『新訳 ハムレット』(河合祥一郎)の To be, or not to be は… ― 2022年03月16日
「戯曲リーディング『ハムレット』より」を観たのを機に「謎解き『ハムレット』」(河合祥一郎)を読み、その流れで河合祥一郎訳の『ハムレット』も読んだ。
『新訳 ハムレット』(シェイクスピア/河合祥一郎訳/角川文庫)
訳者は本書のあとがきで「この翻訳は、野村萬斎氏より委託され、彼が主演する「ハムレット」公演のために訳し下ろしたものである」と述べている。
訳者と役者の共同作業で「音の響きやリズムに徹底的にこだわった」のが本書の特徴だそうだ。私は先日、三神勲訳を再読したばかりで、日をおかずに『ハムレット』を別翻訳で続けて読んだ。開幕冒頭の科白は次のように違う。
三神訳「こら、誰か?」
河合訳「誰だ。」
おそらく、河合訳はこの科白に劇全体のシンボルを含意させているのだと思う。
私が驚いたのは、To be, or not to be を「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と訳したのが本邦初訳という点である。誰もが知っていると思えるこの訳は、参考書の類には載っていても作品の翻訳としては使われていないそうだ。
では、これまでにいくつの翻訳があったのか。河合氏によれば何と先行翻訳は42点もある。そのすべての To be, or not to be 翻訳を列挙しているのが本書「あとがき」の圧巻である。数例を紹介すれば次の通りだ。
17) 世に在る、世に在らぬ、それが疑問ぢゃ(1933年 坪内逍遥)
26) 生きる、死ぬ、それが問題だ(1951年 三神勲)
27) 生か、死か、それが疑問だ(1955年 福田恆存)
34) このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ(1972年 小田島雄志)
40) 生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ(1995年 松岡和子)
43) 生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ(2003年 河合祥一郎)
河合氏が21世紀になってあえて「生きるべきか、死ぬべきか…」を採用したのは、既得権を勝ち得た言葉の方が解釈よりむしろ観客に与えるインパクトが強いと考えたからである。同感できる。
『新訳 ハムレット』(シェイクスピア/河合祥一郎訳/角川文庫)
訳者は本書のあとがきで「この翻訳は、野村萬斎氏より委託され、彼が主演する「ハムレット」公演のために訳し下ろしたものである」と述べている。
訳者と役者の共同作業で「音の響きやリズムに徹底的にこだわった」のが本書の特徴だそうだ。私は先日、三神勲訳を再読したばかりで、日をおかずに『ハムレット』を別翻訳で続けて読んだ。開幕冒頭の科白は次のように違う。
三神訳「こら、誰か?」
河合訳「誰だ。」
おそらく、河合訳はこの科白に劇全体のシンボルを含意させているのだと思う。
私が驚いたのは、To be, or not to be を「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と訳したのが本邦初訳という点である。誰もが知っていると思えるこの訳は、参考書の類には載っていても作品の翻訳としては使われていないそうだ。
では、これまでにいくつの翻訳があったのか。河合氏によれば何と先行翻訳は42点もある。そのすべての To be, or not to be 翻訳を列挙しているのが本書「あとがき」の圧巻である。数例を紹介すれば次の通りだ。
17) 世に在る、世に在らぬ、それが疑問ぢゃ(1933年 坪内逍遥)
26) 生きる、死ぬ、それが問題だ(1951年 三神勲)
27) 生か、死か、それが疑問だ(1955年 福田恆存)
34) このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ(1972年 小田島雄志)
40) 生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ(1995年 松岡和子)
43) 生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ(2003年 河合祥一郎)
河合氏が21世紀になってあえて「生きるべきか、死ぬべきか…」を採用したのは、既得権を勝ち得た言葉の方が解釈よりむしろ観客に与えるインパクトが強いと考えたからである。同感できる。
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