ヘディンの『さまよえる湖』は感動の成功譚だが…。2025年06月26日

『さまよえる湖(上)(下)』(ヘディン/福田宏年訳/岩波文庫)
 胡桃沢耕史の小説をきっかけに読んだヘディンの『馬仲英の逃亡』は三部作の第一部だった。第三部は『さまよえる湖』。この有名作を未読なのが気になり、岩波文庫版を入手して読んだ。

 『さまよえる湖(上)(下)』(ヘディン/福田宏年訳/岩波文庫)

 私が「さまよえる湖」を知ったのは1964年4月、高校1年の地理の最初の授業の時だった。地理の教師が授業のマクラで語った「砂漠の奥地を移動する湖」の話に魅了された。探検家ヘディンの名も頭に刻印された。だが、それから半世紀以上、ヘディンの著作を繙くことはなかった。

 その後、「さまよえる湖」説は間違いだと知ったが、どこで知ったか思い出せない。ウィキペディアのような気もする。本書を読む前にウィキペディアを検索した。次のように記述している。

 〔「さまよえる湖」説は広く知られているが、これはあくまでもひとつの仮説である。ロプノールについてはヘディンの他にも多くの学者が研究成果を発表しており、それらの中には「湖の移動などは起きていない」とする説も存在する。〕

 間違いと断定はしてはいない。別の情報源がありそうだ。やや中途半端な気分で本書に取り組んだ。

 『さまよえる湖』を読了し、ヘディンは読ませる探検記作家だと思った。ヘディンによるスケッチと写真を満載した本書は読みやすくて面白い。ヘディンの探検に同行している気分になる。『馬仲英の逃亡』は自動車を連ねた探検行だったが、続編の本書は現地で調達したカヌーによる探検がメインである。

 全21章の本書で、「さまよえる湖」を論じているのは最後の2章(「20 さまよえる湖」「21 最後の脈動」)である。

 古文書によれば、タクラマカン砂漠東方にかつて楼蘭という都市があり、その周辺にロプノールという湖があった。本書の探検(1934年)より30年以上前の1900年、ヘディンは楼蘭の遺跡と干上がったロプノールの湖床を発見する。大発見である。ロシアのプルジェヴァリスキーはロプノールの南にあるカラ・コシュン湖を発見し、これこそがロプノール湖だと主張する。

 それに対してヘディンは「さまよえる湖」仮説を提起する。砂漠の湖に流れ込むタリム川の流路が堆積や浸食で変化し、湖は北や南への移動をくり返してきたという説である。カラ・コシュン湖は、かつてのロプノール湖が南に移動した湖であり、いつの日か湖は北に移動してロプノール湖が復活すると予言したのである。

 そして1928年、タリム川の流路が北方に変わりロプノール湖が復活したとの情報がもたらされる。ヘディンは、自分の仮設が実証されたと興奮する。復活したロプノール湖の実査が本書の探検(1934年)である。その経緯を語った最終2章は感動的な成功譚だ。

 ヘディンは1952年、87歳の生涯を閉じる。そのとき、ロプノール湖はまだ存在していたらしいが、現在、ロプノール湖もカラ・コシュン湖も干上がっている。

 本書読了後、書棚で『楼蘭探検』(朝日新聞楼蘭探検隊/1988.12)という本を発見し、ザーッと読み返した。そして、この本こそが「さまよえる湖」が間違いという私の認識の情報源だったと気づいた。

 『楼蘭探検』は朝日新聞社が日中共同で実施した1988年の楼蘭探検の記録である。「われわれ日中共同楼蘭探検隊は、ヘディンが外国人として最後に訪れてから54年ぶりの外国人となった」と書いてある。1980年のNHKシルクロード取材班も楼蘭遺跡には到達していない。画期的な探検だったようだ。

 探検に参加した記者による『楼蘭探検』は、正面から「さまよえる湖」を論じているわけではないが、次のような記述がある。

 「『彷徨へる湖』は昭和18年、わが国でも翻訳された。連合艦隊司令長官・山本五十六が戦死した2日後の4月20日発行だ。暗い戦局の下、そのロマンチックな本は、多くの人の心をひきつけた。(…)だが、いまのわれわれは、その説があまりにロマンチックすぎたことを知っている。水が、標高の低い方から高い方に流れるはずはない。しかも、その当時も、自然によってではなく、タリム川上流に暮らす人びとの水の利用によって、水量は人為的に減ったり、増えたりしていた。いくつもに枝わかれしている川の水路は、その時どきに、枯れたり、流れたりした。湖も、大きくなったり、小さくなったり、時にはいくつかに分裂したりした。」

 また、ヘディンが驚喜した1928年のロプノール湖復活について、中国人研究者は次のように語っている。

 「イリという町の土豪が1921年、タリム川に堰をつくった。これによってタリム川の下流の水位が上がり。水がクルック川に流れ込んだ。タリム川の流れが変わったのは、このためです。」

 現在、ロプノールやカラ・コシュンが干上がっているのは、上流の農業開発が主因らしい。アラル海の消滅と同じだ。面白いことに、ヘディンは『さまよえる湖』のなかでアラル海の水位低下に言及している。夏季の蒸発について語っているだけで農業開発には触れていない。

 岩波文庫版『さまよえる湖』には訳者あとがきが載っている。ヘディンの「仮説」を検証した内容ではない。この「あとがき」には、湖は「1600年周期」で移動するとの記述があり、これはヘディンの仮説の誤解だとウィキペディアが指摘している。ヘディンは「1600年周期」とはどこでも述べていない。にもかかわらず、いつの頃から「1600年周期」がひとり歩きし始め、岩波文庫の表紙カバーの惹句にまで使われるようになった。誤解の定着という不思議な話である。

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