きだみのるという厄介で面白い老人がいた2021年10月11日

『漂流怪人・きだみのる』(嵐山光三郎/小学館)
 散髪に行くと床屋(高校同級の友人である)が時々、読み終えた本を貸してくれる。「お客さんからもらった本だから返さなくていいよ」と押し付けられたのが次の本だ。

 『漂流怪人・きだみのる』(嵐山光三郎/小学館)

 「気違い部落」のきだみのるの名は知っているが著書を読んだことはない。本書は編集者としてきだみのると親交があった嵐山光三郎氏の回想録である。きだみのるがこんなにもブッ飛んだ怪人だとは知らなかった。頭がクラクラしそうなシーンが頻出する。

 1975年に80歳で没したきだみのるは、戦前にフランスで人類学・社会学を学び、パリからモロッコを周遊して1943年に帰国する。嵐山氏は次のように書いている。

 《きだみのるが帰国した昭和18年は戦争のまっただなかにあった。招集されて戦地に送られる兵が多かった時代に、外地から帰国した人というのも珍しい。住むところがないため、恩方村(現:八王子市)に疎開して、廃寺(医王寺)にひそんでいた。日本敗戦の昭和20年、きだみのるは50歳であった》

 戦後、『気違い部落周游紀行』がベストセラーになり、きだみのるは有名人になるが、各地に寄宿する漂流生活を続ける。嵐山氏が雑誌への執筆依頼できだみのるに初めて会ったのが1970年、きだみのる75歳、嵐山光三郎28歳のときである。劇団の稽古場の一室に「厄介者」として居住していた。ごみ屋敷のような部屋のさまが凄まじい。

 その出会いから逝去までの5年間(75歳から80歳)を、約40年後、嵐山氏が70歳を過ぎてから綴ったのが本書である。

 この回想録に綴られる75歳を過ぎた漂流老人のパワーには圧倒される。オンボロ車で全国各地の知人・信奉者宅を巡り、最初は歓待して泊めてくれた人も、きだみのるの身勝手に音をあげて、次回からは敬遠するようになる。でも、きだみのるは地方の名士を籠絡する術を心得ていたそうだ。嵐山氏は「それは流浪する人間が体得した本能のように思えた」と述べている。

 きだみのるは謎の美少女「ミミくん」(実は、きだみのる68歳のときにできた娘)連れ歩いている。この娘を巡る後半の話にも驚いた。三好京三の直木賞受賞作『子育てごっこ』(私は未読)は、この娘の話だそうだ。その後のスキャンダルなども紹介しているが、往時茫々だ。