な場合のみである」という記述があった。藩主が日常的に住んでいたのは平地の御殿で、藩政はそこで行われていたそうだ。

◎山田方谷は大河ドラマになるか?

 備中松山城内の展示室に、山田方谷をNHK大河ドラマへという運動の署名簿があった。この運動があることは数年前から知っていた。百万人署名を目指しているらしい。方谷園まで往復してもらったタクシーの運転手は「山田方谷を大河ドラマにしようという運動がありましたが、戦闘シーンがないのでダメになったんです」と過去形で語っていたが、まだ、署名運動は続いているようだ。山田方谷を主人公にした大河ドラマが成り立つか否か、かなりビミョーだ。私は大河ドラマのファンではないが、じっくり検討してみるのも面白そうだ。

◎土産は方谷ゆべし

 乗合タクシーの乗降場である駅前観光案内所で「備中国銘菓 方谷ゆべし」という土産を売っていたので、迷わず購入した。山田方谷関連の書籍を読んでいて、方谷が藩政改革の一環としてゆべし作りを奨励したという記述が印象に残っていたからだ。ゆべし作りがどれほどの産業規模だったかは知らないが、方谷が実施した大規模な財政再建に占めるゆべしのウエイトがさほど大きかったとは思えない。ゆべしの話が言い伝えられているのは、単に方谷がゆべしを好きだったのではなかろうかと勝手に想像してしまったのだ。私はゆべしが好きなので「方谷ゆべし」という表記を見てすぐに手が伸びた。