『梟の城』は「時代」を感じさせる時代小説 ― 2026年11月06日
司馬遼太郎の長編第1作を読んだ。作家36歳のときの『梟の城』である。本作で直木賞を受賞し、流行作家になった。
『梟の城』(司馬遼太郎/新潮文庫)
戦国末期の忍者を描いた本作の刊行は1959年、この文庫本の発行は1965年4月である。解説の執筆者が村松剛なのが意外だ(執筆日付:1965年3月)。
1959年は、小学生の私がテレビで「月光仮面」を観ていた頃だ。忍者が活躍する「風小僧」も観ていた。あの頃、司馬遼太郎がこんな忍者小説を書いていたのかと、不思議な感慨をいだいた。
十代、二十代の私には司馬遼太郎は関心外の作家だった(読者になったのは三十代以降)。だが、中学から高校にかけての時期、なぜか村松剛に関心があり『ナチズムとユダヤ人』『ユダヤ人』『女性的時代を排す』などを読んだ記憶がある。それ以降、村松剛の本はほとんど読んでいない。
私の頭の中で司馬遼太郎と村松剛は結びつかない。1965年時点での解説によれば、村松剛は『梟の城』をきっかけに司馬遼太郎に病みつきになったそうだ。「読者として大衆層だけではなく、気むずかしい知識人をも吸引できる知識人の時代もの作家」と評価している。
半世紀以上の年月を経た2026年、77歳になった私が『梟の城』とその解説を読んで感じたのは「時代」である。「古い」「時代は変わった」という感慨とも言える。フェミニズム的にアウトに近い箇所もある。
1959年頃、司馬遼太郎は「忍豪作家」と呼ばれ、本人はそう呼ばれることを嫌っていたそうだ。山田風太郎の忍法小説と同時期に「忍豪作家」だったことに驚き、感心した。
司馬遼太郎の忍者は山田風太郎ほど荒唐無稽かつ奔放ではない。だが、リアル忍者とも言い切れない。超人に近い忍者に近代人的心理が混入している。私にはそれが、木に竹を接いだアンバランスに感じられた。だから、登場人物たちの行動や心理に感情移入し難い部分があり、不可解な物語とも感じられた。
と言うものの、フィクションに史実を絡ませる技には面白さを感じた。
『梟の城』(司馬遼太郎/新潮文庫)
戦国末期の忍者を描いた本作の刊行は1959年、この文庫本の発行は1965年4月である。解説の執筆者が村松剛なのが意外だ(執筆日付:1965年3月)。
1959年は、小学生の私がテレビで「月光仮面」を観ていた頃だ。忍者が活躍する「風小僧」も観ていた。あの頃、司馬遼太郎がこんな忍者小説を書いていたのかと、不思議な感慨をいだいた。
十代、二十代の私には司馬遼太郎は関心外の作家だった(読者になったのは三十代以降)。だが、中学から高校にかけての時期、なぜか村松剛に関心があり『ナチズムとユダヤ人』『ユダヤ人』『女性的時代を排す』などを読んだ記憶がある。それ以降、村松剛の本はほとんど読んでいない。
私の頭の中で司馬遼太郎と村松剛は結びつかない。1965年時点での解説によれば、村松剛は『梟の城』をきっかけに司馬遼太郎に病みつきになったそうだ。「読者として大衆層だけではなく、気むずかしい知識人をも吸引できる知識人の時代もの作家」と評価している。
半世紀以上の年月を経た2026年、77歳になった私が『梟の城』とその解説を読んで感じたのは「時代」である。「古い」「時代は変わった」という感慨とも言える。フェミニズム的にアウトに近い箇所もある。
1959年頃、司馬遼太郎は「忍豪作家」と呼ばれ、本人はそう呼ばれることを嫌っていたそうだ。山田風太郎の忍法小説と同時期に「忍豪作家」だったことに驚き、感心した。
司馬遼太郎の忍者は山田風太郎ほど荒唐無稽かつ奔放ではない。だが、リアル忍者とも言い切れない。超人に近い忍者に近代人的心理が混入している。私にはそれが、木に竹を接いだアンバランスに感じられた。だから、登場人物たちの行動や心理に感情移入し難い部分があり、不可解な物語とも感じられた。
と言うものの、フィクションに史実を絡ませる技には面白さを感じた。
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