座談拝聴気分になる『オランダ紀行』(司馬遼太郎)2023年07月03日

『オランダ紀行:街道をゆく35』(司馬遼太郎/朝日文庫)
 先々月、あるきっかけで『物語オランダの歴史』(中公新書)を読み、この国への親近感がわいた。司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズにオランダがあると知り、古書で入手して読んだ。

 『オランダ紀行:街道をゆく35』(司馬遼太郎/朝日文庫)

 1989年9月から10月にかけての16日間の紀行を、週刊朝日に連載(1989年12月~1990年8月)したものだ。バブル景気の時代である。好況と紀行は無関係だが、当時の明るさの反映を感じる。バブル時代とは言え、16日間の旅行記が37回連載(9カ月)とは、かなり膨らんでいる。

 本書は単なる紀行文ではない。現地で出会った人々との交友録・人物評であり、広範な歴史談義である。話題は奔放に広がる。著者の楽しい座談を聴いている気分になる。

 それにしても、終盤の7回にわたるゴッホ談義には驚いた。ゴッホゆかりのニューネンという町への訪問に絡めて、ゴッホの芸術や家族に関する話が延々と続く。著者は後段になって「なおも私はニューネンにいる。フィンセント・ファン・ゴッホについて、なぜこうも思案しているのか、読者に訊かれないうちに、自分に質問したいほどである。」と語っている。自覚が面白い。

 著者の本領は、やはり歴史談義である。切れ味のいい見立てが秀逸だ。「司教というのは(…)十万石以上の譜代大名にやや似ている」「オランダ史は、不撓ながら百敗の歴史である。(…)百敗するのは当然で、人口がすくなすぎたのである。それに平地がほとんどで、スイスのような天嶮がないため、寡をもって衆にあたるのが不可能な国だった」などなど、炯眼に感服した。

 オランダの北部(プロテスタント)と南部(カトリック)では、気質や雰囲気が違うそうだ。現地の空気が伝わってくる紀行文のおかげで、それを実感できた。

 江戸初期以来、日本とオランダの関係は深い。当然に著者は日蘭交流について多く語っている。私は榎本武揚ファンなので、幕末にオランダ留学した榎本への言及を期待した。彼と共に留学した赤松則良、西周、津田真道に触れているのに、肝心の榎本は登場しない。司馬遼太郎にとって榎本武揚は関心外の人物だったのだろうか。