全11段完全通しを観る準備に『仮名手本忠臣蔵を読む』を読んだが…2016年10月16日

『仮名手本忠臣蔵を読む』(服部幸雄編/吉川弘文館)
 国立劇場は開場50周年記念で『仮名手本忠臣蔵』全11段を3ヶ月連続完全通し上演する。10月は大序から4段目まで、11月は7段目まで、12月は11段目までの上演だ。全11段を観る機会はあまりないと思い、3ヶ月の通しチケットを購入した。で、忠臣蔵気分を盛り上げるため、未読のまま放置していた次の本を読んだ。

 『仮名手本忠臣蔵を読む』(服部幸雄編/吉川弘文館)

 2007年に75歳で逝去した歌舞伎研究家・服部幸雄氏の最後の本である。11人の学者・評論家の論考を集成した本で、編者である服部氏は冒頭の「仮名手本忠臣蔵とその時代」を執筆している。この文章の最後の方に「忠臣蔵文化」という言葉が出てくる。赤穂事件と仮名手本忠臣蔵をベースに大衆の熱烈な要望に応える形で製作されてきた多様な文物を「忠臣蔵文化」と名付け、次のように結んでいる。

 《「忠臣蔵文化史」には、江戸時代以来の歌舞伎の歴史の流れと併走してきたような性格があり、その意味で「忠臣蔵」と「忠臣蔵文化」の歴史は、時代の大衆の心性とともに「かぶいて」きたといってもよい。二十一世紀にあってもなお時代とともにかぶき、新時代の文化の中にあくなき創造をつづけるだろうと思っている。》

 私は忠臣蔵ファンなので「忠臣蔵文化」という言葉に納得した。言われてみれば、私たちが時おり触れる忠臣蔵に関するあれやこれやを「忠臣蔵文化」という総称で眺めると見晴らしがよくなる気がする。

 そう思いつつ本書のいろいろな論者の文章を読み進め、末尾近くで「忠臣蔵の近代」(神山彰)という文章に出会い、ハッとした。私が意識下に感じていたことに光が当てられた感じがしたのだ。

 神山彰氏は1950年生まれの大学教授(近代日本演劇)で、私より2歳下のほぼ同世代だ。神山氏はNHK大河ドラマの『赤穂浪士』が放映されていた中学生の頃、東横ホールで『仮名手本忠臣蔵』を観て「物足りない」「変なもの」という感想をもったそうだ。

 その感想に続く神山氏の次の文章が面白い。

 《そこには映画の「忠臣蔵」で得ることのできるような満足感がなかった。しかし、その後、参考書を読んだり、何度も見返すうちに、その当初の貴重な感情は忘れてしまい、『仮名手本』を基準として月旦する、幾らもいる凡庸な「歌舞伎好き」になってしまったのである。》

 私が忠臣蔵の物語を知ったのが何歳の頃かは定かでない。桃太郎や猿蟹合戦と同じように幼少期に刷り込まれたような気がする。中学生の頃に大河ドラマ『赤穂浪士』を観ながら「また忠臣蔵だ」と感じていたように思う。

 『仮名手本忠臣蔵』を意識したのは丸谷才一氏の『忠臣蔵とは何か』を読んだ頃だから、三十代半ばだ。この本を読んだ少し後、歌舞伎座で『仮名手本忠臣蔵』を昼夜通しで観た。観劇の前に台本も読んでいたので「変なもの」であることは承知していて、それを「変なもの」と明に意識することはなかった。丸谷才一氏の著作をはじめとする多様な情報により「これこそが忠臣蔵だ」と思い込んでいたからだ。

 だが考えてみれば、私が面白いと感じてきた忠臣蔵のエピソードの多くは『仮名手本忠臣蔵』には登場しない。たとえば次のようなエピソードである。

 ・勅使饗応準備で一晩で畳替えをする話
 ・大石内蔵助が偽名で投宿し、偽名の本人と鉢合わせする話
 ・町人に見をやつした浪士たちの諜報活動(図面入手など)
 ・大高源五の俳句で其角が討ち入りを察知する場面
 ・大石内蔵助と瑤泉院の「南部坂の別れ」
 ・討ち入りの際、吉良邸の隣家から提灯が差し出される場面
 ・吉良邸救援に向かおうとする上野介の息子を上杉の家老が諫める話

 などなど、挙げ出すキリがない。これらの話の多くは史実ではないが、講談・落語・浪曲などで「実録」「銘々伝」「外伝」として語り継がれ、映画や芝居でも取り上げられてきたものだ。『仮名手本忠臣蔵』にこれらの話がないのは、その多くが『仮名手本忠臣蔵』を補完するものだったからだろう。

 討ち入りの47年後に上演された『仮名手本忠臣蔵』以前にも赤穂事件を題材にした芝居はあったそうだが『仮名手本忠臣蔵』の大ヒットによって、赤穂事件の物語の中心が『仮名手本忠臣蔵』になる。そして、赤穂事件という史実と『仮名手本忠臣蔵』という芝居をベースに多様な忠臣蔵の物語が生み出されてきたのだ。それが「忠臣蔵文化」である。

 本書を読んで、あらためて忠臣蔵の物語の広がりを知ることができた。『仮名手本忠臣蔵を読む』というタイトルは、むしろ『忠臣蔵文化概論』とでも名付けるのがふさわし内容だった。歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』を観る前の景気づけのつもりで本書を読んだのだが、読み終えると『仮名手本忠臣蔵』以外の「忠臣蔵文化」への関心が喚起されてしまった。

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