中野好夫・衰亡史・リコール ― 2016年06月03日
◎『世界史の十二の出来事』を入手して読んだ
あるきっかけで、ドイツ社会民主党の母体を創設した19世紀の政治学者ラッサールについて知りたくなった。ビスマルクの時代には著名人だったようだが、現在の一般向け歴史概説書に取り上げられることは稀で資料は少ない。調べているうちに『世界史の十二の出来事』(中野好夫/ちくま文庫)にラッサールが登場すると知った。
さっそくネットの古本屋で入手して読んだ。私の入手した『世界史の十二の出来事』は1992年発行のちくま文庫版だが、オリジナルは1954年発行のかなり古い本だ。雑誌連載をまとめた歴史読み物で、小説風の表現も散りばめた面白い史談だった。
◎中野好夫の名調子
本書を読みながら、数年前に読んだ『ローマ帝国衰亡史』(ギボン/中野好夫訳)を思い出した。中野節ともいうべき不思議な魅力が共通している。ギボン節と感じた部分には訳者・中野好夫の名調子が反映していたようだ。難解な漢語表現が奔放に出てくるのに明解な歯切れを感じる独特の文体だ。
『ローマ帝国衰亡史』は、訳業の途中で中野好夫氏が他界したため、朱牟田夏雄氏が後を引き継ぎ、その朱牟田氏も逝去し、後半は中野好夫氏の子息・中野好之氏が翻訳している。全巻を読んでもて、中野好夫氏の訳文と後継者の訳文には微妙な違いを感じた。息子に比べて父親は個性が強すぎるとも言える。
◎反骨の人、挫折の人、エキセントリックな人
私の目当てだったラッサールは『世界史の十二の出来事』の第1話「ある非喜劇役者 ラッサールの死」に取り上げられている。中野氏は非理性的な決闘によって落命したラッサールを「フロックコートのドンキホーテ」「社会主義者で、そして出来そこないの貴族」と表現している。「偉人」とは言いかねるが、小説の主人公にしたいような19世紀的な不可思議な魅力をもった人物のようだ。
『世界史の十二の出来事』は、実は十二ではなく十三の出来事を収録している(雑誌記事の数と単行本収録記事の違いによる)。この十三の出来事で取り上げている人物の大半はラッサール同様、高校世界史の教科書には登場しない人物である。その大半は反骨の人、挫折の人、エキセントリックな人であり、それぞれに面白い。この人選に中野好夫氏の嗜好がうかがえて興味深い。共感できる嗜好だ。
◎「中野好夫」から「リコール」を連想
私が初めて中野好夫氏の著作に接したのは、高校1年の時(1964年)に読んだ岩波新書の『アラビアのロレンス』だった。当時、中野好夫という名は新聞や雑誌に登場する論客として高名だった。その後、『ガリバー旅行記』を中野好夫訳で読んだ。あれもヘンな小説である。
調べてみると、中野好夫氏は1948年(私の生まれた年だ)に東京大学英文科の教授になっているが1953年には退官し、在野の評論家・翻訳者になっている。
東大の教官を辞めたといえば、いまの都知事もそうだなあなど思いつつ、中野好夫氏のことを想起しているとふいに「リコール」という言葉が頭に浮かんできた。
◎いまの日本に「中野好夫」は?
