半世紀以上前の『文明の生態史観』を再読した2024年06月21日

『文明の生態史観』(梅棹忠夫/中央公論社/1967.1.20初版,1967.10.20 10版)
 Eテレの『3か月でマスターする世界史』の講師・岡本隆司氏の『世界史序説』が、梅棹忠夫の「生態史観」を援用して世界史を解説していた。テレビ番組でも「梅棹・文明地図」を紹介していた。

 『文明の生態史観』を読んだのは半世紀以上昔の大学生の頃だ。内容の大半は失念している。すでに過去の遺物のように感じていた「生態史観」が現在でも注目されていると知り、書架の奥から古い本を探し出して再読した。

 『文明の生態史観』(梅棹忠夫/中央公論社/1967.1.20初版,1967.10.20 10版)

 読み返しながら、半世紀以上昔の初読のときに抱いた感想をかすかに思い出した。日本と西欧は高度文明の第一地域、西欧以外のユーラシア大陸は近代化が遅れた第二地域とする見解に、日本人の自尊心をくすぐる考え方だと驚いた。それだけである。日本人論として読んだのだと思う。本書で著者が嘆いている受け取り方である。若輩の私は世界史や生態学への知見や関心が乏しく、そんな読み方しかできなかった。

 『文明の生態史観』の文章はやさしいが、概念をきちんと把握するのはやさしくない。人類の歴史をある程度把握していないと生態史観が提示したイメージを得心できない。私は今回、岡本氏の『世界史序説』を読んだうえで本書を再読したので、ナルホドと思いながら読み進めることができた。

 あらためて驚いたのが、「生態史観」を提示した時期の古さだ。「文明の生態史観序説」の発表は「中央公論」1957年2月号、75歳の私が小学2年生のときである。この論文を中心にした『文明の生態史観』が出版されたのは10年後の1967年、私は大学生になっていた。

 「生態史観」が世に出た1957年は60年安保以前、日本の高度成長前夜である。執筆当時、日本はまだ国連に加盟していない(本文で国連加盟に触れている)。そんな時期に、生態学的な観察をふまえて日本と西欧だけが高度文明国だと考察したのだから驚く。慧眼である。

 本書を読みながら「第一地域」「第二地域」という命名は逆の方がわかりやすいと感じた。文明が発生し、いくつもの帝国が興亡したユーラシア大陸の主要部を「第一地域」、主要部の東西の辺境にあったが故に他に先駆けて近代化したのが「第二地域」(日本と西欧)とすれば歴史の流れが反映される。

 とは言え、梅棹忠夫は歴史学者ではなく生態学者である。生態学の視点で世界の現状を捉えようとすれば、やはり高度文明国を「第一地域」とするべきかもしれない。