『コインロッカー・ベイビーズ』が音楽劇になった2016年06月09日

 村上龍が1980年に発表した長編小説『コインロッカー・ベイビーズ』が舞台になると知り、少し驚いた。36年前のあの尖った小説が21世紀の現代に再登場するのが意外だった。私は村上龍ファンではあるが、時代は村上龍より村上春樹の方に振れているように感じられるからだ。

 前売券を購入したときは普通の芝居だと思っていたが、後で「音楽劇」だと知った。音楽がかなりの役割を担っている小説だからそんな料理法もありか、と思いつつ劇場に足を運んだ。

 場所は赤坂ACTシアター。開場前に到着すると劇場前に若い女性たちの群れができていた。開場するとその女性たちが4列になって延々と入場して行く。私のようなオジサンはほとん見当たらない。場違いな所に迷い込んだ気分になった。女性たちの列が途切れてから入場した。

 出演者は私の知らない役者ばかりで、主演の二人はジャニーズJr.のミュージシャンだそうだ。観客の大半はジャニーズのコンサートのつもりで集まってきているようだ。村上龍の芝居だと思ってやって来たオジサンは、得がたい異空間を体験できた。

 音楽劇『コインロッカー・ベイビーズ』は、出演者たちが歌って踊る舞台だった。かなり激しいロック調の歌と踊りで最後まで退屈することはなかった。私はミュージカルやオペラはほとんど観ない。芝居に歌が挿入されるのは効果的だと思うが、科白を歌いあげるのには違和感があり、滑稽に感じてしまうのだ。滑稽を狙った効果なら受け容れられるのだが…

 『コインロッカー・ベイビーズ』は、もちろん滑稽な話ではない。わかりやすい話でもない。28歳の村上龍が己の紡いだイメージを奔放に文章化しながら突っ走った小説だ。手元にある当時の単行本を手にしてみると、オビには「初の書下ろし長編」「衝撃の近未来小説」の惹句が踊っている。オビ掲載の20行ほどの推薦文は上巻が埴谷雄高、下巻が筒井康隆だ。すごい人選だと思う。純文学とSFに跨る若き才能・村上龍の迫力が伝わってくる。

 あの奔放な長編小説が数時間の舞台でどう表現できるか、それが私の関心事だった。歌と踊りで進行する音楽劇『コインロッカー・ベイビーズ』は、小説のいくつかのシーンを取り上げ、粗筋を追えるようになっていて、あらためて「そうか、こんな話だったのか」と思ったりもした。だが、それは後景にすぎない。この舞台のメインは、世界に対峙する若者の焦燥と衝動という普遍的なものをニューロティックに表現していることだと感じた。

 そう感じると『コインロッカー・ベイビーズ』という小説はロックコンサートのような小説だったのだと思えてきた。

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