薪がない2013年11月02日

 八ヶ岳の山小屋では薪ストーブを使っている。小さな小屋なので、薪ストーブを焚けば小屋全体の空気が上昇し、とても暖かくなる。薪ストーブを使うほどでない気温の時は電気ストーブでしのぐ。
 寒い時期に山小屋へ行くことは少なく、ひんぱんに薪ストーブを焚くわけではないので、薪の消費量はさほどではない。

 薪は、同じような薪ストーブを使っている現地の友人が調達してくれたものを、納戸小屋の軒下に積んでいる。軒下一杯にかなりの量を積んでいたので使い手があったが、何度か冬を過ごすうちに減ってきて、少し心細い状態になってきた。

 この夏、現地の友人は急逝したので、もう薪を持って来てくれない。これまでは、かなりの部分を友人に依存した山小屋生活だったのだ。これからは薪も自分で調達しなければならない。

 ホームセンターに行けば薪を売っているが、かなり高い。1束で600円近くする。1日に2,000円以上になりそうだ。そもそも、ホームセンターで薪を売っているとは言っても、さほどたくさんは置いていない。日常的に大量の薪を使う人ははホームセンターで買っているとは思えない。

 薪を大量に使う人は、軽トラック1台分とか2トントラック1台分という単位で買うらしい。どこで、薪を買ったらいいのだろうかとネットで検索し、薪を販売している業者に電話してみると、「昨年寒かったせいで、今年はもう予約で一杯です」と断られた。山小屋の前の持主が残していったメモにあった薪の調達先にも電話してみたが、「もう、やっていません」との返事だった。

 そもそも、薪ストーブ用の薪は商品として流通しているのかどうか、少し疑問になった。
 
 急逝した友人は、何人かで山に切り出しに行くと言っていた。山林の持主の許可を得て、木を伐採し、薪にしていたらしい。山林を維持するには間伐が必要なので、山林の持ち主に費用を支払う必要はない。薪のコストは伐採と運搬の人件費だけなので、労力を提供するだけで薪が入手できたらしい。と言っても、かなりの労力にはなると思われる。

 そんな話を聞いていたので、薪を大量に使う人々は、一般の商業ルートではなく、それぞれの人脈による個別ルートで薪を入手しているのではないかと思われてきたのだ。

 ストーブ用の薪は伐採してすぐには使えない。1年以上乾燥させなければならない。今年の冬は心細い在庫で何とかなるかもしれないが、早めに来年の冬からの薪の調達方法を考えなければならない。

『二重らせん』を再読し、40数年をふりかえる2013年11月10日

『二重らせん:DNAの構造を発見した科学者の記録』(J・D・ワトソン 江上不二夫・中村桂子訳/タイム ライフインターナショナル)、若き日のワトソンと83歳のワトソン
 数十年ぶりにワトソンの『二重らせん:DNAの構造を発見した科学者の記録』を再読した。きっかけは、『知の逆転』収録のワトソンの最近のインタビューを読んで、少し気になる点があったからだ。

 DNA構造解明につながったX線結晶構造解析写真を撮影したロザリンド・フランクリンについて尋ねられた83歳のワトソンは、次のように述べている。

 「ハッキリ言って、彼女はノーベル賞に値しない。ノーベル賞は敗者には与えられない。誰も彼女から賞を奪ってなどいない」

 半世紀以上昔のことについて激しい口調で答える様が気になり、本棚の奥から『二重らせん』をひっぱり出してきた。パラパラめくっているうちに、面白くなり頭から再読してしまった。

 25歳でDNAの構造を発見し、31歳でノーベル賞を受賞したたワトソンが『二重らせん』を執筆したのは1968年、40歳のときだ。
 私の所有している翻訳本は1968年9月発行だから、原著出版から時日をおかずに刊行されたようだ。翻訳は著名な生化学者・江上不二夫氏と中村桂子氏で、江上氏の「あとがき」がおもしろい。

