ビザンツの扱いが気になって昔の歴史概説書を読んだ2025年04月24日

『中世ヨーロッパ(世界の歴史3)』(責任編集:堀米庸三/中公文庫)
 中央公論社のシリーズ本『世界の歴史』は旧版(全16巻:1960年刊行開始)と新版(全30巻:1996年刊行開始)がある。その旧版第3巻の文庫版を古書で入手して読んだ。

 『中世ヨーロッパ(世界の歴史3)』(責任編集:堀米庸三/中公文庫)

 本書の原版の刊行は1961年2月。こんな古い本を読もうと思ったのは、ビザンツ史への関心がきっかけだ。ビザンツ史の概説書には、コンスタンティノープルの見聞記を残したクレモナ司教リュートプランドがよく登場する。この人物をウィキペディアで検索すると次の記述がある。

 「堀米庸三は、彼に匹敵するギリシア通が後世に現れなかったため、彼の東ローマに対する偏見が後世まで影響を及ぼしたと述べている。(『世界の歴史3 中世ヨーロッパ』)」

 半世紀以上昔、碩学・堀米庸三はビザンツ史が偏見で語られがちだと指摘していたようだ。彼がビザンツ史をどのように語っているかに興味がわき、本書を読んだ。

 読み終えて、小さな失望と大きな満足を得た。ビザンツ史に関しては、私が期待したような記述はなかった。だが、本書を読み進めながら中世ヨーロッパ史の多様な面白さを堪能できた。読みごたえのある歴史書だった。

 本書は前半四分の三を堀米庸三、残りの四分の一を弟子の木村尚三郎が執筆している。ウィキペディアが紹介している指摘の正確な引用は以下の通りだ。

 「リュートプランド以後には、彼に匹敵するギリシア通の使節はもはやあらわれず、かえって彼のビザンツに対する偏見があとあとまで影響した。」

 リュートプランドの複数回にわたるコンスタンティノープル訪問について、本書は約3ページを費やして記述している。全般的にリュープランドに同情的であり、ビザンツへの偏見をことさら話題にしているわけではない。

 本書は基本的に「ビザンツ」ではなく「東ローマ」という用語を使用している。この二つは同じだと思うが、あえて使い分けるなら、東ローマのギリシア化(7世紀頃)以降をビザンツと呼ぶこともあるようだ。本書はそんな使い分けはせず、東ローマで一貫しているが、以下のような文脈でビザンツという言葉が出てくる。

 「西方との接触がうすれていけば、それだけ東ローマは専制的な東洋風、ビザンツ風になっていく。」
 「サラセンの地中海制覇以来、東ローマが西方との関係を次第に薄くし、東方化、ビザンツ化を深めたことは否定できない。こういった理由から私は、東ローマをビザンツ世界としてヨーロッパから区別する。」

 「ビザンツ風」「ビザンツ化」「ビザンツ世界」とは何かの説明はない。読者には自明ということなのだろう。東ローマは「中世ヨーロッパ」と題する本書の対象外としているのである。東ローマから離脱することによってヨーロッパが成立したと見なしているようだ。だから、東ローマに関する記述はさほど多くない。

 と言っても、ヨーロッパの成立を語るには東ローマに言及せざるを得ない場面はいろいろある。あのアンナ・コムネナも「きこえた才媛」と紹介し、その著書の記述をかなり引用している。

 本書には、ビザンツ関連以外にも興味をひかれる話題が多い。私は9年前、『大聖堂』(ケン・フォレット)という小説を読んで中世ヨーロッパへの関心がわき、概説書を2冊読んだことがある。その1冊は堀米庸三の著作だった。だが、9年前に読んだ概説書の内容はほとんど蒸発していて、頭の中は白紙に近い。本書を読み進めながら、初めて中世ヨーロッパ史の概説書に取り組んでいるような新鮮な気分を味わった。

 例えば、カノッサの屈辱で知られるハインリヒ4世とグレゴリー7世の波乱に富んだ物語は、中世ヨーロッパのさまざまな事情が反映されていて、とても面白い。二人とも失意の最期をむかえるのも小説のようだ。あらためて、この時代への興味がわいた。

