壮大な人類史に「そうだったのか」の驚き2010年09月30日

『銃・病原菌・鉄:一万三〇〇〇年にわたる人類の謎(上)(下)』
 『銃・病原菌・鉄:一万三〇〇〇年にわたる人類の謎(上)(下)』(ジャレド・ダイアモンド/草思社)を読んだ。朝日新聞が識者百数十人へのアンケートで選出した「ゼロ年代の50冊」の第1位になった本だ。その記事がきっかけで本屋で手にし、面白そうだと思って購入した。
 本書の再評価(?)が青息吐息の青土社を元気づけているという記事も読んだが、オビの「第1位」の大活字が嬉しそうだ。

 本書は13,000年に及ぶ「人類史」を探究した本だ。地球規模で歴史を捉えた、このように巨視的な歴史の本は、これまで読んだことがない。刺激的な本だ。
 数年前、高校の世界史の参考書を読んでいるとき、まえがきで「大学には日本史学科、東洋史学科、西洋史学科などの学科はあるが、世界史学科はない」という記述に接し、その指摘が印象に残った。一人の研究者が「世界史」を専門的な研究対象にするのは雲をつかむような大変なことなのだろうと思った。本書の研究対象は、その「世界史」の枠をさらに拡張した「人類史」である。考察対象の年代は最終氷河期の終わった13,000年前から大航海時代(15世紀~17世紀)まで、非常に長い。地理的にも地球上のすべてのエリアを総合的にとらえようとしている。
 本書は、歴史学だけでなく考古学、言語学、地理学、人類学、生物学などの知見を動員した壮大な人類の物語であり、著者の知力には感服する。

 この本には「なぜ・・・・なのだろうか」という記述が頻出する。基本的には「なぜ、地域間に違い(特に発展段階の違い)のある現在の世界ができたのだろうか」というテーマである。それに付随して、「ヨーロッパ人は南北アメリカを征服したが、なぜ、その逆にはならなかったのか」「現在は西欧文明中心の世界だが、なぜ、西欧より早く発展した中国文明が全世界に広がる歴史にならなかったのか」などのさまざまな「なぜ」が提示される。疑問を提示し、それを検討し多様な材料を検証しながら回答を求めていくという本書のスタイルは魅力的である。ただし、やや冗長でもある。

 著者の方法はあくまで自然科学的であり、歴史の大きな流れの原因をアレクサンダーやカエサルなどの個人に帰結させるのではなく、多様な民族の特質に帰結させるのでもなく、植物相・動物相・地形などの自然環境と長い時間の流れの作用によって人類の歴史を解き明かしている。かなり説得的な論理だと思った。

 私は一昨年、ピースボートで世界一周をし、マチュピチュやイースター島やタヒチなども訪れた。訪問に際して「インカ帝国」や「イースター島」に関する解説本は読んではいた。それでも、マチュピチュ遺跡を眺めると「インカ帝国はなぜ、こんなにもあっさりと滅亡したのだろう」という感慨がわいてきた。また、イースター島とタヒチとの間の長い船旅を体験して、あらためてこれらの島を含む広大な海洋にまたがるポリネシア文化圏の不思議を思った。
 本書を読んでいて、私が漠然と抱いていた不思議が総合的に絡み合った「そうだったのか」に変わった。これは爽快な体験である。

 また、本書のメインの壮大な物語の記述が終わった後のエピローグにおいても、ハッとする興奮を味わうことができた。ヨーロッパと東アジアの地形への考察には、ハリウッド映画の最後の最後のサービスのような趣があった。日本と中国の間がドーバー海峡の距離しかなく、中国大陸の海岸線がもっと複雑だったら、どんな歴史が展開していたのだろうか。