『サロメ』を現代に置き換えた『サロメ奇譚』は不思議な舞台 ― 2022年03月24日
東京芸術劇場シアターイーストで『サロメ奇譚』(原案:オスカー・ワイルド、脚本:ペヤンヌマキ、演出:稲葉賀恵、出演:朝海ひかる、松永玲子、牧島輝、ベンガル、他)を観た。
サロメと言えば、まずはモローの『出現』が頭に浮かぶ。半裸のサロメが宙に浮かぶ生首を指さして睨んでいる恐ろしげな絵画である。サロメについては、この絵画に関する簡単な解説程度の知識しかなかったので、観劇に先立ってワイルドの『サロメ』(平野啓一郎訳、光文社古典新訳文庫)を読んだ。
本公演のチラシには「『サロメ』を、現代に置き換え描いた、とある一家での一晩の出来事。」とある。『サロメ』は、キリスト教誕生の時代のユダヤのヘロデ王の宮殿を舞台にした芝居である。それを翻案した『サロメ奇譚』のヘロデ王は風俗チェーン店の社長という設定になっている。社長邸宅での社長の誕生パーティではマグロの解体ショーが行われている。
…と書くと、現代の成金富裕層の家族の物語に見えるが、それほどリアルに現代化しているわけではない。社長は王冠を被ってマントを羽織っている。マグロを解体する社員は裃をつけてズボンに刀を差している。首に天草四郎みたいなヒダ襟を巻いている社員もいる。時代や場所が混乱したパロディに近い舞台なのである。
サロメが預言者の首を所望するという異常な話なので、こんな形の方がしっくりくるのだと思う。
設定を現代化するにあたって、いろいろ面白い工夫がほどこされている。とは言っても、大筋は原作通りであり、現代の家族の話としてはかなり違和感がある。現代に置き換えることによって違和感を露呈させるのがねらいかもしれない。確かに衝撃度は高まり「奇譚度」が増す。
サロメと言えば、まずはモローの『出現』が頭に浮かぶ。半裸のサロメが宙に浮かぶ生首を指さして睨んでいる恐ろしげな絵画である。サロメについては、この絵画に関する簡単な解説程度の知識しかなかったので、観劇に先立ってワイルドの『サロメ』(平野啓一郎訳、光文社古典新訳文庫)を読んだ。
本公演のチラシには「『サロメ』を、現代に置き換え描いた、とある一家での一晩の出来事。」とある。『サロメ』は、キリスト教誕生の時代のユダヤのヘロデ王の宮殿を舞台にした芝居である。それを翻案した『サロメ奇譚』のヘロデ王は風俗チェーン店の社長という設定になっている。社長邸宅での社長の誕生パーティではマグロの解体ショーが行われている。
…と書くと、現代の成金富裕層の家族の物語に見えるが、それほどリアルに現代化しているわけではない。社長は王冠を被ってマントを羽織っている。マグロを解体する社員は裃をつけてズボンに刀を差している。首に天草四郎みたいなヒダ襟を巻いている社員もいる。時代や場所が混乱したパロディに近い舞台なのである。
サロメが預言者の首を所望するという異常な話なので、こんな形の方がしっくりくるのだと思う。
設定を現代化するにあたって、いろいろ面白い工夫がほどこされている。とは言っても、大筋は原作通りであり、現代の家族の話としてはかなり違和感がある。現代に置き換えることによって違和感を露呈させるのがねらいかもしれない。確かに衝撃度は高まり「奇譚度」が増す。
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