 いずれ、ゆっくり再読したい本である。

司馬遼太郎と林家辰三郎の歴史対談本は面白い2025年04月21日

『歴史の夜咄』(司馬遼太郎・林家辰三郎/小学館文庫)
 次の歴史対談本を読んだ。

 『歴史の夜咄』(司馬遼太郎・林家辰三郎/小学館文庫)

 司馬遼太郎と歴史学者・林家辰三郎の対談8編を収録している。1972年から1980年にかけての対談で、雑誌や新聞に掲載されたものがメインだ。

 この古い対談集を読んだきっかけは、昨年読んだ『日本に古代はあったのか』(井上章一)である。これはとても面白い本で、私が昨年(2024年)読んだ本のベスト3に入る。井上章一氏によれば、司馬遼太郎は関東史観、林家辰三郎はそうではない。後者に与する井上氏は、二人の対談本を次のように紹介している。

 「対談じたいは、なごやかにすすんでいる(…)
 だが、私にはこれがプロレスの試合めいて、見えなくもない。たがいの得意技に、見せ場をじゅうぶんにあたえたうえで、全体をはこんでいく。そんなゲーム、よくできた応酬を、おがませてもらったような気もする。
 京都の学統をうけつぐ碩学が、関東史観の国民作家を、どうむかえうつか。その醍醐味が、この対談ではあじわえた。歴史好きには一読をすすめたい。けっこうはらはらさせられることを、うけおう。」

 この文章に釣られて本書を読んだのである。井上氏のコメントは、本書2編目の対談「日本人はいかに形成されたか」に関するものだ。で、この対談を読んだ私が「はらはらさせれた」かと言うと、そうでもない。「ヘェー」と感心しながら読んだだけである。私の未熟な知識や洞察力は「はらはら」を感じるレベルにないと認識した。

 「はらはら」はしないが、新たな知見に接して大いに刺激になった。「日本の律令体制は中国を真似ていながら、実は日本向きの骨抜きだった」「“天皇”という用語は大いなる独創」「中国からの返書に“倭王”とあるのを、役人が“王”の上に“白”を足して“倭皇”として記録した」など、面白い話がたくさん出てくる。二人の見解の違いは、日本人の心性の原型が形成された時期を、司馬遼太郎は鎌倉時代ごろ、林家辰三郎は東山時代ごろと考えているということのようだ。

 全編を通して、読みやすくて面白い対談だった。司馬遼太郎は関東と関西の比較論が好きなのだなあと思った。関東は父系、関西は母系だそうだ。時代とともにゴチャゴチャになるだろうとは思うが…。

 本書には山陽新聞(岡山県の地方紙)に載った対談が2つある。「花開いた古代吉備」と「中世瀬戸内の風景」である。私は岡山県出身なので興味深く読んだ。私の知らないことばかりだった。「古代の吉備は日本全体を支配しようという意図をもっていた」「津山は魏志倭人伝の投馬国」という林家説には驚いた。

深夜の甲州街道を歩く会話劇『夜の道づれ』2025年04月18日

 新国立劇場小劇場で『夜の道づれ』(作:三好十郎、演出:柳沼昭徳、出演:石橋徹郎、金子岳憲、他)を観た。

 1958年に56歳で亡くなった三好十郎は、私にはあまり馴染みのない過去の劇作家である。だが、チラシで夜の甲州街道を歩く話だと知り、興味がわいた。甲州街道は地元なので親近感がある。新国立劇場がある初台は甲州街道沿いだから、ご当地演劇とも言える。

 観劇前に青空文庫で戯曲を入手して読んだ。1950年の作品である。作者を連想させる40代の劇作家が新宿で飲み過ぎて終電車を逃し、深夜の甲州街道を徒歩で烏山まで歩く話である。不思議な男と道づれにり、会話を交わしながら歩き続ける。途中、怪しげな女や男に出会ったりもする。

 戯曲からは終戦直後のニヒリズムを色濃く感じた。ときに晦渋になる会話には一種の迫力がある。だが、この会話劇を「歩く」という行為で表現する舞台がイメージしにくい。二人が甲州街道を歩き続ける姿をどう舞台化するのだろう思い、それを確認する楽しみで劇場へ足を運んだ。

 舞台は暗い。深夜の甲州街道だから当然である。役者たちは会話を交わしながら、確かに歩き続けていた。二人とも正面を向いて足踏みをしながらしゃべるのである。足踏みの音が異様に大きく響く工夫をしている。

