『新版 動的平衡』で生命と時間の深淵を覗く2017年09月23日

『新版 動的平衡:生命はなぜそこに宿るのか』(福岡伸一/小学館新書)
◎時の流れの速さを感じながら…

 福岡伸一氏の『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)に大きな刺激を受けたのは数年前のように感じていた。だが、読書メモを確認すると10年前だった。時の流れの速さに驚く。

 その後、新聞や雑誌で福岡伸一氏の文章に何度も接してきたものの著書をひもとく機会がなく10年が経過し、このたび次の本を読んだ。

 『新版 動的平衡:生命はなぜそこに宿るのか』(福岡伸一/小学館新書)

 科学エッセイに近いにも関わらず先端的な見解も開陳されていて、わが干からびかけた脳への大いなる刺激になった。

 第1章では、年を取るとなぜ時間の流れを速く感じるかについての明解な解説もあり、私が『生物と無生物のあいだ』読了からの時間経過を速いと感じた由縁も納得できた。年を取るに従って体内時計の回転速度が徐々に遅くなるからだそうだ。

◎生命現象と時間の絡み

 10年前に読んだ『生物と無生物のあいだ』で最も印象深かったのは、生命を動的平衡と捉え、時間という要素を強調した点だ。生命を時間と絡めて探求する見解に瞠目した。

 『新版 動的平衡』は『生物と無生物のあいだ』で提示した「生命とは何か」をより明確に描出している。もちろんキーワードは動的平衡であり、そこで否定されているのは機械論的な生命像(デカルト主義)である。

 私は人間機械論的な考え方にある程度の共感を感じていたが、本書を読んでいると著者の見解が正しく思えてきた。生命を構成する物質の合成と分解が絶え間なく進行している動的平衡の状態が生命現象だというのは納得しやすい。

 さらに興味深いのは、この動的平衡において分解がわずかに合成を上回っているとすれば、生命の有限性が必然となり、そこに「時間の発生」の概念が生まれるという指摘だ。

 生命現象が時間を生み出したという考えは、橋元淳一郎氏の『時間はどこで生まれるのか』『時間はなぜ取り戻せないのか』『時空と生命』などでも提示されている。福岡伸一氏の考えと同じというわけではなさそうだが、通底するものがあり興味深い。時間論は面白い。

◎不老不死は杞憂か

 福岡伸一氏は動的平衡という生命観に基づいて、ips細胞などのバイオテクノロジーの医療応用には懐疑的である。人間の部品を置き換えるという機械論的な手法は不可能だろうと考えているのだ。 

 先日読んだ『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ)では、バイオテクノロジーの発展によって人類が生物学的に定められた限界を超えて「超ホモ・サピエンス」になっていく未来を、やや暗いトーンで描いていた。だが本書を読むと、そんな未来は杞憂なのかもしれないとも思えてきた。