『福翁自伝』は近代・合理・啓蒙を説く自伝2020年01月09日

『福翁自伝』(福沢諭吉/岩波文庫)
◎正月には伝記を読もう

 正月ならではの一新気分で「いずれ読もう書架」から『福翁自伝』を取り出して読んだ。正月は伝記と相性がいい。

 『福翁自伝』(福沢諭吉/岩波文庫)

 私は幕末維新には関心があるが、福沢諭吉という人物にさほど興味はない。「痩せ我慢の説」で勝海舟や榎本武揚を詰難したのが狭量に思える。慶應の出身者(の一部)が「福沢先生」と呼ぶのが気持ち悪い。長期にわたって一万円札に居座っているのも不思議である。

 そんな気分でこの高名な自伝に手が伸びなかったが、読み始めると存外面白い。口述筆記がベースなので読みやすく、勝海舟の『氷川清話』に似た調子のよさを感じた。福沢諭吉という人物への距離感が縮まった。


◎近代的で合理的考えの人

 『福翁自伝』は、68歳で亡くなった福沢諭吉が64歳の時に自身の生涯を述べたものである。多くの自伝がそうであるように無意識での記憶のねつ造や自身の正当化が潜んでいると推察するが、そんなことはさほど気にならず、共感できる箇所も多かった。

 あらためて感じるのは「門閥制度は親の敵(かたき)で御座る」という意識の強さであり、近代化意識・合理精神の高さである。自身の臆病さや酒好きを語っている箇所も愛嬌があって面白い。

 子供時代に迷信的信仰に疑いをもち、神様のお札やお稲荷様を冒涜する実験をしたこと披歴しているのが面白い。近代化への啓蒙の思いが伝わってくる。

◎反攘夷の人

 豊前中津藩の下級武士の家に生まれた福沢諭吉が咸臨丸に乗り込んで渡米し、帰国してすぐに幕臣として渡欧、さらに再度の渡米までした経緯も分かった。要は英語習得者の自身を売り込んだのであり、幕末当時は積極的に海外に行きたがる幕臣は多くはなかったようだ。

 この自伝によれば福沢諭吉は確信的な開国派で醒めた反攘夷である。幕末の日本にはタテマエとしての攘夷が蔓延していたから、中津藩にも幕府にも薩長にも賛同できず、発足当初の明治政府も攘夷と見なして出仕の求めに応じなかったそうだ。幕末維新から数十年後の回顧談のせいか、かなり単純化した見解に思える。

◎勝海舟は無能な攘夷論者か?

 勝海舟や榎本武揚を低く評価しているのも本書のミソである。

 勝海舟は船に弱くて咸臨丸では自室から出ることがなかったと述べているのは真贋の確かめようがない。勝海舟が兵庫でお台場を築いたのを「攘夷の用意でないか」と非難しているのは短絡的に思える。福沢諭吉は開国派であり富国強兵論者でもある。

◎榎本武揚は「殿様好き」?

 榎本武揚に関してはやや詳しく語っている。福沢諭吉と榎本武揚は遠縁にあたり、福沢諭吉は榎本武揚の母親に頼まれて、箱館戦争の後に入牢中の榎本武揚と母親との面会を仲介し、洋書の差し入れなどもしている。

 この件を語った部分では「榎本は幕府の御家人出身だから殿様好き(殿様と呼ばれることが好き)だ。いずれ牢から出たら役人になって殿様風をふかすだろう」という主旨の予言をし、その通りになったと面白がっている。

 この箇所には「門閥制度は親の敵(かたき)で御座る」という意識の過剰さが感じられる。

 福沢諭吉と入牢中の榎本武揚の件については『榎本武揚』(加茂儀一)にも記述がある。加茂氏はこの伝記の中で、榎本武揚の依頼で福沢諭吉が差し入れた洋書(科学書)の幼稚さに榎本武揚が失望するシーンを描いている。

 榎本武揚は家族あての手紙に「福沢の不見識には驚き入申候、もそつと学問のある人物と思ひしところ存外なりとて半ば歎息致候、是位の見識の学者にても百人余の弟子ありとは、我邦未だ開化文明の届かぬ事知るべし」と書いている。

 差し入れた本に榎本武揚が失望したことは福沢諭吉も知っていたらしいが『福翁自伝』では触れられていない。

◎オランダでの接点

 『福翁自伝』を読んでいて福沢諭吉と榎本武揚のもう一つの因縁に気づいた、箱館戦争以前のオランダでの話である。

 福沢諭吉は咸臨丸で米国から帰国した翌年(1861年)には幕府遣欧使節の一員としてヨーロッパを訪問している。

 幕府遣欧使節出発の翌年(1862年)、榎本武揚たちはオランダ留学に旅立つ。彼らがオランダに着いた当初、店屋や料理店での待遇がひどく悪かったそうだ。理由は先年に来訪した日本人使節の随行者の行動にあった。勝手に商品を持ち去ったり無銭飲食する者がいて日本人への警戒心が高まっていたのである。

 その後、現地新聞に「今度の日本人留学生は前に来た日本人と違って紳士だから、彼らを相当に待遇するべきだ」との記事が出て、やっと待遇がよくなったそうだ。

 榎本武揚らに迷惑をかけた先年の幕府使節とはもちろん福沢諭吉らの使節である。福沢諭吉がこの話を知っていかた否かはわからないが、文明開化を説く福沢諭吉にとっては面目ない話である。『福翁自伝』にこの話は出てこない。

◎やはり…

 福沢諭吉は狭量な人物ではとの先入観は『福翁自伝』を読んで多少は払拭された。かなり面白い人物だと思える。だが、勝海舟や榎本武揚とのすれ違いやわだかまりはよくわからない。この三人を比べると、やはり福沢諭吉の器が小さいように感じられる。