 上演の後のアフタートークで、歩く姿の舞台化に紆余曲折があったと知った。当初、足踏みだけやめようと考えたそうだ。回り舞台、手動ベルトコンベアなどの試行錯誤のすえ、結局は足踏みに落ち着いたという。私は足踏みにさほどの不自然は感じなかった。「歩く」という行為を印象的に表現した巧みな芝居に思えた。

 この芝居は、甲州街道を歩く劇作家(御橋)と道づれになった男(熊丸)との会話劇である。熊丸は何と甲府まで歩くという。会話は厭世的・厭人的ニヒリズムの探究に近い。御橋は熊丸を精神病患者でないかと疑ったりもする。芝居を観ているうちに、熊丸は御橋の脳内人物にも見えてきた。歩き続けるという行為は、自分の脳内人物を呼び起こし脳内会話を促進させる作用がありそうな気がする。

 上演時間は2時間。実際に新宿から烏山まで歩くと約2時間だそうだ。

 芝居には烏山の先の仙川という地名が出てくる。烏山近くで二人は、馬車にコエ桶を積んだ農夫とすれ違う。農夫は仙川から市内にコエくみにに行くのだ。今は仙川は賑やかな町である。安藤忠雄設計の「せんがわ劇場」もある。時代を感じた。

追悼本『唐十郎襲来!』で往年を偲ぶ2025年04月16日

『唐十郎襲来!』(河出書房新社/2024.11)
 唐十郎が84歳で逝ったのは昨年(2024年)5月4日、劇団唐組公演『泥人魚』初日の前日だった。私は逝去の翌々日にこの公演を観た。逝去から半年後、次の追悼本が出た。

 『唐十郎襲来!』(河出書房新社/2024.11)

 32本の記事と戯曲1編(最期に書いた『海星』)を収録した盛り沢山な本である。刊行直後に入手し、いくつかの記事を拾い読みしたが、今回、あらためて全編を通読した。さまざまな側面の唐十郎の姿に接する至福の読書時間だった。

 32本中の4本は過去の記事の再録で、28本が逝去後の書き下ろし&語り下ろしである。状況劇場発足以前の学生劇団時代の大鶴義英(唐十郎)の先輩による遠い追憶譚から、横国大や明大の教授になった唐十郎の教え子の思い出話まで、執筆者の世代は幅広い。

 横尾忠則のインタビュー記事は驚きだった。横尾忠則による初期の状況劇場のポスターは衝撃的で、紅テントのイメージと切り離せない。横尾忠則は、初期の何作かのポスターを提供した後、新たな作風のポスターを制作したそうだ。次のように語っている。

 「(今までの作風では)僕自身も自分の作品のコピー作ることになるからダメだし、唐君も僕のイメージで芝居をやろうとしたらダメだから、一回ひっくり返してやろうと思って、とんでもないポスターを作ったんですよ。それは怖かったようで受け入れなかった。キャンセルしてきた。」

 1968年か1969年頃の話だと推測される。横尾忠則は、あのとき唐十郎が新たなポスターを受け入れていたら、その芝居も別次元の新たな展開を見せたかもしれないと惜しんでいる。『吸血姫』『唐版 風の又三郎』などの傑作はその後に生まれるのだが……。

 麿赤児の記事でも新たな事実を知った。唐十郎は逝去の12年前、2012年に転倒による脳挫傷で執筆不能となる。それまで年1~2本のペースで戯曲を書いていたが、その後の新作はない。転倒直前に取り組んでいたのは、何と麿赤児あての戯曲だったのだ。嵐山光三郎のプロデュースで麿赤児の唐組への出演が決まっていたそうだ。実現していれば、1971年以来40数年ぶりの麿赤児の紅テント芝居だった。

 麿赤児は「唐の言語の死以来数回、唐組の芝居を観た」と述べている。そのうちの一つは私が観劇した2018年の『吸血姫』のはずだ。私は、桟敷席後方の椅子席に座っている麿赤児とリハビリ後の唐十郎の姿を発見して感激した記憶がある。

 唐十郎の姿を最後に目撃したのは、逝去前年の一糸座公演『少女仮面』の客席だった。カーテンコールの際に舞台上から紹介され、客席から立ち上がって観客に手を振った。舞台上から唐十郎に呼びかけた役者が思わず涙ぐんだ姿が印象に残っている。

