加藤義宗主演の『リチャード三世』は超時代的な普遍劇 ― 2025年06月17日
新宿シアタートップスで義庵公演『リチャード三世』(作:シェイクスピア、翻訳:小田島創志、演出:小笠原響、出演:加藤義宗、今拓哉、土屋良太、津村千与支、のぐち和美、他)を観た。王位を得るために周囲の人間を次々に殺害したという悪人リチャード三世の歴史劇である。
私は数十年前、おそらく三十代の頃に『リチャード三世』を観たことがある。そのとき戯曲も読んだと思う。王位に登りつめたリチャード三世が最後は破滅する姿がかすかに浮かぶだけで、役者も劇場もまったく思い出せない。
加藤健一の倅・加藤義宗が小田島雄志の孫・小田島創志の新訳で『リチャード三世』を上演すると知り、遠い昔のおぼろな記憶をよみがえらせたくなった。チケットを手配して戯曲(福田恒存訳)を再読した。戯曲を読んだだけでは複雑な人間関係(王家の系図)がよくわからないので、英国の薔薇戦争について少し調べた。歴史を知らなくても十分に楽しめる芝居だとは思うが、年を取ると背景の歴史への関心が高くなる。
上演時間2時間35分(休憩15分含む)、テンポよく展開する舞台だった。装置はシンプル、衣装は超時代的で、歴史劇というより普遍的な人間ドラマの趣がある。権力を目指して成り上がる者の周辺に蔓延する追従、寝返り、怨念などはいつの時代にもある。リチャード三世に取り入ってうまく立ち回ったつもりが、最後にはリチャードに切り捨てられるバッキンガム公(津村千与支)など、どこにでもいそうな人物像だ。
この芝居で最も強烈な印象を残したのは元王妃マーガレット(のぐち和美)である。かつて、夫であるヘンリー6世(赤薔薇:ランカスター家)や息子のエドワード王太子をリチャード三世(白薔薇:ヨーク家)に殺害された怨念の塊のような老婆である。役者の存在感とあいまって、この老婆の呪詛が殺伐たる芝居全体を取り仕切っているように感じられた。
実在のリチャード三世(1452-1485年)がシェイクスピアが描くような悪人だったか否かは定かでないらしい。ジョセフィン・テイの推理小説『時の娘』は、現代の探偵がさまざま証拠からリチャード三世は立派に王だったと推理する小説だった。私は10年ほど前に『時の娘』を読んだ。シェイクピアの『リチャード三世』再読を機にあの小説を読み返したくなった。だが、いくら探しても見つからない。捨ててはいないはずだ。いまだ探索中である。
私は数十年前、おそらく三十代の頃に『リチャード三世』を観たことがある。そのとき戯曲も読んだと思う。王位に登りつめたリチャード三世が最後は破滅する姿がかすかに浮かぶだけで、役者も劇場もまったく思い出せない。
加藤健一の倅・加藤義宗が小田島雄志の孫・小田島創志の新訳で『リチャード三世』を上演すると知り、遠い昔のおぼろな記憶をよみがえらせたくなった。チケットを手配して戯曲(福田恒存訳)を再読した。戯曲を読んだだけでは複雑な人間関係(王家の系図)がよくわからないので、英国の薔薇戦争について少し調べた。歴史を知らなくても十分に楽しめる芝居だとは思うが、年を取ると背景の歴史への関心が高くなる。
上演時間2時間35分(休憩15分含む)、テンポよく展開する舞台だった。装置はシンプル、衣装は超時代的で、歴史劇というより普遍的な人間ドラマの趣がある。権力を目指して成り上がる者の周辺に蔓延する追従、寝返り、怨念などはいつの時代にもある。リチャード三世に取り入ってうまく立ち回ったつもりが、最後にはリチャードに切り捨てられるバッキンガム公(津村千与支)など、どこにでもいそうな人物像だ。
この芝居で最も強烈な印象を残したのは元王妃マーガレット(のぐち和美)である。かつて、夫であるヘンリー6世(赤薔薇:ランカスター家)や息子のエドワード王太子をリチャード三世(白薔薇:ヨーク家)に殺害された怨念の塊のような老婆である。役者の存在感とあいまって、この老婆の呪詛が殺伐たる芝居全体を取り仕切っているように感じられた。
実在のリチャード三世(1452-1485年)がシェイクスピアが描くような悪人だったか否かは定かでないらしい。ジョセフィン・テイの推理小説『時の娘』は、現代の探偵がさまざま証拠からリチャード三世は立派に王だったと推理する小説だった。私は10年ほど前に『時の娘』を読んだ。シェイクピアの『リチャード三世』再読を機にあの小説を読み返したくなった。だが、いくら探しても見つからない。捨ててはいないはずだ。いまだ探索中である。
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