現在、舛添都知事は辞任すべきだという意見が多いにもかかわらず、リコールの動きはなさそうだ。東京のような大都市で百数十万規模の署名を集約するのは難しいと言われている。しかし、かつて東京都でリコール運動が盛り上がったことがあり、その代表が中野好夫氏だった。そんな「出来事」が記憶の底からよみがえってきた。
調べてみると、それは1965年の出来事で、都知事ではなく都議会に対するリコール運動だった。汚職事件が相次いだ都議会の解散を求めて中野好夫氏を代表請求人とするリーコルの署名運動が開始された。この運動は新聞でも大きく取り上げられ、リコールによる都議会解散を恐れた都議会は自ら全会一致で都議会解散を決議した。そんな「出来事」が半世紀前にあったのだ。
当時、中野好夫氏は論客としてもシンボルとしても大きな存在だったのだ。現在の日本に中野好夫氏のような存在はいないのだろうか。私が気づいていないだけで、すでに潜在しているならいいのだが、求心力のあるカウンターパワーがないのは心もとない。
あるきっかけで、ドイツ社会民主党の母体を創設した19世紀の政治学者ラッサールについて知りたくなった。ビスマルクの時代には著名人だったようだが、現在の一般向け歴史概説書に取り上げられることは稀で資料は少ない。調べているうちに『世界史の十二の出来事』(中野好夫/ちくま文庫)にラッサールが登場すると知った。
さっそくネットの古本屋で入手して読んだ。私の入手した『世界史の十二の出来事』は1992年発行のちくま文庫版だが、オリジナルは1954年発行のかなり古い本だ。雑誌連載をまとめた歴史読み物で、小説風の表現も散りばめた面白い史談だった。
◎中野好夫の名調子
本書を読みながら、数年前に読んだ『ローマ帝国衰亡史』(ギボン/中野好夫訳)を思い出した。中野節ともいうべき不思議な魅力が共通している。ギボン節と感じた部分には訳者・中野好夫の名調子が反映していたようだ。難解な漢語表現が奔放に出てくるのに明解な歯切れを感じる独特の文体だ。
『ローマ帝国衰亡史』は、訳業の途中で中野好夫氏が他界したため、朱牟田夏雄氏が後を引き継ぎ、その朱牟田氏も逝去し、後半は中野好夫氏の子息・中野好之氏が翻訳している。全巻を読んでもて、中野好夫氏の訳文と後継者の訳文には微妙な違いを感じた。息子に比べて父親は個性が強すぎるとも言える。
◎反骨の人、挫折の人、エキセントリックな人
私の目当てだったラッサールは『世界史の十二の出来事』の第1話「ある非喜劇役者 ラッサールの死」に取り上げられている。中野氏は非理性的な決闘によって落命したラッサールを「フロックコートのドンキホーテ」「社会主義者で、そして出来そこないの貴族」と表現している。「偉人」とは言いかねるが、小説の主人公にしたいような19世紀的な不可思議な魅力をもった人物のようだ。
『世界史の十二の出来事』は、実は十二ではなく十三の出来事を収録している(雑誌記事の数と単行本収録記事の違いによる)。この十三の出来事で取り上げている人物の大半はラッサール同様、高校世界史の教科書には登場しない人物である。その大半は反骨の人、挫折の人、エキセントリックな人であり、それぞれに面白い。この人選に中野好夫氏の嗜好がうかがえて興味深い。共感できる嗜好だ。
◎「中野好夫」から「リコール」を連想
私が初めて中野好夫氏の著作に接したのは、高校1年の時(1964年)に読んだ岩波新書の『アラビアのロレンス』だった。当時、中野好夫という名は新聞や雑誌に登場する論客として高名だった。その後、『ガリバー旅行記』を中野好夫訳で読んだ。あれもヘンな小説である。
調べてみると、中野好夫氏は1948年(私の生まれた年だ)に東京大学英文科の教授になっているが1953年には退官し、在野の評論家・翻訳者になっている。
東大の教官を辞めたといえば、いまの都知事もそうだなあなど思いつつ、中野好夫氏のことを想起しているとふいに「リコール」という言葉が頭に浮かんできた。
◎いまの日本に「中野好夫」は?
現在、舛添都知事は辞任すべきだという意見が多いにもかかわらず、リコールの動きはなさそうだ。東京のような大都市で百数十万規模の署名を集約するのは難しいと言われている。しかし、かつて東京都でリコール運動が盛り上がったことがあり、その代表が中野好夫氏だった。そんな「出来事」が記憶の底からよみがえってきた。