 本書は興味深い指摘やエピソードに満ちている。唐十郎の演出について不破万作は「 アドリブは絶対ダメだったんですよ。『このセリフ、意味がわかんないです』と聞いてみ、『わかんなくても喋ればいいんだ!』と言われた」と語っている。蜷川幸雄は2011年の対談で「稽古のときに(唐十郎が)台詞一行一行すべてについて、どういう意味や行動があるのかを出したことがあるよ。僕も仰天したんだけど、衝動的に書いているように見せながら、確固たる裏付けがあるんだよね。あれはびっくりした」と語っている。あの迷宮芝居群のナゾを解き明かすのは容易ではない。だから楽しい。

 唐十郎は100編以上の戯曲を残したそうだ。今後、どの程度上演されるだろうか。新たな古典芸能として長く受け継がれていくような気がする。

俳優座劇場さよなら公演『嵐 THE TEMPEST』の主役は舞台空間か2025年04月14日

 「さよなら俳優座劇場最終公演」と銘打った『嵐 THE TEMPEST』(作:シェイクスピア、翻訳:小田島創志、演出:小笠原響、出演:外山誠二、平体まひろ、あんどうさくら、他)を観た。

 六本木の俳優座劇場が2025年4月末で閉館になる。この劇場に特段の思い入れはないが、最終公演と聞いて足を運ぶ気になった。私は、半世紀以上昔の学生時代に何度かこの劇場に行った。最後に観たのは、俳優座の芝居ではなく岩淵達治演出のブレヒト劇『バール』だった。

 久方ぶりに俳優座劇場に入り、こんな劇場だったかなあと懐かしみながらあたりを見回した。しばらくして、この建物は1980年に改築したと知った。私が観劇したのは1970年頃だから改築前だ。この古びた劇場に入るのは今回が最初で最後だったのだ――と思ったのだが、違うかもしれない。私は1990年代に何度か青年座の芝居を観ている。あれは俳優座劇場だったような気もする。わが記憶はあてにならない。

 株式会社俳優座劇場は劇団俳優座とは別組織である。俳優座劇場プロデュースの今回の公演には様々な劇団の役者が出演している。

 私はシェイクスピアの『嵐』を観るのは初めてである。事前に手元の福田恒存訳の戯曲を読んだ。今回の翻訳は、シェイクスピアの翻訳初挑戦の33歳の小田島創志である。彼の父は小田島恒志、祖父はあの小田島雄志だ。文学に一子相伝などないだろうが、伝統芸能のようにも見えて面白い。

 戯曲を一読したとき、他愛ない古典コメディに思えた。陰謀によって離島に流された領主(ミラノ公プロスペロー)が魔法を修得して復讐を果たす話である。妖精を使って嵐を起こし、悪人たちの乗った船を難破させて離島に導く。プロスペローが妖精を駆使して怪現象などで人々を自在に操るところに面白さがある。

 戯曲を読んだ後、ヘンな終わり方だと思った。プロスペローは最後に魔法のマントを手放し、元のフツーの人に戻り、皆とともに島を離れる船に乗る。それで大丈夫なのかと、気になった。許した敵方がまた陰謀を図るのではと心配だ。

 舞台を観て、このコメディの結末は「赦し」を強調していると感じた。祝祭劇に近い。だから、さよなら公演にふさわしいのだろう。俳優座劇場70年の歴史のなかで『嵐』の上演は今回が初めてだそうだ。

 舞台装置はいたってシンプルだった。素の舞台空間に、大道具で使用する平台(教卓みたいな台)や箱馬(踏み台みたいな箱)があるだけだ。木製の平台や箱馬には「俳優座劇場」の刻印がある。これらの道具と空間が、さよなら公演のもうひとつの主役だったようだ。

ポリスの誕生から衰亡までを分析した『白熱する人間たちの都市』2025年04月11日

『白熱する人間たちの都市:エーゲ海とギリシアの文明(地中海世界の歴史3)』(本村凌二/講談社選書メチエ)
 ローマ史家・本村凌二氏がオリエント史からローマ史に至る4000年の文明史を語る『地中海世界の歴史(全8巻)』。その第3巻を読んだ。

 『白熱する人間たちの都市:エーゲ海とギリシアの文明(地中海世界の歴史3)』(本村凌二/講談社選書メチエ)

