自分のエッシャー鑑賞がいかにずさんだったかを知った2025年03月06日

『エッシャー完全解読:なぜ不可能が可能に見えるのか』(近藤滋/みすず書房)
 日経新聞(2025.1.25)や朝日新聞(2025.2.22)の書評が取り上げていた次の本を読んだ。

 『エッシャー完全解読:なぜ不可能が可能に見えるのか』(近藤滋/みすず書房)

 エッシャーの「不可能建築」と呼ばれる『物見の塔』『上昇と下降』『滝』などについて、視覚をごまかすためにどんな仕掛けが施されているかを読み解いた本である。とても面白い。著者は発生学・理論生物学の研究者である。本書の論考は著者の専門領域とも一部重なり合っている。

 私は約半世紀前にエッシャーの画集を入手した。それなりにエッシャーの版画に親しんできたつもりだ。本書は、その画集をめくりながら読み進めた。私が気づいていなかった指摘が次々に出てきて、自分がいかに観ていなかったかを認識した。同時に、エッシャー鑑賞の新たな醍醐味を知った。

 エッシャーの「不可能建築」は錯視を利用したトリック画である。錯視は面白い。私は、ペンローズの三角形(エッシャーは、これを『滝』に応用)の模型をペーパークラフトで作ったこともある。だが、エッシャーのトリック画を観て、フムフム面白いなと思うだけでそれ以上踏み込んで考えたことはなかった。

 著者は、単なる錯視トリックではエッシャーの作品のようなリアリティは得られないと指摘し、エッシャーが仕掛けたさまざまな仕掛けを解き明かしている。

 本書によって認識を新たにしたのは、錯視と遠近法の関係である。作品をリアルに表現するには遠近法が有効である。エッシャーの作品も遠近法を多用している。だが、遠近法を強調すると錯視効果が減衰する。錯視には遠近感のごまかしが関連しているのだ。私は、ペンローズの三角形の模型を作ったにもかかわらず、本書を読むまでその点に考えが及ばなかった。

 本書の最大のポイントは、遠近法と錯視を両立させるためにエッシャーが仕掛けた工夫の解明である。ナルホドと感心した。

 だが、私が最も驚いたのは『画廊』という作品が再帰的なドロステ画だとの指摘である。画面が極端に歪んでいくこの作品を、私は半世紀前に画集で観て、単純に「面白いな」と感じただけだった。これが再帰的な作品だとは昔から知られていたそうだ。あらためて画集の作品解説を読むと、ちゃんと書いてあった。検索すると、分かりやすい動画もあった。私は半世紀の年月を経て初めて気づいた。情けないが仕方ない。

 著者が指摘するように、内側の世界と外側の世界を融合させるために螺旋構造を用いるというアイデアは秀逸である。著者は、螺旋を描いて成長する結晶がヒントになったのではと推測している。サイエンスの世界である。

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