調べてみると、それは1965年の出来事で、都知事ではなく都議会に対するリコール運動だった。汚職事件が相次いだ都議会の解散を求めて中野好夫氏を代表請求人とするリーコルの署名運動が開始された。この運動は新聞でも大きく取り上げられ、リコールによる都議会解散を恐れた都議会は自ら全会一致で都議会解散を決議した。そんな「出来事」が半世紀前にあったのだ。
当時、中野好夫氏は論客としてもシンボルとしても大きな存在だったのだ。現在の日本に中野好夫氏のような存在はいないのだろうか。私が気づいていないだけで、すでに潜在しているならいいのだが、求心力のあるカウンターパワーがないのは心もとない。
『玉砕しなかった兵士の手記』は特異な戦記 ― 2016年06月07日
◎沖縄の古本屋で入手した戦記
沖縄に行くと牧志公設市場の入口にある「ウララ」という古本屋に立ち寄る。沖縄関連の書籍を中心に並べた極小の古本屋だ。先月、そこでカミさんが買った本のひとつが次の本だった。
『玉砕しなかった兵士の手記』(横田正平/草思社)
この本は沖縄戦の本ではない。満州からサイパンやグァムに転戦した兵士の手記だ。日本統治下のサイパンには沖縄からの移住者が多かったから、沖縄との接点がないわけではない。
数年前に亡くなったカミさんの母親はサイパン生まれのサイパン育ちで、子供たちは母親のサイパン話を聞かされながら育ったらしい。だから、カミさんはサイパンへの関心が高く、本書へも手が伸びたようだ。
私には関心外の本だが、読了したカミさんに勧められてパラパラめくり、著者が私の知人の父親だと気づき、そんな興味から読み始めた。途中から引き込まれてしまい、一気に読了した。太平洋戦争の体験を綴った戦記は多いが、本書はかなり特異な戦記だ。
◎死後に公刊された手記
著者の横田正平氏は1912年生まれで1985年に73歳で逝去している。朝日新聞記者を長く勤めた人で、日華事変の頃には従軍記者として中国戦線に赴き、その後1941年に一兵卒として召集された。妻と小さな息子二人を内地に残し、満州からサイパン、グアムへと転戦し、終戦前に米軍の捕虜となる。復員後は朝日新聞社に復帰している。
本書は著者逝去から3年後の1988年に出版されている。遺品の手記を書籍にしたもので、著者が本書の公刊を望んでいたか否かは判然としない。
夫人が執筆した「あとがき」によれば、横田正平氏は生前、戦争の話はしなかったそうだ。出版社から戦争の体験記執筆の依頼があっても固辞し続けたそうだ。この手記は従軍中あるいは捕虜生活中に執筆したものと思われる。戦後になって回想を整理した原稿ではなさそうだ。
◎理性的確信犯的投降
本書の圧巻は、著者が投降を決断し、それを行動に移すまでの件である。捕虜になった人の戦記は多い。そもそも、捕虜にならなかった人の大半は戦死しているのだから、多くの戦記は捕虜になった人の記録である。捕虜になる経緯はさまざまだろうが、著者のように理性的確信犯的投降の記録は特異だ。積極的に捕虜になっても、その経緯を書く人は少なそうに思える。
著者は一人で投降したのではなく、戦友と二人で投降している。ということは、互いに相手を信用して打ち合わせをしている。だから、米軍への投降を決意するに至る考えをがかなり明確に描いている。
簡単に言えば、軍隊内の上司たちの人格・識見に愛想をつかし、日本の国を動かしている支配層を見限ったのである。日本の支配体制は遠からず崩壊するという確信に基づいた投降であるところに感心した。相手がアメリカ軍ではなくソ連軍ならよかったのにと思案するあたりに当時のインテリの思考の雰囲気が窺える。
もし本書が著者の生前に刊行されていたとすれば、戦後社会を経た目で整理して少し違った書き方になったように思われる。余分な補足がない分だけ本書の内容は重い。
◎黙して逝く
『俘虜記』を書いた大岡昇平氏は、日本芸術院会員に推挙されたとき「捕虜になったという過去の汚点があるから」と言って辞退した。あれは「捕虜」をウリにした巧みなパフォーマンスのようにも思えた。小説家ではなく新聞記者だった横田正平氏は、大岡昇平氏のような演者になる道は選ばず、73歳で没するまでついに自身の『俘虜記』を世に問う心境にはなれなかったのだと思う。
投降を決断したときにイメージした将来の日本の姿と現実に体験した戦後日本の社会がまったく同じということはあり得ない。いろいろな意味でその齟齬に苦いものを感じていたのではなかろうか。
