75歳のヘディンの精力的な外交活動に驚いた ― 2025年10月06日
スウェーデンの高名な探検家・地理学者ヘディンとヒトラーをはじめとするナチス幹部たちとの交流・交渉を描いた次の本を読んだ。
『秘められたベルリン使節:ヘディンのナチ・ドイツ日記』(金子民雄/中公文庫/1990.10)
私がヘディンとナチスの関係を知ったのは、10年ほど前に『ヒトラーの秘密図書館』を読んだときだった。若い頃からヘディンのファンだったヒトラーは、総統になってヘディンを賓客として招待し、ヘディンはヒトラーの言説を代弁するような著作を出版した、といった内容だった。
今年8月、NHK BSが『世界のドキュメンタリー ヒトラーの本棚:ナチズムの源を読み解く』という番組を放映した。2023年にドイツ/ベルギーで制作したこの番組に『ヒトラーの秘密図書館』の著者ライバックも解説者の一人として登場した。番組では、世界的な有名人ヘディンが『大陸の戦争におけるアメリカ』という著作でナチスの代弁者のように語った、と紹介していた。
2年前に読んだ『ナチスと隕石仏像』もヘディンとナチスの関係に言及していた。この本では、親衛隊長官ヒムラーがアーリア人の痕跡追求のためチベット探検に注力し、ヘディンとも交流があったと紹介している。だが、ヘディンにとっては祖国スウェーデンの中立維持のための交流であり、「親ナチス」という批判を見直すべきだと述べている。
私は、最近になってヘディンの『馬仲英の逃亡』と『さまよえる湖』を読み、この胆力ある探検家への興味がわき、ヘディンとナチスの関係が気になってきた。ヒトラーやナチスは私の関心領域なので関連書を何冊か読んできたが、上記の2冊以外にヘディンに触れた本は記憶にない。カーショーの大著『ヒトラー』にもヘディンは登場しない。
で、ネットを検索して30年以上前に出た本書『秘められたベルリン使節』を見つけた。著者は最近読んだ『西域 探検の世紀』の金子民雄氏である。
本書は1935年から1943年1月まで、ヘディン70歳から77歳までのベルリンでの活動の記録である。400頁を越えるこの文庫本の読了には思いのほかの時間を要した。ヘディンの日記をベースに、歴史上のひとつの時期を緻密に記録している。彼の交流関係が広範なため登場人物が多い。後世の眼で俯瞰する歴史書ではなく、同時代進行の記録である。登場人物たちが情勢を語るさまざまな言説によって、先行き不透明な時代をヘディンと共に模索している気分になる。
本書で驚いたのは、ヘディンがかなりの大物で、政治にも大いなる関心を抱いていたことだ。高名な探検家ヘディンはスウェーデン国王や政府関係者とも交流があり、ノーベル賞の選考委員も務めている。ヒトラーと個人的友人関係にあったと言われるが、それ以前からドイツ皇帝やヒンデンブルグらとも交友があった。ゲーリングとは無名時代から親しかった。
また、ヘディンが克明な日記を残しているのも感嘆に値する。人と会談したときは、その内容を会話体で記録している。交友関係が驚くほど広いから日記は膨大である。ヘディンは探検費用を捻出するために膨大な探検記や戦記(第一次大戦)を書いているが、それらの著作のベースには克明な日記があったのだ。
70歳を過ぎてもベルリンを何度も訪問しているヘディンは、ナチスの要人と会談を重ねている。ヒトラーとの会談は新聞報道もされる。ヘディンは、そんな会談を個人的な活動と述べているが、実際にはスウェーデン国王や政府の意を受けた外交活動と情報収集(ナチス政府の意図確認)だった。当時、ナチスの要人と容易に会える外国人はヨーロッパ中でもヘディンしかいなかった。
ヘディンがそんな立場にいたのは、若いときからの親独派であり、ゲルマン人の優位性を信じていたからである。だが、全面的にナチスに共感していたわけではない。ユダヤ人や教会へのナチスの政策には批判的だった。ヘディンの著作『ドイツと世界平和』のドイツ語版は、ナチスからの修正要求に応じなかったため出版できなかった。そんな事情にもかかわず、ヒトラーはこの高名は老探検家を友人として遇した。
本書によって、北欧三国(フィンランド、スウェーデン、ノルウェー)とナチス・ドイツとの微妙な関係を垣間見ることができた。ヘディンが自らに課していた使命はスウェーデンの中立維持である。結果的にその使命は果たされ、スウェーデンは第二次世界大戦において中立を維持できた。たが、スウェーデンのナチス批判派は戦後、親ナチスだったヘディンを批判する。
ヘディンがゲッベルスやヒムラーとも何度か会見し、友好関係を結んでいたのは事実だ。そのため、ナチスから迫害されている団体や要人の関係者からは、改善の嘆願依頼がヘディンのもとに殺到した。ヘディンはそのいくつかをゲッベルスやヒムラーに取りつぎ、改善が実現したものもある。ナチスにとって、ヘディンは無視できない大物だったようだ。
本書には、探検の成果を元に地図を作製・出版する作業の紹介もある。かなりの費用を要する作業だったらしい。20世紀前半の探検の時代、探検と政治の関係はかなり近かったのだと思う。
