人工光合成研究の世界を垣間見た2011年07月04日

 「光合成と人工光合成の科学」という一般人対象の講座を受講した。サブタイトルは「我々人類が直面しているエネルギー問題を考える」。首都大学東京の「オープンユニバーシティ」の講座で、講師は首都大学東京の高木慎介准教授。週1回の90分講義4回で修了した。

 受講の動機は、昨年聞いた根岸英一氏(ノーベル化学賞受賞)の講演だ。根岸氏が、これからのテーマとして人工光合成について熱く語るのを聞き、人工光合成に興味をもち、人工光合成について知りたいと思っていた。

 第1回目の講義を聞き、自分が人工光合成について知らないだけでなく、光合成についてもほとんど知らないことに気付いた。考えてみれば、光合成についての知識は、小学校のときに葉っぱの葉緑素でデンプンができる実験をしたときからほとんど進歩していない。
 そこで『光合成とはなにか』(園池公毅/ブルーバックス/2008.9)を購入して読んでみた。これが、なかなか手強い本だった。内容をよく理解できたわけではないが、光合成がいかに複雑で難しいものかは、よくわかった。

 この『光合成とはなにか』にも人工光合成への言及がある。著者は、人工光合成はまだ夢の段階だとしている。「チェスの名人はコンピューターに負ける時代になりましたが、光合成の分野ではまだ植物が人間に負けそうな気配はありません」との記述もある。

 光合成が難解なのは、生物学の範疇の現象ではあるが、分子生物学を越えて量子力学の世界に関わっているからだ。色素が光を吸収するという現象を扱うので、分子を構成する電子の話になってくる。今回の講師の高木先生は化学者で、講義の内容も量子化学的な話が多かった。受講するまでは、こんな難しい話だとは思っていなかった。

 とは言っても一般人向けの講義なので、幅広い話題を扱う噛み砕いた語り口の講義で、葉っぱから色素を抽出して成分を分析する実験などもあり、とても面白かった。

 そして、人工光合成についても、ある程度の知見を得ることができた。
 高木先生は、まず最初に「植物がやっている光合成と同じことを人工的にやるには300年はかかるでしょう。それは、人工的に生物を作るのと同じレベルの話です」とおっしゃた。
 光合成という言葉は小学校でも習うので、人工光合成もそう難しくはなさそうな印象があったが、とんでもない誤解であった。

 人工光合成が何を意味するかは必ずしも明確ではなく、人によって異なるらしいが、ざっくり言えば「太陽エネルギーから化学エネルギーへの変換」を人工的に行うことだ。ただし、現状の太陽電池などは人工光合成とは呼ばないようだ。

 高木先生は、人工光合成の研究分野を大きく次の3つに分けて解説してくれた。

 (1) 植物の光合成と「同様な」光物質変換を行うこと
 (2) 植物の光合成と「同様な」エネルギー変換を行うこと
 (3) 植物の光合成と「同様な」反応メカニズムを実現すること

 根岸英一氏が挑戦しようとしているのは「二酸化炭素を原料として、有用な物質を可視光で作る」人工光合成の研究で、上記の(1)の分野になる。人工光合成の研究には、それ以外にもいろいろな分野があるのだ。

 高木先生自身が現役の研究者なので、その研究内容についても少し話してくれた。それは「粘土鉱物を用いた、太陽光の全波長を利用可能な人工光捕集システムの開発」で、上記の(3)の分野になる。
 正直言って、ほとんど理解できなかった。そもそも「粘土鉱物」という言葉も初耳だ。原始的な生命の発生には粘土鉱物が関わっているのでは、という話もチンプンカンプンで驚くしかなかった。

 しかし、科学研究の最前線を垣間見るような高揚感は得られた。老化の始まっている頭への多少の刺激にはなったかもしれない。

 「光合成と人工光合成の科学」の講義によってあらためて認識したのは、エネルギー変換の面白さだ。
 人も自然もエネルギーを作りだすことはできない。エネルギーを変換できるだけだ。このエネルギー変換について考察するだけでも、社会や自然を俯瞰的に眺めることができる。

 人工光合成の特徴は、太陽エネルギーを元にしている点だ。太陽光を元にしたところで、エネルギーを作り出すわけではなく、変換しているだけだが、太陽光は当面は無尽蔵のエネルギー源のようなものだ。問題は効率の悪さだ。現状のシリコン膜の太陽電池だと、製造に要したエネルギーの回収には15年ぐらいかかるらしい。人工光合成が実現すれば、それよりは効率のいい太陽光利用ができそうだ。
 とは言っても、人工光合成だけで人類のエネルギー問題を解決できてしまうような魔法の技術ではないようだ。

小松左京氏は大きな宿題をたくさん残して逝ってしまった2011年07月28日

『小松左京マガジン』(2011年7月28日発行の第42巻)
 本日(7月28日)、郵送されてきたばかりの『小松左京マガジン』最新号(2011年7月28日発行の第42巻)を読んでいたら、テレビのニュースで小松左京氏の訃報が流れた。少し驚いた。

 私が小松左京という名を知ったのは中学三年の時だ。カッパノベルス『日本アパッチ族』の新聞広告(全5段の大きさだったと思う)で初めてこの作家の名を目にした。「SF長編小説」という表記に引きつけられた。そして、この小説を購入して一晩で読了した。それが小松左京作品との出会いだった。47年前のことだ。
 それ以来、小松左京作品には多様な刺激を受けてきた。訃報に接し、月並みではあるが「ひとつの時代の区切り」のようなものを感じる。

 『小松左京マガジン』という雑誌はそれほどは知られていないかもしれないが、私は創刊号から購読している。年4回の季刊誌で、正式には雑誌扱いではないので「号」ではなく「巻」を使っているらしい。最新号が42巻ということは10年以上続いていることになる。小説家の枠を超えて多様な分野で活動した作家としては、自前の自由なメディアをもったいい晩年だったと思える。

 この最新号には、東日本大震災を体験した東北在住のSF作家・瀬名秀明氏と平谷美樹氏が震災に関するコラムを寄稿している。地震といえば小松左京の名が連想されるのは当然のことだろう。
 小松左京氏は『日本沈没』を想起させる阪神大震災を体験したあと『小松左京の大震災'95』を著したが、その過程で「うつ」になったそうだ。

 その小松左京氏が東日本大震災から4カ月が経過して逝った。大津波と原発事故の重い鬱屈を残し、科学と文学、歴史と文明の広大な時空をわたり歩いた巨星堕つ、という感慨にとらわれる。
 同時に、大きな宿題をたくさん残していった人だったなあとも思う。その宿題は小松左京氏の膨大な作品群に散りばめられている。