『マンガホニャララ』『ゲゲゲ、レレレ、ららら』でマンガを考えた2010年10月21日

『マンガホニャララ』(ブルボン小林/文藝春秋)、『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』(水木悦子、赤塚りえ子、手塚るみ子/文藝春秋)
 私たち団塊世代は、大人がマンガを読むことに抵抗がない世代の始まりだった、と思う。子供の頃からマンガに魅了され、大学生になると「大学生がマンガを読むとは……」と非難されながらも、そんなことは意に介さずマンガを読み続けた。私たちの世代が育ってきた時代が、日本マンガの表現力が発展していく時代と重なっていて、「マンガを卒業する」という考えがなくなってきたのだと思う。
 小学生の頃には『赤胴鈴之助』『鉄人28号』『鉄腕アトム』『まぼろし探偵』などに夢中になり、高校生の頃には『おそ松くん』に笑いころげた。大学生の頃には『あしたのジョー』や『巨人の星』を連載で読み、『忍者武芸帖』をコミック版で読んだ……などと、懐かしい作品名をあげるとキリがない。

 とは言っても、最近はあまりマンガを読まなくなった。ブルボン小林の『マンガホニャララ』は、最近数年の雑誌に掲載された「マンガ評」の集成で、数十の作品が紹介されている。大半が私が読んだことがないマンガだ。29歳の倅は「ほとんどが読んだことがある」と言っていた。マンガに限らず、小説や映画などでも、年齢を重ねてくると若い人々の好む世界からはズレてくるのだろう。

 知らないマンガの話が多いにもかかわらず『マンガホニャララ』を読んだのは、近頃のマンガの様子を垣間見たいと思ったからだ。本体を読んでいなくても、このマンガ評はそれだけで面白く読むことができたし、マンガの表現する世界の広がりを感じることもできた。マンガ評だけを読んで本体の内容を想像してみるのも楽しい。

 著者が大学生の頃「大人が電車の中で少年ジャンプを読む幼稚な時代」と新聞で揶揄された、という話にはニヤリとしてしまった。著者のブルボン小林(長嶋有)は1972年生まれ、私より二回り若い。私の倅の世代である。彼らを揶揄したのは私と同世代の記者かもしれない。マンガが大人の読み物として市民権を得た時代でも、『少年ジャンプ』を読む大人を揶揄したくなる気分はわからなくはない。「近頃の若者は……」という慨嘆が古代から綿々とくり返されているのと同じことなのだ。

 『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』は、水木しげる、赤塚不二夫、手塚治虫の娘たちの座談録で、こちらは『マンガホニャララ』と違って、よく知っているマンガ家たちの話である。だから、つい引き込まれてしまう。

 この本、タイトルが秀逸である。「ゲゲゲ」「レレレ」「ららら」と並べるだけで誰のことかわかってしまうのが素敵だ。
 しかも、この三音で表現された三人のマンガ家が、異論をはさむ余地のない三大マンガ家なのが奇跡のようだ。私の世代に好きなマンガ家を聞いて回れば、きっとこの三人が上位三人になるだろう。さらに、この三大マンガ家の作品世界が見事にまったく異なっているのも興味深い。

 私自身、自分に最も影響力のあったマンガ家を尋ねられれば、この三人を上位にあげるだろう。ただし、三者三様なので順位はつけ難い。

 手塚治虫は小学生の頃からアイドルだった。そして、私たちが中学生、高校生、大学生、社会人へと成長していくのに並走するように、手塚治虫の作品も変貌・発展してきた。だから、手塚治虫の読者であることは持続してきた。彼が天才的マンガ家であることはよくわかっていたが、時代に並走する作家の姿にある種の息苦しさを感じることもあった。

 赤塚不二夫の「シェー」が一世を風靡したのは私たちが高校生の頃だ。あの頃は「赤塚不二夫がサイコー」と思っていた。マンガに批判的だった教師に、無理矢理『おそ松くん』を進呈して読ませたこともあった。昨年は銀座松屋の「赤塚不二夫展」にも足を運んだ。

 水木しげるの世界に触れるようになったのは高校の終わりか大学の始めの頃だった。特異な画風とととぼけた会話で織りなされる水木ワールドからは、多大な影響を受けてしまったようだ。大学生の頃に書いた小説のような文章を、ある助教授(文芸評論家)から「水木しげる的」と指摘され、あらためてその影響を自覚したこともあった。

 この三大マンガ家の娘たちの座談会、いろいろなエピソードが紹介されていて面白い。結局のところ、三人とも何らかの意味で父親の業績を受け継いでいこうとしているのは、父親の偉大さのせいだろう。
 なかでも、赤塚不二夫の娘が父親の作品の最も過激なところを評価しているように見えて、亡くなった父親も本望だろうと思った。
 また、手塚治虫の娘が水木しげるの娘に「親子二代にわたる水木漫画への嫉妬心ですよー」と語っている部分も、父親が乗り移ったようでドキッとした。

 『マンガホニャララ』は最近のマンガ評の集成だが、過去のマンガへの言及も少なくない。索引で調べると手塚治虫への言及は12回と圧倒的に多い。赤塚不二夫は1回、水木しげるへの言及はない。著者の嗜好もあるだろうが、やはり戦後マンガ界全般への影響力の大きさでは手塚治虫が圧倒的だったのだろう。
 手塚治虫は本来ならマンガ界の大親分・長老におさまっていい立場だったと思うが、本人は常に若いマンガ家に対しても異常なライバル心を燃やしていたそうだ。三人の中では最も正統的に見える手塚治虫にも、まともでない部分があったように思える。セカセカと生き急ぐように21年前に60歳で亡くなった。
 
 赤塚不二夫はマンガ界の境界を超えた世界でハチャメチャに生きてアル中になり、2年前に72歳で亡くなった。

 最年長の水木しげるは88歳でまだ元気だ。『ゲゲゲの女房』ブームもあり、本屋には水木マンガはたくさん並んでいる。テレビにも時々出演する。その言動は自らが描き続けた妖怪のようでもある。

 三大マンガ家は、三人ともどこかズレている。そのズレ方はそれぞれに独特だ。おそらく、まともからズレることは偉大になる条件なのだろう。もちろん、ズレただけで偉大になれるわけではないが。

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