『カラマーゾフの兄弟』をあわただしく再々読2024年07月21日

『カラマーゾフの兄弟(上)(中)(下)』(ドストエフスキー/原卓也訳/新潮文庫)
 私が初めて『カラマーゾフの兄弟』を読んだのは56年前の大学1年の時だった。米川正夫訳で読み、尋常でないドストエフスキーの世界に圧倒された。2回目に読んだのは12年前、当時話題になった亀山郁夫訳で読んだ。江戸川乱歩賞受賞のミステリー『カラマーゾフの妹』を読んだ関連の気ぜわしい読書だった。そのとき、次回は江川卓訳か原卓也訳でゆったりした気分で読み返したいと思った。

 その後、この大作を読み返すことなく12年が経過し、野田秀樹の新作『正三角関係』の前売券を入手した。『カラマーゾフの兄弟』をベースにした、花火師家族「唐松族の兄弟」の芝居だそうだ。チラシには以下の「観劇前の注意事項」が載っている。

 「観に来る前に、原作の小説をお読みになるのは勝手ですが、大変骨が折れて心も折れます。かといって、ネットで粗筋を読んだりアマゾンでマンガを買って読んだりして、わかった気になって観にくるのが、心に最も危険です。お気をつけください。」

 私は原作を2回読んでいるので、およその筋は頭に残っているが、モヤモヤしたものも残っている。もちろん、詳細は失念している。観劇の前に、以前に入手していた原卓也訳の新潮文庫版で再々読に挑戦した(『謎とき『カラマーゾフの兄弟』』の著者・江川卓訳は入手できなかった)。

 『カラマーゾフの兄弟(上)(中)(下)』(ドストエフスキー/原卓也訳/新潮文庫)

 上巻4日、中巻3日、下巻2日の計9日で観劇前日の深夜に何とか読み終えた。雑事の合間の追われるような読書で、以前に夢見た「ゆったり気分の再々読」にはならなかった。ぐったりと疲れ、読後感をまとめる気力がわいてこない。

 この小説は登場人物たちの長広舌が繰り返される。観念が肥大したテンションの高い異常な長広舌である。頭がクラクラしてくる。そんなおしゃべりの合間に物語が進行するので、時間感覚が狂ってくる。

 私は、ゾシマ師が亡くなって腐臭を発するのは物語の始めの方で、イワンが「大審問官」を語るのは中盤のクライマックスのように感じていた。だが、全3巻の上巻を読み終えた時点でゾシマ師はまだ健在、早くも「大審問官」が登場した。記憶はあてにならない。

 今回、私は次の二つの予断を抱いて再々読にあたった。

 (1) アリョーシャは悪人で、真犯人かもしれない(『カラマーゾフの妹』の高野史緒説)。
 (2) 物語の語り手「わたし」はアリョーシャかもしれない。

 どちらも突飛な仮説だが、そう思いながら読み進めると、あり得なくはないと思えた。この小説には「カラマーゾフ的」という言葉が頻出する。好色で激越で強引なのがカラマーゾフ的であり、アリョーシャ自身が自分もカラマーゾフだと認めている。多くの登場人物の長広舌があるのに、アリョーシャが饒舌になる場面はない。この物語全体がアリョーシャの長広舌かもしれない。妄想に過ぎないが……。

 今回の再々読で感じたのは、登場人物たちの「若さ」だ。長男は28歳、次男は23歳、三男は20歳、他の人物もみんな若い。時として、若者たちの青臭い観念論に付き合っている気分になるのは、当方が年を取って感性が摩耗しているからだろう。

 自身の感性の摩耗度を確認するためにも、いつの日か、落ち着いた気分でまた読み返してみたい。

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