『意思の勝利』と『レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実』2009年10月07日

 1カ月ほど前、渋谷のシアターNで、レニ・リーフェンシュタール監督の『意思の勝利』を観た。それがきっかけで『レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実』(スティーヴン・バック/野中邦子訳/清流出版)という本を読んだ。

 『意思の力』は私の想像を超える映画ではなかったが、その監督レニ・リーフェンシュタールは私の想像を超えたキャラクターの人物だった。

 レニ・リーフェンシュタールの代表作『オリンピア(民族の祭典/美の祭典)』は、かなり以前にCATVで見たことがある。『意思の勝利』はドキュメンタリー番組などで部分引用されることがあり、存在は知っていた。この映画が渋谷で劇場公開されていると知って、少し驚いた。さっそく観に行った。客層はほとんど年配者だった。1934年にニュルンベルクで開催されたナチス党大会を記録したプロパガンダ映画『意思の勝利』は、現在もドイツでは一般公開が禁止されている。

 どれほどに陶酔的な映画なのだろうと思って観たが、想像を超えるような映像ではなかった。パレードのくり返しは、少々退屈でもある。私たちはすでに、ナチスの映像を大量にくり返し見てきたし、その後のさまざまなパレード映像や北朝鮮のプロパガンダ映像を見ているので、そんな感想になったのだろう。当時の人々にとっては衝撃的な映像だったと思う。

 冒頭、雲間からヒトラーの搭乗した飛行機が現れる演出は、確かによくできている。ヒトラーの大演説は悪魔的かもしれないが、部分的にはケネディの演説を彷彿させるところもある。国民を鼓舞して国家を発展させようとする政治家の演説は、どれも似てくるのかもしれない。
 現代の視点で最も違和感があるのは、ヒトラーへの個人崇拝が強調されている点だ。まさに、これがナチスの絶頂期の現実だったのだろう。この党大会は、ヒンデンブルグ大統領が死去してヒトラーが首相から「総統」になった直後に開催されている。
 ちょっと意外に感じたのは、ルドルフ・ヘスがしゃべる映像が多く、ヘスが党大会を仕切っているように見える点だ。これまで、ヘスの映像はあまり見たことがなかったので、拾い物をしたような気分になった。ゲッベルスの出番は意外に少ない。リーフェンシュタールと不仲だったと言われているので、そのせいかなと思った。後で調べてみると、ゲッベルスはこの大会にはあまり熱心ではなかったらしい(平井正著『ゲッベルス』より)。また、リーフェンシュタールとの不仲説は、戦後になってリーフェンシュタールが一方的に流したようだ。

 
 監督のレニ・リーフェンシュタールについては、断片的なことしか知らなかった。「女優から監督になった」「ヒトラーの愛人と言われていた」「戦後も意気軒昂で、101歳で死ぬまで現役映画監督で、晩年も海に潜ったりアフリカに行ったりしていた」という程度の知識しかなかったので、この女性はどんな人だったのだろうと、あらためて興味をもち『レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実』を読んでみた。
 本書を読んで、この女性は私が想像していた以上の化け物だと思った。お近づきにはなりたくない人だ。もちろん、本書の内容がどこまで正確かは分からないが、おおまかな輪郭はつかまえているように思える。

 レニ・リーフェンシュタールはダンサーから女優になり、さらに映画監督になった。スポーツ・ウーマンで、女優時代には山岳映画に体当たりで出演し、70歳からスキューバ・ダイビングを始め、90歳を過ぎるまで水中写真を撮っていた。98歳で戦火のアフリカを再訪し、搭乗していたヘリコプターが砲撃で墜落し大けがをしたが、2002年には百歳の盛大な誕生パーティを開き、2003年9月、百一歳で亡くなった。
 この女性は肉体的に頑強なだけではなく、精神にも独特の頑強さがあったようだ。ナチスの同調者だったことに関する批判に対して、百一歳になるまでの長期間にわたって「闘って」きたのだ。その「闘い」の弁明の中には、かなりの「嘘」が入っていたようだが、本人は「反省」ということをしない精神構造の人だったようだ。

 レニ・リーフェンシュタールは85歳のときに自伝を出版しているが、この自伝には「真実は半分しかない」とする評者もいたそうだ。90歳のときには、自伝的な映画(テレビ番組)の撮影に応じている。ヨーロッパでは『イメージの力』という題で放映され、アメリカでは『レニ・リーフェンシュタールのすばらしくも恐るべき人生』と題して上映された。その評に「彼女を信じるとしたら、彼女は一種の怪物だ。彼女を信じないとすれば、彼女はまた別の怪物だ」というのがあったそうだ。本書を読み終えた私には、この評の気分がよく分かる。