 このシリーズの第1巻『神々のささやく世界』はオリエント文明の発祥からアッシリア帝国以前のBC1000年頃まで、第2巻『沈黙する神々の帝国』はアッシリア帝国とアケメネス朝ペルシアが盛衰するBC1000年頃からBC300年頃までを語っていた。

 それに続く本書『白熱する人間たちの都市』はエーゲ文明に始まるギリシア文明の話である。時代はBC2000年頃からBC300頃までと長い。時間的には第1巻、第2巻に重なる。第1巻、第2巻で、メソポタミアを中心にイラン、アナトリア、シリア、エジプトなどに及ぶオリエント世界の歴史を眺め、それを踏まえてオリエント文明の西の辺境とも言えるギリシア文明を第3巻で語るという趣向である。

 ギリシアから見ればオリエント世界は圧倒的な先進地帯だった。ギリシアがオリエント世界から影響を受けているのは確かだが、ギリシア文明を自分たちのルーツと見なす西欧人はギリシア文明の独自性にウエイトを置く傾向があるようだ。

 「オリエントの優越性や先進性は古代ギリシア人には周知だった」と指摘した『ブラック・アテナ』(M・バナール)に言及した著者は、バナール説は日本人には理解しやすいと指摘している。古代のオリエントを中国、ギリシアを日本と見れば納得できるというのである。そのうえで、オリエントの影響とギリシアの独自性のどちらに重きをおくかは識者によって千差万別だとしている。

 ペルシア・ギリシア戦争の頃のギリシアについては「ペルシアの優越性が、どれほどギリシア人の庶民生活のなかで感知されたいたかとなると、はなはだ心もとない気がする」と述べているので、必ずしもバナール説を支持しているわけではなさそうだ。

 第1巻、第2巻と同じように、本書はいわゆる通史ではない。古代世界に生きた人々の心性の推移を探る心性史である。ギリシア文明の心性を探るこの巻は、ギリシアの心性の独自性に着目している。

 ホメロスが書いたと言われる『イリアス』と『オデュセイア』の分析が面白い。『イリアス』から『オデュセイア』に至る過程で神のふるまいに変化があり、それは人間の感性の変化を映しているとの指摘である。オデュセウスは、目標達成のためには知力のかぎりを尽くし、策略を平然と実行する。それが、新しいタイプの人間の出現だとの指摘に、ナルホドと思った。先日読んだ『アンナ・コムネナ』で、アンナが父アレクシウス1世をオデュセウスに例えているのを想起した。

 著者は、ギリシアにおけるポリスの誕生から衰退までを心性史の視点で描いている。それは「自由人」という自意識の誕生に始まり「傲慢(ヒュブリス)」から「報い(ネメシス)」に至るダイナミックなギリシア悲劇である。とても面白い。

 民主政につての多面的な分析も面白い。平等の徹底という意味では軍事大国スパルタこそが民主主義を実現した国制だとの指摘に驚いた。

 また、奴隷への言及も興味深い。プラトンやアリストテレスなどの哲人も「自然による奴隷」「生まれながらの奴隷」の存在を当然とてしていた。奴隷を「劣等な異民族」と見なしていたらしい。著者は「ギリシア人の心性と文明は奴隷制の上に成り立っていた」としたうえで「第二次世界大戦以前の近代史にあっても、国民国家の宗主国と植民地帝国の異民族支配が表裏一体をなしていたことに気づく」と述べている。古代史の課題が近代史でも克服できていなかったのである。

 『地中海世界の歴史』はすでに第6巻が刊行されたようだ。今すぐ続きの巻を読む元気はない。マイペースでボチボチ読んでいこうと思う。

ディープな歴史コミック『アンナ・コムネナ』に驚愕2025年04月08日

『アンナ・コムネナ(1)~(6)』(佐藤二葉/星海社COMICS/星海社)
 先月(2025年3月17日)の朝日新聞で、コミック『アンナ・コムネナ』完結の記事に遭遇したときは驚いた。数年前から気がかりなコミックだったのだ。「アンナ・コムネナ」を検索するとこのコミックが出てくる。アマゾンの「サンプル読み」で第1巻の冒頭部分を読み、マイナーな歴史を少女マンガの語り口で大胆かつマニアックに記述するアンバランスに驚いた。購入しようかなと思いつつも、あまりに少女マンガなので、後期高齢男性の私は躊躇していた。

