『ゲッベルス』で「若者」の怖さと愚かさを思う ― 2023年07月15日
ふとしたきっかけで『ナチスと隕石仏像』と『ナチズムの時代』を読んで、未読で積んだままのナチス関連本が気がかりになった。とりあえず次の新書を読了した。
『ゲッベルス:メディア時代の政治宣伝』(平井正/中公新書/1991.6)
著者は1929年生まれのドイツ文学者、30年以上前に出た新書である。ゲッベルスの日記の引用が多い。落ち込みや高揚、心情のゆらぎを綴った日記はかなり面白い。著者の日記紹介は蔑視・断罪が基調のように感じられた。もう少し引いた視線で分析的に掘り下げてもいいのではと思えた。
ゲッベルスのヒトラー観は、急成長する企業のカリスマ社長を見る取締役のようで面白い。当初はヒトラーに批判的なこともあったが、次第に心酔していく。ライバル幹部たちを気にしつつ、ヒトラーから褒められれば喜び、疎まれれば絶望する。どこにでもありそうな話だ。
ナチスは若者集団だった――あらためて、そう感じた。以前に読んだ『ヒトラーの時代』 で著者の池内紀氏がナチス幹部の若さを指摘していたのが印象に残っている。ゲッベルスの日記には「若者」という言葉が頻出する。自身を若者と位置づけ、自分たちの活動を新たな世界を切り拓く若者の運動としている。よくある思い込みである。
考えてみれば、紅衛兵も全共闘もタリバンも幕末の志士もみな若者だ。これらを同一に論ずるのは乱暴だが、「革命」と言われる歴史変動の担い手の大半は若者だった。
自分たちより上の世代を硬直した旧世代と見なした若者たちが、ある種の熱狂のなかで全能感を抱くと、手がつけられなくなる。感性・情念が理性を凌駕し、妄想と思想の区別がつかなくなる。そんな事態が時代を動かすこともある。それが吉と出るか凶と出るかはわからない。
かつて若者だった私は74歳になり、若者の愚かさが見えてきた気がする。それは人類の愚かさと同じにも思える。愚かさは克服するべきなのだが……。
『ゲッベルス:メディア時代の政治宣伝』(平井正/中公新書/1991.6)
著者は1929年生まれのドイツ文学者、30年以上前に出た新書である。ゲッベルスの日記の引用が多い。落ち込みや高揚、心情のゆらぎを綴った日記はかなり面白い。著者の日記紹介は蔑視・断罪が基調のように感じられた。もう少し引いた視線で分析的に掘り下げてもいいのではと思えた。
ゲッベルスのヒトラー観は、急成長する企業のカリスマ社長を見る取締役のようで面白い。当初はヒトラーに批判的なこともあったが、次第に心酔していく。ライバル幹部たちを気にしつつ、ヒトラーから褒められれば喜び、疎まれれば絶望する。どこにでもありそうな話だ。
ナチスは若者集団だった――あらためて、そう感じた。以前に読んだ『ヒトラーの時代』 で著者の池内紀氏がナチス幹部の若さを指摘していたのが印象に残っている。ゲッベルスの日記には「若者」という言葉が頻出する。自身を若者と位置づけ、自分たちの活動を新たな世界を切り拓く若者の運動としている。よくある思い込みである。
考えてみれば、紅衛兵も全共闘もタリバンも幕末の志士もみな若者だ。これらを同一に論ずるのは乱暴だが、「革命」と言われる歴史変動の担い手の大半は若者だった。
自分たちより上の世代を硬直した旧世代と見なした若者たちが、ある種の熱狂のなかで全能感を抱くと、手がつけられなくなる。感性・情念が理性を凌駕し、妄想と思想の区別がつかなくなる。そんな事態が時代を動かすこともある。それが吉と出るか凶と出るかはわからない。
かつて若者だった私は74歳になり、若者の愚かさが見えてきた気がする。それは人類の愚かさと同じにも思える。愚かさは克服するべきなのだが……。
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