57年寝かした『フランケンシュタイン』を読了2023年06月18日

『フランケンシュタイン』(シェリー夫人/山本政喜訳/角川文庫)
 先日、57年前の高校時代に古本で入手したまま未読だった『吸血鬼ドラキュラ』 を読了し、同じ頃に古本で入手したもうひとつの未読本『フランケンシュタイン』を思い出した。ドラキュラを読んだのを機に、この未読文庫本も読んだ。

 『フランケンシュタイン』(シェリー夫人/山本政喜訳/角川文庫)

 高校生の頃、この小説に関する雑学的知識は仕入れていた。「作者は詩人シェリーの妻(この翻訳の作者名はシェリー夫人! メアリー・シェリーではない」「バイロンとシェリーとその妻の三人の夜話がきっかけで生まれ小説」「フランケンシュタインは怪物の名ではなく、それを創った人の名」「映画などで広まっているフランケンシュタインのイメージは小説とは違う」といった知識である。

 そんな知識を前提に本書に取り組んだ高校生の私は、あえなく挫折した。19世紀文学の回りくどい進行につきあう忍耐力がなかったのだと思う。74歳の私は57年寝かせた本書を面白く読了した。

 率直な読後感は「フランケンシュタインってこんなに意外でヘンな話だったのか」である。SF的要素は少なく、かなり文学的である。怪物もそれを創ったヴィクトル・フランケンシュタインも思考や行動がかなりヘンだ。ツッコミ所はいろいろある。状況や情景の描写は細やかで、引き込まれる。暗喩小説にも感じられた。

 怪物が内省的で知的なのには驚いた。創られた当初は無知な文盲で、創造主から見捨てられても短期間で言語をマスターする。『失楽園』『プルタークの伝記』『ヴェルテルの悲しみ』を読みこなし、いろいろ考察する。どれも読んでいない私(『プルターク』は一部だけ読んだが)は、己がこの怪物より知的に劣っているのかと歎息した。

 本書の記述は入れ子になっている。北極圏でフランケンシュタインを発見したウォルトンの姉あての手紙、その手紙に挿入されたフランシュタインの語り(これがメイン)、その語りに挿入された怪物の告白と糾弾――の三重構造である。

 この「語り」を読んでいる途中、怪物はフランケンシュタインにだけ見える妄想であって、実在しないのではと思えることもあった。創造主と怪物がジキルとハイドの関係に感じられたのだ。もちろん、そんな展開にはならないのだが……。