 レニ・リーフェンシュタールは『意思の勝利』の2年前に『信念の勝利』というタイトルの映画を撮っている。これもナチス党大会の記録映画だ。
 人間はしばしば、自分の記憶をねつ造することがある。最初は意識的な語った「嘘」や「願望」であっても、それをくり返しているうちに、自分自身にとっての真実になってしまうこともある。ねつ造された記憶は、他人が「嘘」だと言っても、自分にとっては断固とした「真実」なのだ。まさに「意思の勝利」「信念の勝利」であり、レニ・リーフェンシュタールの人生は、そのような人生だったのかもしれない。

映画『ヴィヨンの妻』を観て太宰治ブームを考えた2009年10月25日

 映画『ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~』を観た。太宰治の世界の雰囲気をとらえた佳作だと思った。主演の松たか子も浅野忠信も好演である。私にとっては、アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『おくりびと』よりは魅力的な作品だ。

 パンフレットによれば、『ヴィヨンの妻』『思ひ出』『灯籠』『姥捨て』『きりぎりす』『桜桃』『二十世紀旗手』などの太宰作品のエッセンスを絶妙なバランスで融合した映画だそうだ。太宰治の小説は学生時代に読んだきりで、内容を失念しているものも多いので、上記の短編を再読してみた。およそ四十年ぶりに太宰治を読んだわけだが、結構おもしろく読めた。

 今年は太宰治生誕百年で、ちょっとした太宰治ブームだそうだ。映画化作品も目白押しだ。それにしても、二十一世紀になって太宰治ブームが来るとは思わなかった。昨年、『蟹工船』がブームになったのにも驚いたが、太宰治ブームは『蟹工船』ブームとは少し違うだろう。小林多喜二の『蟹工船』は有名作ではあるが、やや異様な小説であり、昨年封切られた映画『蟹工船』は少々珍妙な作品だった。『蟹工船』がブームになったのは、作品の力と言うよりは、世相が求めたシンボルの役割を担ってしまったからだろう。太宰治が現代の若者に読まれているとすれば、やはり、その作品に彼らを惹きつける魅力があるからだと思う。

 私が生まれたのは、太宰治が死亡した約半年後である。だから、私たち団塊世代にとっては同時代の作家ではない。しかし、私たちにとって特殊な位置を占める特別な作家だった。高校の図書館の太宰治全集だけは手垢に汚れていた。太宰治の読者やファンは多かったはずだが、太宰治を語ることを恥ずかしいと感じる者も多かったと思う。

 高校生の頃、私は奥野健男の『太宰治論』を角川文庫版で読んだ。奥野健男は1926年生まれで私より22歳年長だが、『太宰治論』は奥野健男が二十代に書いた実質的なデビュー作である。この評論の初めの方に次のような記述がある。
 「ぼくたちは太宰が好きなら好きと真向から叫んでよいのです。」「実際ぼくらの世代に与えた太宰の影響は、一時代前、芥川龍之介や小林秀雄がその時代の青年に与えたそれよりも、更に深いものがあると思われます。」「太宰文学は多くの青年の精神の形成過程に抜き難い深い影響を与えているのです。それはほとんど決定的なものであるにかかわらず、しかし皆はその事をむしろ隠そうとします。余りにも身近なのです。太宰のことを言われるのは自分のことのように羞しいのです。」
 これらの件りは印象的だった。また、奥野健男と親交のあった同世代の作家・三島由紀夫の太宰治に対する近親憎悪的な反発も印象的だった。

 私たちの世代は奥野健男や三島由紀夫の世代より二十年以上若いが、太宰治に対する感覚は彼らとあまり変わらないように思われる。太宰治は読者に対して、その劣等感と優越感の両方を刺激し、あたかも自分自身の内側を見ているような気にさせる作家だ。しかも、意外に作品群は多様で、読ませる力をもっている。端的に言えばおもしろい作品が多い。
 今回、太宰治の短編をいくつか読み返して感じたのだが、太宰治の小説の魅力はかなり普遍的なのかもしれない。生誕百年でブームが起きているように見えるが、この四十年ほどの間も、太宰治作品は継続的に一定の数の若者読者を惹きつけてきていたのだろう。

 どこで読んだか失念したが「外国語に翻訳された太宰作品を読んだ外国の読者には、太宰作品をドストエフスキイの作品のように感じる人がいる」という趣旨の文章を読み、少し驚いたことがある。『カラマゾフの兄弟』が新訳によって多くの若い読者を獲得しているのも、太宰治ブームと通底しているように思われる。