大昔に入手した『ハムレットとドン キホーテ』を読んだ2023年08月31日

『ハムレットとドン キホーテ』(ツルゲーネフ、河野与一・柴田治三郎訳/岩波文庫)
 『ドン・キホーテ』(前篇後篇 )全6冊を読了したとき、ツルゲーネフの『ハムレットとドンキホーテ』を想起、半世紀以上昔の学生時代に入手した薄い岩波文庫を書架の奥から探し出した。

 『ハムレットとドン キホーテ』(ツルゲーネフ、河野与一・柴田治三郎訳/岩波文庫)

 黄ばんだ本書を開き、「ハムレットとドン・キホーテ」だけでない評論集だったと思い出した。「ハムレットとドン・キホーテ」「プーシュキン論」「ファウスト論」の3編を収録している。前2編は講演録だから短い。学生時代に1編目を全部読んだか途中で投げたか定かでない。後2編は未読だと思う。

 『ドン・キホーテ』を読了したので「ハムレットとドン・キホーテ」を読む気になったが、他の2編も気になる。プーシュキンは多少読んだがファウストは未読だ。これを機に、いつか読もうと積んでいた『ファウスト』を読んでから本書を読もうと思った。という事情で『ドン・キホーテ』に続いて『ファウスト』 を読んだのである。

 閑話休題。3編のなかでは、やはり「ハムレットとドン・キホーテ」が面白い。読みやすくはないが、かなり単純なことを述べているように思えた。

 ハムレットとドン・キホーテが人間の本性の相反する二つの典型だとの指摘は炯眼で納得できる。この2作品が同じ年(1605年)に出たことに不思議な因縁を感じる。主人公二人の比較に着目したのがツルゲーネフの手柄だと思う。彼以前に二人を論じた人がいたかどうかは知らないが…。

 ハムレットは自分自身のために生きるエゴイスト、ドン・キホーテは理想に献身する人――それがツルゲーネフの基本的な見立てである。全体を通してハムレットには批判的、ドン・キホーテには同情的に感じられる。

 私が昨年読んだ『謎解き『ハムレット』』 では、ハムレットを優柔不断な哲学青年と見なす従来のロマン主義的解釈を批判していた。ハムレットも行動者であり、ドンキホーテ的要素をもっていたかもしれない。

 解釈は多様でかまわない。ツルゲーネフの解釈に基づいたこの比較論は、ツルゲーネフの心象の反映でもある。自身のなかにあるハムレット的なものを克服し、ドン・キホーテ的なものを追究したいという思いが表れている。

 「プーシュキン論」はプーシュキン銅像除幕式の際の演説で、プーシュキンをロシア最初の詩人・芸術家と位置付けた礼讃である。

 「ファウスト論」は面白いが十分には理解できなかった。「ゲーテは詩人としては匹敵する者をもたない。しかし今日必要なのは詩人だけなのではない。」と述べるところにロシア人作家の自恃を感じた。この評論のかなりの部分が、出たばかりのロシア語翻訳の批評である。「私はヴェロンチェンコ氏の訳に詩句を見出せない」との指摘に、韻文の翻訳はどの言語でも難しいのだと思った。