沖縄に行くと牧志公設市場の入口にある「ウララ」という古本屋に立ち寄る。沖縄関連の書籍を中心に並べた極小の古本屋だ。先月、そこでカミさんが買った本のひとつが次の本だった。
『玉砕しなかった兵士の手記』(横田正平/草思社)
この本は沖縄戦の本ではない。満州からサイパンやグァムに転戦した兵士の手記だ。日本統治下のサイパンには沖縄からの移住者が多かったから、沖縄との接点がないわけではない。
数年前に亡くなったカミさんの母親はサイパン生まれのサイパン育ちで、子供たちは母親のサイパン話を聞かされながら育ったらしい。だから、カミさんはサイパンへの関心が高く、本書へも手が伸びたようだ。
私には関心外の本だが、読了したカミさんに勧められてパラパラめくり、著者が私の知人の父親だと気づき、そんな興味から読み始めた。途中から引き込まれてしまい、一気に読了した。太平洋戦争の体験を綴った戦記は多いが、本書はかなり特異な戦記だ。
◎死後に公刊された手記
著者の横田正平氏は1912年生まれで1985年に73歳で逝去している。朝日新聞記者を長く勤めた人で、日華事変の頃には従軍記者として中国戦線に赴き、その後1941年に一兵卒として召集された。妻と小さな息子二人を内地に残し、満州からサイパン、グアムへと転戦し、終戦前に米軍の捕虜となる。復員後は朝日新聞社に復帰している。
本書は著者逝去から3年後の1988年に出版されている。遺品の手記を書籍にしたもので、著者が本書の公刊を望んでいたか否かは判然としない。
夫人が執筆した「あとがき」によれば、横田正平氏は生前、戦争の話はしなかったそうだ。出版社から戦争の体験記執筆の依頼があっても固辞し続けたそうだ。この手記は従軍中あるいは捕虜生活中に執筆したものと思われる。戦後になって回想を整理した原稿ではなさそうだ。
◎理性的確信犯的投降
本書の圧巻は、著者が投降を決断し、それを行動に移すまでの件である。捕虜になった人の戦記は多い。そもそも、捕虜にならなかった人の大半は戦死しているのだから、多くの戦記は捕虜になった人の記録である。捕虜になる経緯はさまざまだろうが、著者のように理性的確信犯的投降の記録は特異だ。積極的に捕虜になっても、その経緯を書く人は少なそうに思える。
著者は一人で投降したのではなく、戦友と二人で投降している。ということは、互いに相手を信用して打ち合わせをしている。だから、米軍への投降を決意するに至る考えをがかなり明確に描いている。
簡単に言えば、軍隊内の上司たちの人格・識見に愛想をつかし、日本の国を動かしている支配層を見限ったのである。日本の支配体制は遠からず崩壊するという確信に基づいた投降であるところに感心した。相手がアメリカ軍ではなくソ連軍ならよかったのにと思案するあたりに当時のインテリの思考の雰囲気が窺える。
もし本書が著者の生前に刊行されていたとすれば、戦後社会を経た目で整理して少し違った書き方になったように思われる。余分な補足がない分だけ本書の内容は重い。
◎黙して逝く
『俘虜記』を書いた大岡昇平氏は、日本芸術院会員に推挙されたとき「捕虜になったという過去の汚点があるから」と言って辞退した。あれは「捕虜」をウリにした巧みなパフォーマンスのようにも思えた。小説家ではなく新聞記者だった横田正平氏は、大岡昇平氏のような演者になる道は選ばず、73歳で没するまでついに自身の『俘虜記』を世に問う心境にはなれなかったのだと思う。
投降を決断したときにイメージした将来の日本の姿と現実に体験した戦後日本の社会がまったく同じということはあり得ない。いろいろな意味でその齟齬に苦いものを感じていたのではなかろうか。
『コインロッカー・ベイビーズ』が音楽劇になった ― 2016年06月09日
村上龍が1980年に発表した長編小説『コインロッカー・ベイビーズ』が舞台になると知り、少し驚いた。36年前のあの尖った小説が21世紀の現代に再登場するのが意外だった。私は村上龍ファンではあるが、時代は村上龍より村上春樹の方に振れているように感じられるからだ。
前売券を購入したときは普通の芝居だと思っていたが、後で「音楽劇」だと知った。音楽がかなりの役割を担っている小説だからそんな料理法もありか、と思いつつ劇場に足を運んだ。
場所は赤坂ACTシアター。開場前に到着すると劇場前に若い女性たちの群れができていた。開場するとその女性たちが4列になって延々と入場して行く。私のようなオジサンはほとん見当たらない。場違いな所に迷い込んだ気分になった。女性たちの列が途切れてから入場した。