『秘められたベルリン使節:ヘディンのナチ・ドイツ日記』(金子民雄/中公文庫/1990.10)
私がヘディンとナチスの関係を知ったのは、10年ほど前に『ヒトラーの秘密図書館』を読んだときだった。若い頃からヘディンのファンだったヒトラーは、総統になってヘディンを賓客として招待し、ヘディンはヒトラーの言説を代弁するような著作を出版した、といった内容だった。
今年8月、NHK BSが『世界のドキュメンタリー ヒトラーの本棚:ナチズムの源を読み解く』という番組を放映した。2023年にドイツ/ベルギーで制作したこの番組に『ヒトラーの秘密図書館』の著者ライバックも解説者の一人として登場した。番組では、世界的な有名人ヘディンが『大陸の戦争におけるアメリカ』という著作でナチスの代弁者のように語った、と紹介していた。
2年前に読んだ『ナチスと隕石仏像』もヘディンとナチスの関係に言及していた。この本では、親衛隊長官ヒムラーがアーリア人の痕跡追求のためチベット探検に注力し、ヘディンとも交流があったと紹介している。だが、ヘディンにとっては祖国スウェーデンの中立維持のための交流であり、「親ナチス」という批判を見直すべきだと述べている。
私は、最近になってヘディンの『馬仲英の逃亡』と『さまよえる湖』を読み、この胆力ある探検家への興味がわき、ヘディンとナチスの関係が気になってきた。ヒトラーやナチスは私の関心領域なので関連書を何冊か読んできたが、上記の2冊以外にヘディンに触れた本は記憶にない。カーショーの大著『ヒトラー』にもヘディンは登場しない。
で、ネットを検索して30年以上前に出た本書『秘められたベルリン使節』を見つけた。著者は最近読んだ『西域 探検の世紀』の金子民雄氏である。
本書は1935年から1943年1月まで、ヘディン70歳から77歳までのベルリンでの活動の記録である。400頁を越えるこの文庫本の読了には思いのほかの時間を要した。ヘディンの日記をベースに、歴史上のひとつの時期を緻密に記録している。彼の交流関係が広範なため登場人物が多い。後世の眼で俯瞰する歴史書ではなく、同時代進行の記録である。登場人物たちが情勢を語るさまざまな言説によって、先行き不透明な時代をヘディンと共に模索している気分になる。
本書で驚いたのは、ヘディンがかなりの大物で、政治にも大いなる関心を抱いていたことだ。高名な探検家ヘディンはスウェーデン国王や政府関係者とも交流があり、ノーベル賞の選考委員も務めている。ヒトラーと個人的友人関係にあったと言われるが、それ以前からドイツ皇帝やヒンデンブルグらとも交友があった。ゲーリングとは無名時代から親しかった。
また、ヘディンが克明な日記を残しているのも感嘆に値する。人と会談したときは、その内容を会話体で記録している。交友関係が驚くほど広いから日記は膨大である。ヘディンは探検費用を捻出するために膨大な探検記や戦記(第一次大戦)を書いているが、それらの著作のベースには克明な日記があったのだ。
70歳を過ぎてもベルリンを何度も訪問しているヘディンは、ナチスの要人と会談を重ねている。ヒトラーとの会談は新聞報道もされる。ヘディンは、そんな会談を個人的な活動と述べているが、実際にはスウェーデン国王や政府の意を受けた外交活動と情報収集(ナチス政府の意図確認)だった。当時、ナチスの要人と容易に会える外国人はヨーロッパ中でもヘディンしかいなかった。
ヘディンがそんな立場にいたのは、若いときからの親独派であり、ゲルマン人の優位性を信じていたからである。だが、全面的にナチスに共感していたわけではない。ユダヤ人や教会へのナチスの政策には批判的だった。ヘディンの著作『ドイツと世界平和』のドイツ語版は、ナチスからの修正要求に応じなかったため出版できなかった。そんな事情にもかかわず、ヒトラーはこの高名は老探検家を友人として遇した。
本書によって、北欧三国(フィンランド、スウェーデン、ノルウェー)とナチス・ドイツとの微妙な関係を垣間見ることができた。ヘディンが自らに課していた使命はスウェーデンの中立維持である。結果的にその使命は果たされ、スウェーデンは第二次世界大戦において中立を維持できた。たが、スウェーデンのナチス批判派は戦後、親ナチスだったヘディンを批判する。
ヘディンがゲッベルスやヒムラーとも何度か会見し、友好関係を結んでいたのは事実だ。そのため、ナチスから迫害されている団体や要人の関係者からは、改善の嘆願依頼がヘディンのもとに殺到した。ヘディンはそのいくつかをゲッベルスやヒムラーに取りつぎ、改善が実現したものもある。ナチスにとって、ヘディンは無視できない大物だったようだ。
本書には、探検の成果を元に地図を作製・出版する作業の紹介もある。かなりの費用を要する作業だったらしい。20世紀前半の探検の時代、探検と政治の関係はかなり近かったのだと思う。

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