エンタメ歌舞伎恐るべし2017年09月06日

 歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」の昼の部と夜の部を連続して観た。午前11時から午後9時までの長丁場で、昼食はコンビニの握り飯、夕食は売店の弁当を座席で食すという1日だった。歌舞伎観劇は半年ぶりだ。前回初めて昼夜連続で観て、さほど疲れを感じなかったので、どうせ歌舞伎を観るなら昼夜連続がいいと思った。

 昼夜で演目は五つ、仮名手本忠臣蔵の道行以外は初見だったが、どれも比較的わかりやすい内容で、歌舞伎はエンタメだと実感した。歌舞伎俳優はテレビタレントよりは高級なイメージがあり、確かに芸の修練を積んでいるとは思うが、それがきちんとエンタメになっているところに頼もしさを感じる。

 「極付幡随長兵衛」の序幕は役者が役者を演ずるという芝居内芝居の趣向になっている。メタフィクション的・実験小説的試みがエンタメ的に昔から使われていることに感心した。面白ければ何でもありという精神は大事だ。

 「ひらかな盛衰記」の遠見の場の臆面のなさにも驚いた。歌舞伎では遠近法の表現に、遠くの場面には人形や子役を使い、近景になって本物の役者が登場するという趣向があり、いくつかは実際に観たこともある。だが、「ひらかな盛衰記」の第2場を遠景の子役芝居だけで完結させているのには驚いた。歌舞伎座の観客には外国人も多いが、何の解説もなしに大人たちがいきなり子役たちに変身したのを理解できただろうか。その突拍子もなさが面白いのだが。

 夜の部最後の「再桜遇清水」は歌舞伎座初演という珍しい演目だ。古い芝居をベースに中村吉右衛門が琴平の金丸座のために書いた芝居だそうだ。かなりぶっ飛んだ内容でびっくりした。高僧の雰囲気がある僧侶(市川染五郎)が女性の色香に迷って破戒坊主に変身し、肉食・飲酒・衆道・殺人の果てに殺されても化けて出てきて女性に取りつこうとする話だ。わかりやすいが、あっけにとられた。歌舞伎恐るべしとも感じた。