三島由紀夫の『禁色』に古典を感じた2020年12月20日

『禁色』(三島由紀夫/新潮文庫)
 佐藤秀明氏の『三島由紀夫』(岩波新書)を読んで、未読の三島作品が気がかりになり、本棚に眠っていた『禁色』を読んだ。

 『禁色』(三島由紀夫/新潮文庫)

 同性愛を題材にした千枚を超える長編である。この文庫本を購入したのは30年ほど前だと思う。当時、三島由紀夫との同性愛暴露で話題になった『三島由紀夫―剣と寒紅』(福島次郎)読んだのを機に、同書が言及していた『禁色』を読み始めた。だが、冒頭の何ページかで挫折したままだった。

 今回は挫折することなく面白く通読できた。老作家がゲイの美青年を使って自分を裏切った女性たちへの復讐を企てる話である。ストーリーが面白いというより、精神・肉体・芸術・美・死などをめぐる観念的な議論が奔放に展開される心理劇に眩惑される。ホモ・セクシャルの人々の世界を描いた風俗小説の趣もある。

 この小説の前半は『群像』に連載、後半は『文学界』に連載、前半の連載と後半の連載の間に、三島由紀夫は4カ月(1951年12月25日~1952年5月8日)の世界一周旅行をしている。26歳から27歳にかけての初の海外旅行で、帰国後には『アポロの杯』という紀行記を朝日新聞社から刊行している。『禁色』は長期の海外旅行をはさんで20代後半に書いた長編なのである。あらためて、その若さに驚く。20代の青年作家が老作家の心理を観念的ではあるが抉るように描写するのに舌をまく。

 当初は第1部(前半)、第2部(後半)に分けて刊行された作品なので、前半と後半の間に多少の隔絶がある小説かと思っていたが、通読すると、一つのまとまった長編であって、どこに前半と後半の区切りがあるかもわからなかった。

 佐藤秀明氏は『三島由紀夫』のなかで、同性愛を題材にした二つの作品について次のように述べている。

 「二〇世紀後半の性の解放によって、性の“禁制”が希薄になり、秘するがゆえの性の充足感は減退した。LGPTの存在を社会的に認知することになった状況では、『仮面の告白』や『禁色』の緊張感は弛緩せざるを得ず、この方向は巻き戻せない。」

 指摘の通り、この小説で表現されている同性愛や出産に関する記述は時代離れしている。また、作者が意識していたかどうかはわからないが、米軍占領下の日本社会が反映されている。占領下の当時、パスポートはなくマッカーサーの署名入り旅行許可証が必要だったそうだ。本書執筆途中に海外旅行をした三島由紀夫はツテを頼って朝日新聞特別通信員として旅行許可証を取得したそうだ。

 私は学生時代に三島由紀夫を同時代作家として読んでいたが、いまの時点で読んだ『禁色』に同時代意識を感じることはできない。でも、面白さを堪能することはできた。この面白さは、たとえて言うなら、19世紀のバルザックの小説のような面白さである。社会様相や倫理観が現代とは多少異なる世界を表現していても、それによって小説の面白さや魅力が減衰するわけではない。

 時代を経ても魅力が減衰しない作品は古典になる。『禁色』を読んで、私には同時代作家だったはずの三島由紀夫が早くも古典になりつつあるような気がした。終章のタイトルを「大団円」としているのも古典っぽい。