『レパントの海戦』はキリスト教国側の勝利だったが……2021年05月21日

『レパントの海戦』(塩野七生/新潮文庫)
 塩野七生氏の海戦三部作の3作目は、キリスト教国側がオスマン帝国に一矢報いた1571年のレパントの海戦である。

 『レパントの海戦』(塩野七生/新潮文庫)

 この有名な海戦には、後に『ドン・キホーテ』を書くセルバンテスが24歳で参加し左腕の自由を失ったことが知られている。だから、登場人物の一人としてセルバンテスの動向を追う展開かなと思った。だが、セルバンテスにはチラリと一言触れるだけで、ヴェネツィア共和国の動きがメインの物語だった。その意味で、塩野氏がヴェネツィアの歴史を描いた 『海の都の物語』 の別巻といった趣がある。

 レパントの海戦はヴェネツィア、スペイン、ローマ法王軍からなる連合艦隊とオスマン帝国の戦いである。海戦三部作のうち『コンスタンティノープル』『ロードス島』は陸戦の要素が大きかったが、『レパント』は艦隊同士が海上で戦う純然たる海戦である。と言ってもガレー船の時代だから、敵船に接近して乗り移り、剣や槍や弓矢や鉄砲で渡り合うという、陸戦と似たような戦い方だったそうだ。

 ペロポネソス半島沿岸のレパント沖での海戦のきっかけは、ヴェネツィア支配下のキプロス島がオスマン帝国に襲撃されたことにある。ヴェネツィアはローマ法王らによる「十字軍」の結成を工作し、何とか連合艦隊の結成にこぎつける。

 この物語は、利害や思惑がバラバラの集団による連合艦隊編成の難しさを描いていて、海戦に至るまでのアレコレにハラハラさせられる。何とも頼りない連合艦隊のように見えながら大勝利をおさめてしまうのが面白い。

 そうは言っても、キプロスを奪還できたわけではないし、後日、ヴェネツィアはぬけがけでオスマン帝国と単独講和を締結する。キリスト教国側の勝利によって、オスマン帝国の地中海進出を抑制できたのかもしれないが、すでに地中海の時代は終わりつつあった。

 多くの戦争と同じように、後世から見れば意義がよくわからない海戦のようにも思える。