朝ドラ『ゲゲゲの女房』は何故ヒットしたか2010年09月26日

連ドラに先駆けて調布市で開催された「名誉市民水木しげる展」
 昨日(2010年9月25日)は、NHKの朝の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』の最終回だった。NHKの朝の連続テレビ小説は「朝ドラ」と言うそうだ。私はこの朝ドラをほとんだ毎回見た。旅行などで在宅していないときは録画して見た。朝ドラをまともに見たのは、わが人生において初めての体験だった。

 私が『ゲゲゲの女房』を見ようと思った理由は次の二点だ。
  (1) 水木しげるのファンなので、水木しげるの伝記に興味があった。
  (2) 私は調布市在住なので、地元が舞台になる物語に興味があった。

 調布市内のいたる所には『ゲゲゲの女房』の幟が立っている。ドラマの開始に先駆けて調布市文化会館で「名誉市民水木しげる展(写真参照)」も開催され、もちろん、それも見に行った。調布市民としては『ゲゲゲの女房』を見るのが当然という気分になっていたのだ。

 『ゲゲゲの女房』は4月のスタート当初は視聴率最低と報じられていたが、舞台が山陰から調布に移った頃から視聴率が高くなり、他の番組を抑えて視聴率トップになった。
 新聞や雑誌だけでなく民放でも『ゲゲゲの女房』が取り上げられることが増え、最終回前日のTBSの番組では「みなさん、明日の最終回を見逃さないように」などというコメントも流れていた。

 『ゲゲゲの女房』ヒットの理由について、新聞や雑誌にいろいろな分析が載っている。どれも、それなりに当たっているのだろうが、昨日の朝日新聞の記事にあった「従来の視聴者に加えて、大量退職したの団塊世代の男性が見ているからだ」という指摘には、なるほどと納得させられた。私自身に当てはまるからだ。

 しかし、私自身は『ゲゲゲの女房』に引き続いて次の朝ドラを見るつもりはない。
 時間に余裕があるとしても、毎日朝の決まった時間に15分の連続ドラマを見るといった規則的な生活を送るのは容易ではない。朝ドラは、「連続ドラマ」というよりは、誰かの日常生活の垂れ流しに付き合っているような趣があり、律儀に毎朝そのようなものに付き合うほどの余裕は、今の私にはない。

 『ゲゲゲの女房』にも「日常生活の垂れ流しに付き合う」という要素はあった。しかし、同時にこのドラマは実話に基づくサクセスストーリーであり、私はそのストーリー展開に魅力を感じていた。『ゲゲゲの女房』に惹かれたのは、俳優たちやシナリオの魅力によるのではなく、「水木しげる」という特異なキャラクターに不思議な魅力があったからだ。
 だから、在宅団塊世代が増えたからといって、これからの「NHK朝の連続テレビ小説」が『ゲゲゲの女房』なみにヒットするのは難しいだろうと思う。

壮大な人類史に「そうだったのか」の驚き2010年09月30日

『銃・病原菌・鉄:一万三〇〇〇年にわたる人類の謎(上)(下)』
 『銃・病原菌・鉄:一万三〇〇〇年にわたる人類の謎(上)(下)』(ジャレド・ダイアモンド/草思社)を読んだ。朝日新聞が識者百数十人へのアンケートで選出した「ゼロ年代の50冊」の第1位になった本だ。その記事がきっかけで本屋で手にし、面白そうだと思って購入した。
 本書の再評価(?)が青息吐息の青土社を元気づけているという記事も読んだが、オビの「第1位」の大活字が嬉しそうだ。

 本書は13,000年に及ぶ「人類史」を探究した本だ。地球規模で歴史を捉えた、このように巨視的な歴史の本は、これまで読んだことがない。刺激的な本だ。
 数年前、高校の世界史の参考書を読んでいるとき、まえがきで「大学には日本史学科、東洋史学科、西洋史学科などの学科はあるが、世界史学科はない」という記述に接し、その指摘が印象に残った。一人の研究者が「世界史」を専門的な研究対象にするのは雲をつかむような大変なことなのだろうと思った。本書の研究対象は、その「世界史」の枠をさらに拡張した「人類史」である。考察対象の年代は最終氷河期の終わった13,000年前から大航海時代(15世紀~17世紀)まで、非常に長い。地理的にも地球上のすべてのエリアを総合的にとらえようとしている。
 本書は、歴史学だけでなく考古学、言語学、地理学、人類学、生物学などの知見を動員した壮大な人類の物語であり、著者の知力には感服する。

 この本には「なぜ・・・・なのだろうか」という記述が頻出する。基本的には「なぜ、地域間に違い(特に発展段階の違い)のある現在の世界ができたのだろうか」というテーマである。それに付随して、「ヨーロッパ人は南北アメリカを征服したが、なぜ、その逆にはならなかったのか」「現在は西欧文明中心の世界だが、なぜ、西欧より早く発展した中国文明が全世界に広がる歴史にならなかったのか」などのさまざまな「なぜ」が提示される。疑問を提示し、それを検討し多様な材料を検証しながら回答を求めていくという本書のスタイルは魅力的である。ただし、やや冗長でもある。

 著者の方法はあくまで自然科学的であり、歴史の大きな流れの原因をアレクサンダーやカエサルなどの個人に帰結させるのではなく、多様な民族の特質に帰結させるのでもなく、植物相・動物相・地形などの自然環境と長い時間の流れの作用によって人類の歴史を解き明かしている。かなり説得的な論理だと思った。

 私は一昨年、ピースボートで世界一周をし、マチュピチュやイースター島やタヒチなども訪れた。訪問に際して「インカ帝国」や「イースター島」に関する解説本は読んではいた。それでも、マチュピチュ遺跡を眺めると「インカ帝国はなぜ、こんなにもあっさりと滅亡したのだろう」という感慨がわいてきた。また、イースター島とタヒチとの間の長い船旅を体験して、あらためてこれらの島を含む広大な海洋にまたがるポリネシア文化圏の不思議を思った。
 本書を読んでいて、私が漠然と抱いていた不思議が総合的に絡み合った「そうだったのか」に変わった。これは爽快な体験である。

 また、本書のメインの壮大な物語の記述が終わった後のエピローグにおいても、ハッとする興奮を味わうことができた。ヨーロッパと東アジアの地形への考察には、ハリウッド映画の最後の最後のサービスのような趣があった。日本と中国の間がドーバー海峡の距離しかなく、中国大陸の海岸線がもっと複雑だったら、どんな歴史が展開していたのだろうか。