 新聞記事によれば、2021年に第1巻が出た『アンナ・コムネナ』が今年2月に完結したそうだ。作者の佐藤二葉氏はギリシア悲劇を大学院で専攻した人で、アンナ・コムネナが著した史書『アレクシアス』の邦訳が2019年に出たのをきっかけに、このコミックを執筆したという。ビザンツ史家の井上浩一氏も時代考証の相談に乗っているそうだ。そんなコミックなら読むしかない。

 私が先日、井上氏の『歴史学の慰め:アンナ・コムネナの生涯と作品』を読んだのは、実はこの記事がきっかけである。アンナ・コムネナに関しては断片的な知識しかないので、コミックを読む前に評伝を読もうと思ったのだ。この評伝に続いて、いよいよコミック全6巻を読んだ。

 『アンナ・コムネナ(1)~(6)』(佐藤二葉/星海社COMICS/星海社)

 ディープな歴史を扱った少女マンガである。ビザンツ史に関心のある私には、とても面白かった。歴史書で目にする人名や地名が具体的な姿で現前するのに感動した。もちろんフィクションの部分もあるだろうが、歴史の現場をイメージできて楽しい。

 この歴史絵巻コミックは、ギャグ、ラブコメ、フェミニズムなどの要素を盛り込んだ宮廷ホームドラマであり、成長物語である。姉・弟(アンナとヨハネス)の確執と夫婦愛(アンナとニケフォロス・ブリュエンニオス)を軸に物語が進行する。史実と思われる事項をベースに奔放な想像力で物語を紡いでいく作者の力量に感服した。なるほど、そういう解釈もあり得るのかと感心する箇所もいくつかあった。

 こんなテーマのコミックが存在することに、日本のコミック恐るべしの感を新たにした。本書を読むと、『アレクシアス』にも取り組まねばという気になってくる。2019年に邦訳が出た『アレクシアス』は、かねてから気がかりな本だが、その価格(8000円)とボリュームにたじろいでいるのだが…。

別役劇『メリーさんの羊』はミステリー風の夢幻劇2025年04月06日

 下北沢の小劇場楽園で山の羊舎公演『メリーさんの羊』(作:別役実、演出:山下悟、出演:山口眞司、清田智彦、白石珠江)を観た。別役劇である。戯曲は未読だが、鉄道模型が「メリーさんの羊」を歌いながら走る芝居だと聞いた気がする。

 小劇場楽園は50程の客席が角度90度で二つに分かれ、四角い舞台の2辺が客席に面している。変形舞台だが、客と役者の距離が近いのが小劇場ならではの魅力だ。

 舞台には大きな食卓があり、紅茶のカップやポットなどがやや雑然と置かれている。食卓の上には鉄道模型のレールが敷かれ、列車が周回している。駅員の服装をした高齢の男が現れ、笛を吹くと列車は止まる。この男が主人のようだ。しばらくして、トランクを持った旅行者風の若者が登場する。

 主人の男は元駅員である。男と若者のおかしな会話で芝居は進行する。男は多くの死者が出た過去の重大鉄道事故の思い出を話す。鉄道模型の駅にホームに立つ人形と現実の人間が錯綜してくる。不条理劇というよりはミステリーに近い。

 模型の列車が走るテーブルの上の世界は、男の脳内世界が外部化されたように見えてくる。それは牧歌的なメルヘン風景の世界であり、そこに不気味な情景が二重写しになる。夢幻の世界とはこんな世界だという気がしてくる。

 模型の列車がメリーさんの羊を歌いながら走るシーンはなかった。私の勘違いだったようだ。若者が去った後、テーブルの上を周回する列車を眺めながら、男はメリーさんの羊の冒頭を低く口ずさむ。

『アンナ・コムネナの生涯と作品』は歴史学への愛の書2025年04月04日

『歴史学の慰め:アンナ・コムネナの生涯と作品』(井上浩一/白水社/2020.7)
 ビザンツ帝国のコムネノス朝初代皇帝アレクシオス1世の長女、アンナ・コムネナ(1083-1153/4頃)は興味深い人物である。私はギボンの『ローマ帝国衰亡史』をボチボチと再読中で、それに関連してビザンツ史の一般書を、この数年で何冊か読んできた。そこでしばしば遭遇するのが、皇女アンナ・コムネナである。

