『終わりよければすべてよし』と『尺には尺を』は面白いがヘン2023年10月17日

『終わりよければすべてよし』(シェイクスピア、小田島雄志訳/白水Uブックス/白水社)、 『尺には尺を』(シェイクスピア、小田島雄志訳/白水Uブックス/白水社)
 新国立劇場中劇場で2023年10月19日から1カ月間、シェイクスピアの『終わりよければすべてよし』と『尺には尺を』を交互上演する。同じ役者陣が二つの作品をほぼ日替わりで演じる趣向だ。役者は大変だろうと思う。

 私は、この2作を観たことがなく、戯曲も読んでいない。チラシには「こんな現代的な作品が400年前に!?」とあり、それに惹かれて2作のチケットをゲットした。今月末、観劇予定だ。観劇に先立って戯曲を入手して読んだ。
 
 『終わりよければすべてよし』(シェイクスピア、小田島雄志訳/白水Uブックス)
 『尺には尺を』(シェイクスピア、小田島雄志訳/白水Uブックス)

 読了してまず感じたのは、かなりヘンな話だということだ。人物像がヘンで、現代の倫理観・道徳観からはズレている。歌舞伎も同じで、400年前の人々の考え方や感じ方が21世紀の人間とは異なるのは当然だろう。にもかかわらず、シェイクスピアや近松門左衛門がいまも上演されるのは、「ヘン」を超えた面白さがあるからだ。その面白さは原初的・普遍的な何かで、それが現代性につながるのかもしれない。

 この二つの作品には似た仕掛けがある。多くのシェイクスピア作品と同様に底本があり、当時流布していた逸話や伝承に基づく底本が似ているからだと思う。ある種のお約束かもしれない。

 二つに共通しているのは「身替り花嫁」である。男A、女B、女Cがいて、女Bは男Aと結婚したいのに、男Aは身勝手な事情で女Bを避けている。そして、男Aは女Cに魅せられる。女Cは男Aの誘いに乗り、ベッドを共にすることを約束するが、女Bと入れ替わる。それと知らず、男Aは女Bと交わり、結局は女Bと結婚することになる。

 この話、女Bも女Cも処女で、それを強調する台詞もある。処女を尊重しているのか安売りしているのかよくわからない。男Aも共感を得にくい人格だ。面白いがヘンな話である。
 
 この2作品はハッピーエンドの喜劇である。しかし、本当にハッピーな結末なのだろうかと、釈然としないものが残る。手抜きの雑な展開のように感じるが、それが人生の本質を反映しているようにも思えるのが面白い。2つの戯曲を読んで、これのどこが「現代的」なのだろうと思ったが、多様な読みができるのが古典である。現代視線であれこれ解釈すると、面白さが倍加するのだろうと思う。