原発ルネッサンス謳歌本を書いた豊田有恒氏は高木仁三郎氏の同級生 ― 2011年04月24日
東日本大震災の半年前に出た広瀬隆氏の『原子炉時限爆弾』が、大地震による原発事故を警告したタイムリーな本だとすれば、東日本大震災の3カ月前に出た豊田有恒氏の『日本の原発技術が世界を変える』(祥伝社新書/2010.12.10)は、日本の原発は世界一安全と謳った、誠にタイミングの悪い本だと言える。
とは言え、『日本の原発技術が世界を変える』は書店の店頭に平積みになっている。大震災後の2011年4月25日に2刷が出ている。これから原発論議が活発になるであろうことを見越しての増刷だろう。昔、私はSFファンだったから、日本SF第一世代の豊田有恒氏の初期SF小説には親しんでいた。彼が原発をどうとらえているかに興味を持ったので、読んでみた。
本書は「日本の原発技術は世界最高レベルにある。安全性も世界一だ。この技術を広く世界に売り込もう」と主張している。福島原発の事故を体験したわれわれに、この主張がむなしく聞こえるのは仕方がない。しかし、本書は作家の手になるだけに、読みやすい。ある種の説得力もある。
豊田有恒氏は自分の立場を「無条件推進派ではなく、むしろ批判派、原発やむを得ず派」としている。恐らく、大震災後の現在も、この立場を変えていないと思われる。
著者は、原子力の平和利用を人類の技術進歩ととらえ、原発のかかえる放射性廃棄物などの課題は技術で克服できると考えている。そして、原発反対運動は、無知や誤解あるいは政治的思惑によるものとみなしている。
特にH.T氏(広瀬隆氏と思われる)については、「反対ありきで、センセーショナルに煽りたてる」「金儲けと言って悪ければ、巧妙手柄のため、反対をぶちあげる」と手厳しい。
で、この本を読んで、私が「原発やむなし」に説得されたかと言うと、残念ながら、そうではない。
私は、原発の根本的な問題は、無毒化するには何万年も要する放射線廃棄物を出し続ける点にあると考えている。豊田氏は、放射線廃棄物の処理方法の一つとして、素粒子加速器の利用をあげている。可能性はあるかもしれないが、あまりに大げさな方法であり、H.T氏ならずとも、たかがお湯を沸かすだけのために、そこまでコストをかけるのか、という気がしてくる。
本書で驚いたのは高木仁三郎氏への言及の箇所だ。豊田有恒氏は群馬大学付属中学時代、高木仁三郎氏と同級で親しい友人だったそうだ。そのせいか、豊田氏はH.T氏を口汚く罵る一方、高木氏には一目置き、プルトニウムの毒性に着目した信念の人だったと持ち上げている。しかし、それによって豊田氏の信念が変わったわけではなさそうだ。
本書読了後、『市民科学者として生きる』(高木仁三郎/岩波新書)を再読し、さらに『あなたもSF作家になれるわけではない』(豊田有恒/徳間文庫)も再読した。どちらも、著者の自伝的要素が強い読みやすい本なので、パラパラめくりながら、つい読み返してしまったのだ。
高木仁三郎氏と豊田有恒氏は、私の頭の中ではまったく異なる範疇の人物だった。両氏の初期の著作から読んでいたが、この両氏に接点を感じたことはなかった。
彼らは1938年生まれ、私より10歳年上だ。この二人が同級生だったことを知ったうえで二人の自伝的著作を読み返してみると、同世代の二人の人生が重なり合って見えてきて興味深かった。
高木氏は『市民科学者として生きる』の中で、群馬大学付属中学時代を、多くの友人にめぐまれた、のびのびした、夢のような日々であったと語っている。おそらく、豊田氏にとっても同じような日々だったのだろう。
この二人にはいくつかの共通点がある。二人とも開業医の息子で、その父は彼らが成人する前に亡くなっている。二人とも兄は医師になっているが、弟たちは別の道に進む。二人とも高校時代は受験勉強に集中し、東大(理系)に合格している。その後、二人ともある意味でのドロップアウトの人生を送っている。
原発への立場はまったく異なる二人だが、電力会社への不快感に多少の共通点がある。
高木氏は、電力会社の意を汲んだジャーナリストから「研究会を主宰してほしい。とりあえず3億円は用意する」と持ちかけられたことがあるそうだ。当時の3億円は現在の100億円に相当するインパクトがあったらしい。
原発の取材に熱心だった豊田氏は、電力会社から推進派と見なされ、これを書け、あれを書けと指示され、腹が立ったそうだ。
そんな二人の間に、成人後も何がしかの交流があったのかなかったのかは、これらの著作からは判然としない。
