済州島四・三事件を題材にした『別れを告げない』は幻想譚2025年01月09日

『別れを告げない』(ハン・ガン/斎藤真理子訳/白水社)
 ハン・ガン(2024年ノーベル文学賞)の『菜食主義者』『少年が来る』に続いて次の長編を読んだ。

 『別れを告げない』(ハン・ガン/斎藤真理子訳/白水社)

 先月読んだ『少年が来る』は光州事件を題材にしていた。2021年に発表した本書は、済州島四・三事件を扱っている。私には未知の事件なので、事前にネットで検索し、この虐殺事件のあらましを調べた。

 済州島四・三事件とは、李承晩政権下の1948年4月3日に済州島で起こった島民蜂起をきっかけに発生した一連の島民虐殺事件である。犠牲者数は1万数千人から8万人まで諸説あり、済州島の村々の70%が焼き尽くされたそうだ。恐怖から多くの住民の島外へ脱出し、島の人口は約28万から一時は3万人弱にまで激減したという。

 本書巻末の「訳者あとがき」にも、かなり詳細な事件の解説が載っている。それによれば、この事件は「大韓民国の建国を妨害しようとした共産暴動」とされ、多数の無実の民間人が国家公権力によって虐殺された事実は隠ぺいされた。沈黙を強いられた虐殺事件となったのだ。

 この小説は済州島四・三事件をストレートに描いているわけではない。設定は現代であり、この事件を体験した世代の娘が、父や母の体験を追憶する話である。この娘は私の友人である。私は作家である。K事件(光州事件だろう)の本を書いて精神的に疲弊している。友人は元・映像作家で、現在は済州島に工房をもつ家具職人になっている。著者を連想させる私と友人の奇妙な絡みで物語が進行する。

 かなりニューロティックで、ぞくぞくする話である。幻想的でもある。途中から私と友人が生きている人物なのか霊魂なのか定かでなくなってくる。こんな形の小説になっているのは、「追憶」という行為の難儀を表しているのかもしれない。

 『別れを告げない』というタイトルも不思議である。小説のなかには次のような会話がある。

 「別れの挨拶をしないだけ? 本当に別れないという意味?」
 「完成しないということかな、別れが?」

 追憶や追悼に終わりはない、ということのようだ。