あらためてため息が出る『世界史のなかの昭和史』2023年01月18日

『世界史のなかの昭和史』(半藤一利/平凡社ライブラリー)
 半藤一利氏の『B面昭和史 1926-1945』 に続いて次の「完結編?」を読んだ。

 『世界史のなかの昭和史』(半藤一利/平凡社ライブラリー)

 本書を書きあげたとき半藤氏は87歳、「あとがき」には次の一節がある。

 「2004年2月に『昭和史 1926-1945』を上梓していらい十五年がかりで本書までたどりついて、わたしのやろうと思っていたことは終ったようです。」

 本書は、日本の破滅への道を検証した『昭和史 1926-1945』を、国際政治にウエイトを置いた視点で再検証している。1941年の真珠湾攻撃までがメインで、その後(敗戦そして戦後)はエピローグになっている。昭和史の本ではあるが、ヒトラーとスターリンという重量級の二人が準主役だ。

 本書であらためて認識したのは、1937年7月の盧溝橋事件、8月の第二次上海事変から12月の南京陥落に至る数カ月の状況における無念である。和平のきっかけがあったにもかかわらず、戦線を拡大し日中戦争の泥沼に突き進んでしまう。軍部が問題なのは当然として、近衛首相や広田外相(元首相)の責任が大きい。

 盧溝橋事件の前年に日独防共協定(1936.11)が結ばれているにもかかわらず、当時、過去の経緯から蒋介石の国民党軍には30名近いドイツ軍事顧問団がいて、ドイツ製兵器もあったそうだ。

 上海事変で、日本はドイツ(ヒトラー政権)の支援を受けた国民党軍と戦っていたのである。日本はドイツに抗議し、その後いろいろあり、ドイツ仲介の和平交渉が進み、日中は合意に近づいていた。それなのに日本は、戦線拡大にともなって和平条件を変更し、交渉は決裂する。そして、近衛首相は「国民政府を対手にせず」という致命的にアホな声明を発するのである。ため息が出る。

 また、1939年の日本・ドイツ・ソ連の間の外交史も、とても面白い。さまざまな思惑が交錯したすえに平沼内閣は「欧州の天地は複雑怪奇」と歎息して総辞職する。日本の情報収集力・情報分析力の欠如の結果である。ため息が出る。

 この1939年の国際動向と各国の思惑を整理して記述しようと考えたが、あまりにゴチャゴチャするのでやめた。年表的に簡略に言えば、「ノモンハン事件」「アメリカの日米通商航海条約破棄通告」「独ソ不可侵条約」「第2次近衛内閣・新体制運動」「ドイツがポーランド進撃、第二次世界大戦」の年である。

 1939年に日本が五相会議で延々と論議していた日独伊三国同盟は、独ソ不可侵条約でいったんは消える。しかし、第二次世界大戦勃発後のドイツの快進撃を見て「バスに乗り遅れるな」と1940年9月に三国同盟を締結する。半藤氏は、これを日本が戦争へ突入する道のポイント・オブ・ノーリターンと見なしている。責任者は近衛首相・松岡外相である。

 本書のエピローグ末尾は、1990年のベルリンの一情景である。第三帝国の遺跡を訪ねた半藤氏は、ブランデンブルグ門の前で、なんと謡曲を詠じながら舞扇を手に日本舞踊を舞ったのである。まわりの観光客から万雷の拍手を浴びたそうだ。目が点になりそうな話だ。驚いた。半藤氏は日本舞踊松賀流の名取だそうだ。