高木氏が存命で、ドロップアウト同士の同級生の二人が虚心坦懐に対話すればどんな展開になるだろうかと夢想してみた。しかし、原発問題はそんなことで論議が深まるほど生易しいものではなさそうだ。信念のぶつけあいに終わらせず、叡智を作り上げていくにはどうすればいいのか。
とは言え、『日本の原発技術が世界を変える』は書店の店頭に平積みになっている。大震災後の2011年4月25日に2刷が出ている。これから原発論議が活発になるであろうことを見越しての増刷だろう。昔、私はSFファンだったから、日本SF第一世代の豊田有恒氏の初期SF小説には親しんでいた。彼が原発をどうとらえているかに興味を持ったので、読んでみた。
本書は「日本の原発技術は世界最高レベルにある。安全性も世界一だ。この技術を広く世界に売り込もう」と主張している。福島原発の事故を体験したわれわれに、この主張がむなしく聞こえるのは仕方がない。しかし、本書は作家の手になるだけに、読みやすい。ある種の説得力もある。
豊田有恒氏は自分の立場を「無条件推進派ではなく、むしろ批判派、原発やむを得ず派」としている。恐らく、大震災後の現在も、この立場を変えていないと思われる。
著者は、原子力の平和利用を人類の技術進歩ととらえ、原発のかかえる放射性廃棄物などの課題は技術で克服できると考えている。そして、原発反対運動は、無知や誤解あるいは政治的思惑によるものとみなしている。
特にH.T氏(広瀬隆氏と思われる)については、「反対ありきで、センセーショナルに煽りたてる」「金儲けと言って悪ければ、巧妙手柄のため、反対をぶちあげる」と手厳しい。
で、この本を読んで、私が「原発やむなし」に説得されたかと言うと、残念ながら、そうではない。
私は、原発の根本的な問題は、無毒化するには何万年も要する放射線廃棄物を出し続ける点にあると考えている。豊田氏は、放射線廃棄物の処理方法の一つとして、素粒子加速器の利用をあげている。可能性はあるかもしれないが、あまりに大げさな方法であり、H.T氏ならずとも、たかがお湯を沸かすだけのために、そこまでコストをかけるのか、という気がしてくる。
本書で驚いたのは高木仁三郎氏への言及の箇所だ。豊田有恒氏は群馬大学付属中学時代、高木仁三郎氏と同級で親しい友人だったそうだ。そのせいか、豊田氏はH.T氏を口汚く罵る一方、高木氏には一目置き、プルトニウムの毒性に着目した信念の人だったと持ち上げている。しかし、それによって豊田氏の信念が変わったわけではなさそうだ。
本書読了後、『市民科学者として生きる』(高木仁三郎/岩波新書)を再読し、さらに『あなたもSF作家になれるわけではない』(豊田有恒/徳間文庫)も再読した。どちらも、著者の自伝的要素が強い読みやすい本なので、パラパラめくりながら、つい読み返してしまったのだ。
高木仁三郎氏と豊田有恒氏は、私の頭の中ではまったく異なる範疇の人物だった。両氏の初期の著作から読んでいたが、この両氏に接点を感じたことはなかった。
彼らは1938年生まれ、私より10歳年上だ。この二人が同級生だったことを知ったうえで二人の自伝的著作を読み返してみると、同世代の二人の人生が重なり合って見えてきて興味深かった。
高木氏は『市民科学者として生きる』の中で、群馬大学付属中学時代を、多くの友人にめぐまれた、のびのびした、夢のような日々であったと語っている。おそらく、豊田氏にとっても同じような日々だったのだろう。
この二人にはいくつかの共通点がある。二人とも開業医の息子で、その父は彼らが成人する前に亡くなっている。二人とも兄は医師になっているが、弟たちは別の道に進む。二人とも高校時代は受験勉強に集中し、東大(理系)に合格している。その後、二人ともある意味でのドロップアウトの人生を送っている。
原発への立場はまったく異なる二人だが、電力会社への不快感に多少の共通点がある。
高木氏は、電力会社の意を汲んだジャーナリストから「研究会を主宰してほしい。とりあえず3億円は用意する」と持ちかけられたことがあるそうだ。当時の3億円は現在の100億円に相当するインパクトがあったらしい。
原発の取材に熱心だった豊田氏は、電力会社から推進派と見なされ、これを書け、あれを書けと指示され、腹が立ったそうだ。
そんな二人の間に、成人後も何がしかの交流があったのかなかったのかは、これらの著作からは判然としない。
高木氏が存命で、ドロップアウト同士の同級生の二人が虚心坦懐に対話すればどんな展開になるだろうかと夢想してみた。しかし、原発問題はそんなことで論議が深まるほど生易しいものではなさそうだ。信念のぶつけあいに終わらせず、叡智を作り上げていくにはどうすればいいのか。
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