出演者は私の知らない役者ばかりで、主演の二人はジャニーズJr.のミュージシャンだそうだ。観客の大半はジャニーズのコンサートのつもりで集まってきているようだ。村上龍の芝居だと思ってやって来たオジサンは、得がたい異空間を体験できた。
音楽劇『コインロッカー・ベイビーズ』は、出演者たちが歌って踊る舞台だった。かなり激しいロック調の歌と踊りで最後まで退屈することはなかった。私はミュージカルやオペラはほとんど観ない。芝居に歌が挿入されるのは効果的だと思うが、科白を歌いあげるのには違和感があり、滑稽に感じてしまうのだ。滑稽を狙った効果なら受け容れられるのだが…
『コインロッカー・ベイビーズ』は、もちろん滑稽な話ではない。わかりやすい話でもない。28歳の村上龍が己の紡いだイメージを奔放に文章化しながら突っ走った小説だ。手元にある当時の単行本を手にしてみると、オビには「初の書下ろし長編」「衝撃の近未来小説」の惹句が踊っている。オビ掲載の20行ほどの推薦文は上巻が埴谷雄高、下巻が筒井康隆だ。すごい人選だと思う。純文学とSFに跨る若き才能・村上龍の迫力が伝わってくる。
あの奔放な長編小説が数時間の舞台でどう表現できるか、それが私の関心事だった。歌と踊りで進行する音楽劇『コインロッカー・ベイビーズ』は、小説のいくつかのシーンを取り上げ、粗筋を追えるようになっていて、あらためて「そうか、こんな話だったのか」と思ったりもした。だが、それは後景にすぎない。この舞台のメインは、世界に対峙する若者の焦燥と衝動という普遍的なものをニューロティックに表現していることだと感じた。
そう感じると『コインロッカー・ベイビーズ』という小説はロックコンサートのような小説だったのだと思えてきた。
前売券を購入したときは普通の芝居だと思っていたが、後で「音楽劇」だと知った。音楽がかなりの役割を担っている小説だからそんな料理法もありか、と思いつつ劇場に足を運んだ。
場所は赤坂ACTシアター。開場前に到着すると劇場前に若い女性たちの群れができていた。開場するとその女性たちが4列になって延々と入場して行く。私のようなオジサンはほとん見当たらない。場違いな所に迷い込んだ気分になった。女性たちの列が途切れてから入場した。
出演者は私の知らない役者ばかりで、主演の二人はジャニーズJr.のミュージシャンだそうだ。観客の大半はジャニーズのコンサートのつもりで集まってきているようだ。村上龍の芝居だと思ってやって来たオジサンは、得がたい異空間を体験できた。
音楽劇『コインロッカー・ベイビーズ』は、出演者たちが歌って踊る舞台だった。かなり激しいロック調の歌と踊りで最後まで退屈することはなかった。私はミュージカルやオペラはほとんど観ない。芝居に歌が挿入されるのは効果的だと思うが、科白を歌いあげるのには違和感があり、滑稽に感じてしまうのだ。滑稽を狙った効果なら受け容れられるのだが…
『コインロッカー・ベイビーズ』は、もちろん滑稽な話ではない。わかりやすい話でもない。28歳の村上龍が己の紡いだイメージを奔放に文章化しながら突っ走った小説だ。手元にある当時の単行本を手にしてみると、オビには「初の書下ろし長編」「衝撃の近未来小説」の惹句が踊っている。オビ掲載の20行ほどの推薦文は上巻が埴谷雄高、下巻が筒井康隆だ。すごい人選だと思う。純文学とSFに跨る若き才能・村上龍の迫力が伝わってくる。
あの奔放な長編小説が数時間の舞台でどう表現できるか、それが私の関心事だった。歌と踊りで進行する音楽劇『コインロッカー・ベイビーズ』は、小説のいくつかのシーンを取り上げ、粗筋を追えるようになっていて、あらためて「そうか、こんな話だったのか」と思ったりもした。だが、それは後景にすぎない。この舞台のメインは、世界に対峙する若者の焦燥と衝動という普遍的なものをニューロティックに表現していることだと感じた。
そう感じると『コインロッカー・ベイビーズ』という小説はロックコンサートのような小説だったのだと思えてきた。
狐忠信の宙乗りを観た ― 2016年06月21日
先日、歌舞伎座で市川猿之助の宙乗りを観た。新築の歌舞伎座では初の宙乗りだそうだ。
思いおこせば数十年前、私が歌舞伎を観たいと思った動機には「猿之助の宙乗りを観たい」という願望がかなり大きなウエイトを占めていた。新聞や雑誌で猿之助(先代)が宙乗りという趣向を復活させたという記事を読み、写真やテレビでそのシーンを眺め、ぜひ実物を観たいと思った。