 「著者ワトソンの社会観、科学観、人物観、それらはしばしば異様に感じられ、それが彼の文章でなまなましく書かれているとき、ときには反ぱつを感じ、ときには不快にさえ感ずるのであるが、それのもつ不思議な魅力にひきつけられて、一気に読みおえると、あとには爽快な感激が残るのである。」

 正直な感想だろうが、翻訳者が「不快にさえ感ずる」と表現しているのは、やや異様だ。いま読み返してみて、私はさほど異様にも不快にも感じなかった。半世紀前の日本の研究者たちにとってはワトソンの言動は衝撃だったようだ。

 『二重らせん』読み返して、戯画化されたコメディを読んでいる気分になった。ワトソンは自分に正直で、少々茶目っけがあるだけだと感じた。周辺の研究者たちの様子を率直に語ることで、意図せずに彼らを戯画化してしまっているようだ。
 再読にあたって、主な登場人物たちをネットで検索しながら読んでみた。この本に登場する戯画化された研究者たちの大半は後のノーベル賞受賞者である(当時、すでに受賞していた人もいる)。キラ星のごとき人物群像だ。

 私は研究者たちの世界は知らないが、われわれの理解できない高度な研究に従事している人々も、感性や感情は一般の人々と大きくは変わらないだろうと思う。だれもが、その人生経験においてさまざまな行き違いやゴマカシや見解の相違を体験する。ひとつの事実の見方は複数の当事者で異なる場合は多い。ノーベル賞クラスの研究者の世界においても一般人の世界と似たようなイザコザが起こることは容易に想像できる。ワトソンは、そんな世界を自分の視点で自由な筆致で語っている。

 で、83歳のワトソンが「誰も彼女から賞を奪ってなどいない」と語ったロザリンド・フランクリン(ロージィ)である。彼女は『二重らせん』に問題女性としてひんぱんに登場する。
 しかし、本書を再読してワトソンがロージィに対して悪意を抱いているとは感じられなかった。ワトソンとクリックがDNAの構造を発見するまでのロージィは問題女性だが、彼女が彼らの発見を正しいと認めてからのロージィに関するワトソンの表現は一転している。いい人になっているのだ。それまでの彼女へのワトソンの誤解も正直に述べている。

 ロージィはワトソンたちがノーベル賞を受賞する4年前(1958年)に37歳で病死しているので、『二重らせん』に記述された自分自身について異論を述べることはできない。この点につても、ワトソンは「エピローグ」で「たいへん悲しい例外」(他の人々は本書のまちがいを指摘できる)と述べ、彼女の研究成果を高く評価している。

 この「エピローグ」におけるワトソンのロザリンド・フランクリン(ロージィ)への目線は、40数年後に83歳のワトソンが「ハッキリ言って、彼女はノーベル賞に値しない」と述べる口調とは少し違和感がある。
 
 ロザリンド・フランクリンについてネットで調べると、『ロザリンド・フランクリンとDNA:ぬすまれた栄光』『ダークレディと呼ばれて:二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実』などという本が出版されていることがわかった。
 福岡伸一氏の『生物と無生物のあいだ』(講談社新書)でも、「ダークサイド・オブ・DNA」という章でロザリンド・フランクリンについて詳しく言及している。6年前に読んだ本だが、この件は失念していた(年取って読んだ本の内容はすぐ蒸発する)。
 『二重らせん』刊行後の40数年の間に、ワトソンたちはロザリンド・フランクリンを不当に貶めているという非難がくり返されてきたようだ。

 とりあえず、『生物と無生物のあいだ』の第6章、第7章を再読してみた。ワトソンとクリックのDNAの構造発見はロザリンド・フランクリンのX線結晶構造解析写真を「不当に」に入手したことによって得られた成果であり、ロザリンド・フランクリンはそれを知らずに夭折したという内容である。ワトソンの『二重らせん』の記述には疑わしい点があるとも指摘されている。

 もちろん、私に真実はわからない。彼女が夭折しなかったならば、ノーベル賞がどうなっていたのかもわかりようがない。『知の逆転』で吉成真由美氏があえてロザリンド・フランクリンに関して質問し、83歳のワトソンが激しい口調で答えたことの背景はわかった。