 皇帝の娘であるアンナは自分こそが次期皇帝にふさわしいと考えていた。自分が無理なら夫を皇帝にしたいと思った。しかし、アレクシオス1世を継いで皇帝になったのは弟のヨハネス2世だった。アンナはヨハネスと対立し、政争に敗れ、後半生は歴史家に転身し、父の業績を綴った史書『アレクシアス』を書き上げる。ギボンをはじめビザンツ史を語る史書の多くは『アレクシアス』を引用している。

 そのアンナ・コムネナの伝記をビザンツ史家の井上浩一氏が書いていると知った。

 『歴史学の慰め:アンナ・コムネナの生涯と作品』(井上浩一/白水社/2020.7)

 井上氏の著書は、これまでに『ビザンツとスラブ』(世界の歴史11)、『生き残った帝国ビザンティン』(講談社学術文庫)、『ビザンツ皇妃列伝』を読んだ。どれも面白かった。文章が洒脱で読みやすい。本書も面白いだろうと予感して読み始めた。予感した以上に面白い歴史書だった。感動した。

 本書は「第1部 生涯」「第2部 作品」から成る。第1部はアンナの伝記、第2部は彼女の著書『アレクシアス』の検討と評価である。井上氏は「あとがき」で、「楽しい歴史の旅へと誘ってくださったアンナ・コムネナさんに本書を捧げたいと思います」と述べたうえで、次のように語っている。

 〔第1部「生涯」の冒頭を読んだだけで、アンナさんはこうおっしゃるかもしれません。「井上さん、違いますよ。そんなつもりではありません。」私のお答えはふたことです。「いえいえ、アンナさん、自分のことはわからないものです。どうか、最後まで読んでください。〕

 アンナ贔屓と明言する著者のアンナへの思い入れが伝わってくる。『アレクシアス』はさまざまに評価されてきた歴史書である。敬愛する父親への称賛や自身の感情吐露があり、歴史書らしからぬ部分が批判されたりもする。著者は、そんな批判を歴史家の眼で検討したうえで、アンナの生涯の多様な場面を印象深く推測し、その作品を名著と高く評価している。

 『アレクシアス』はアンナの自分語りをまじえた歴史書である。それ故に歴史書らしくない歴史書になっている。著者はそれを「越境する歴史学」ととらえている。そして本書には、アンナにならって著者の自分語りが随所に登場する。「このあたり、アンナの文を正確に訳す自信は私にはない」「私にはその勇気はないが、歴史学に限らず、どんな分野でも新たな可能性は越境行為にあるのではないか」などの言説に、書斎派を自認する歴史学者の矜持と自信を感じた。

 アンナが皇帝あるいは皇后をめざして策動したか否かは不明である。『アレクシアス』の本文中で、アンナは繰り返し泣き、自分の不幸を嘆いているそうだ。だが、この歴史書を書くことで自分の不幸は慰められ、生きる力を得た、と著者は見ている。本書における著者のアンナへの眼差しに、歴史学者が歴史学者を観る慈愛を感じた。

2年ぶりにジャガイモの植え付け2025年04月02日

 近頃は八ケ岳南麓の山小屋に行くのが億劫になり、たまにしか行かない。3月末、数カ月ぶり(今年初めて)に行き、ブルーベリーを剪定し、枯草と落ち葉に覆われた畑を少し耕した。その日の夜は足が吊りそうになり、翌日は腰痛だった。

 畑を耕したのはジャガイモ植え付けの準備である。現地のホームセンターの種イモ売り場に「現品限り。入荷予定なし」とあったので、あわてて種イモを買ってしまったのである。昨年はグズグズしていて、ジャガイモの植え付け時期を逸した。一昨年のジャガイモ植え付けの時には、いつまで続けようかと思案した。昨年の「見送り」を機にフェイドアウトかなと思っていたのに、つい種イモを買ってしまった。

 種イモを東京に持ち帰って保管し、先日、また山小屋に行き、ジャガイモの植え付け作業をした。事前に少し耕していたとは言え、3列の畝作りはかなりの労働である。腰を労りながらのんびりと作業を進め、何とか種イモの植え付けが終了した。

 今後は芽かきや追肥などの作業をしなければならない。農作業が好きなわけでないのに墓穴を掘ってしまった。