中原清一郎(外岡秀俊)の『カノン』は不思議なSF2022年01月13日

『カノン』(中原清一郎/河出文庫)
 年明けの朝刊に外岡秀俊氏の訃報が載っていた。1976年、東大在学中に『北帰行』で文藝賞を受賞するも、作家の道には進まず1977年に朝日新聞社に入社、記者としてのキャリアを積み上げ編集局長を務めた後、早期退職した人である。私より5歳下で享年68歳だった。

 1976年、私は社会人3年目の27歳だった。外岡氏の受賞作を掲載した「文藝 1976年12月号」はいまも書架に残っている。小説の内容はほとんど失念しているが強烈な印象は残っている。共感はしなかったが感心した。難しい漢字が多い生硬な文章から「生真面目さ」が伝わってきた。「新しい作家」とは感じなかったが不思議な迫力に圧倒された。

 同じ1976年、外岡氏の受賞の半年前、武蔵野美大在学中の村上龍氏が『限りなく透明に近いブルー』で群像新人賞を受賞し、鮮烈にデビューした。村上龍氏には「新しい作家」を感じた。

 外岡秀俊氏の訃報に接した後、彼が新聞社退職後に中原清一郎という名で小説を発表していたと知った。どんな小説を書いたのだろうと興味がわき、次の文庫本を入手して読んだ。

 『カノン』(中原清一郎/河出文庫)

 読みだしたらやめられず一気に読んだ。人の精神と肉体が入れ替わるという、よくあるパターンの話でエンタメに近いが、かなりシリアスである。「あの『北帰行』の作家が捌けたものだ」という感慨と「やはり『北帰行』の作家だな」という印象がないまぜになる。

 2014年発表のこの小説は近未来小説である。脳間海馬移植手術が実現した社会で、日本で2例目のその手術を受ける人を描いている。超常現象による精神と肉体の交換ではなく、さまざまな医学的課題や法的課題をクリアした上で、人の記憶を司る海馬を手術で交換するという設定がSFとしても面白い。本人同士の意思で精神と肉体の交換ができるのがミソだ。

 末期がんで死を宣告された人が自分の意識(記憶)を健康な肉体に移植して延命したいと願うのはわかる。しかし、健康な肉体を提供して、自分の意識(記憶)を死に行く肉体に移植したいと思う人がいなければ脳間海馬移植手術は成立しない。そんな人がいるだろうか。

 この小説では、記憶が直近の過去から遠い過去に向かって次第に消えていくという病(海馬の障害)に冒さされた32歳の女性(夫と4歳の息子がいる)が、今後の息子の養育を考えて移植を希望するという設定である。かなり無理筋だと思うが、著者はそれを説得的にていねいに書き込んでいる。

 海馬交換の相手は 58歳の男性、広告代理店の部長代理で余命1年と宣告されている。つまり、32歳の女性の肉体に58歳の男性の精神が入り、幼い子供と夫のいる家庭生活を始める物語である。かなりキツイ話だ。

 ドタバタ喜劇になってもおかしくない状況である。それを真面目に厳粛に展開し、感動的な物語に仕立てている。作家の力量を感じる。たいしたものだと感心した。

 この小説がどの程度まで最近の脳科学をふまえているかはよくわからない。脳の働きは脳だけで完結できるものではなく末端器官との連関に支えられていて、人の意識や心がどのように発生するかは不明という考えに基づいているように思われる。興味深いテーマである。惜しい作家が早逝したと悔やまれる。