だが、当時は金銭的にも時間的にも歌舞伎を鑑賞する余裕はなかった。それでも、新橋演舞場でのスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』には何とか足を運ぶことができ、猿之助(先代)の宙乗りを鑑賞して満足を得た。
とは言っても、やはり宙乗りと言えば『義経千本桜』の狐忠信である。古いビデオで猿之助(先代)の舞台を観たことはあるが、実物は観ていない。私が実際の舞台で観た『義経千本桜』の役者は猿之助ではなかったので、宙乗りはなかった。
今回の歌舞伎座で『義経千本桜』には市川猿之助が出演し宙乗りをやると知り、第三部のチケットを手配した。座席は2階下手の桟敷席にした。客席の左右にある桟敷席は舞台に対する角度が90度で、とても見やすい席とは思えない。座席の正面に見えるのは反対側の桟敷席である。あの席は、舞台を眺めるというよりは観客を眺める(あるいは観客から眺められる)席だという説を聞いたことがある。あえてあんな席を選ぼうとは思わない。
しかし、今回は桟敷席を選択した。宙乗りを間近に観ることができると考えたからだ。花道に近い下手2階の桟敷席の最前列で、花道は何とか見えるかな思っていたが、実際に座ってみると、少し身を乗り出さなければ花道は見えない。しかし、2階桟敷席からの舞台の眺めは予想したほどに悪くはなく、普通に芝居を鑑賞できた。
そして、やはり宙乗りの鑑賞には絶好の場所だと感じた。宙を舞って昇って行く猿之助の仕草や表情が間近に見えるし、1階の観客席全体を俯瞰しながら宙乗りを鑑賞できるのが素晴らしい。自分が宙を舞っている気分にもなれる。
最近の映画のSFXはCGの活用によって従来は考えられなかった迫力ある驚異のシーンを見せてくれる。だが、驚異のシーンが増えすぎるとやや食傷気味になってくる。それに比べて、江戸時代から伝わる舞台の素朴なSFXには独特の味わいがある。そう感じるのは、私が年を取ったからだろうか。
思いおこせば数十年前、私が歌舞伎を観たいと思った動機には「猿之助の宙乗りを観たい」という願望がかなり大きなウエイトを占めていた。新聞や雑誌で猿之助(先代)が宙乗りという趣向を復活させたという記事を読み、写真やテレビでそのシーンを眺め、ぜひ実物を観たいと思った。
だが、当時は金銭的にも時間的にも歌舞伎を鑑賞する余裕はなかった。それでも、新橋演舞場でのスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』には何とか足を運ぶことができ、猿之助(先代)の宙乗りを鑑賞して満足を得た。
とは言っても、やはり宙乗りと言えば『義経千本桜』の狐忠信である。古いビデオで猿之助(先代)の舞台を観たことはあるが、実物は観ていない。私が実際の舞台で観た『義経千本桜』の役者は猿之助ではなかったので、宙乗りはなかった。
今回の歌舞伎座で『義経千本桜』には市川猿之助が出演し宙乗りをやると知り、第三部のチケットを手配した。座席は2階下手の桟敷席にした。客席の左右にある桟敷席は舞台に対する角度が90度で、とても見やすい席とは思えない。座席の正面に見えるのは反対側の桟敷席である。あの席は、舞台を眺めるというよりは観客を眺める(あるいは観客から眺められる)席だという説を聞いたことがある。あえてあんな席を選ぼうとは思わない。
しかし、今回は桟敷席を選択した。宙乗りを間近に観ることができると考えたからだ。花道に近い下手2階の桟敷席の最前列で、花道は何とか見えるかな思っていたが、実際に座ってみると、少し身を乗り出さなければ花道は見えない。しかし、2階桟敷席からの舞台の眺めは予想したほどに悪くはなく、普通に芝居を鑑賞できた。
そして、やはり宙乗りの鑑賞には絶好の場所だと感じた。宙を舞って昇って行く猿之助の仕草や表情が間近に見えるし、1階の観客席全体を俯瞰しながら宙乗りを鑑賞できるのが素晴らしい。自分が宙を舞っている気分にもなれる。
最近の映画のSFXはCGの活用によって従来は考えられなかった迫力ある驚異のシーンを見せてくれる。だが、驚異のシーンが増えすぎるとやや食傷気味になってくる。それに比べて、江戸時代から伝わる舞台の素朴なSFXには独特の味わいがある。そう感じるのは、私が年を取ったからだろうか。
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