24年前に見逃した『野田版 研辰の討たれ』を観た2025年08月06日

 歌舞伎座で『野田版 研辰の討たれ』(作:木村錦花、脚色:平田兼三郎、脚本・演出:野田秀樹)を観た。かねてから観たいと思っていた芝居をついに観ることができた。

 今月(2025年8月)の歌舞伎座は三部制で、第三部が『越後獅子』(21分)と『野田版 研辰の討たれ』(95分)である。

 『野田版 研辰の討たれ』の初演は24年前の2001年8月。野田秀樹の脚本・演出、中村勘九郎(18代 中村勘三郎)主演の新作歌舞伎で話題になった。当時52歳の私は仕事が忙しくて芝居を観る余裕はなかった。『野田版 研辰の討たれ』の評判を聞き、この歌舞伎だけは観たいと思った。だがチケットはすでに完売だった。ならば一幕見でもいいと思い、何とか仕事を早めに切り上げて夕刻の歌舞伎座に赴いた。だが、長い行列ができていて一幕見席もゲットできなかった。

 その後、勘九郎は勘三郎を襲名(2005年)、2012年には逝ってしまった。私は十数年前にDVDの『野田版 研辰の討たれ』を購入し、テレビ画面で何度か観た。確かに面白い。野田秀樹と勘九郎(当時)の茶目っけと才が炸裂する芝居である。

 この芝居は、2005年の勘三郎襲名の時に再演し、今回は再々演だそうだ。20年が経過し、主演は当代の勘九郎に世代交代した。

 今回、歌舞伎座の大舞台を観て、本物の舞台装置の迫力を堪能した。この芝居は、やや抽象的な大階段をしつらえた回り舞台で展開する。そんな大掛かりな仕掛けの魅力は、DVDではなく現場でなければ感得できない。

 また、歌舞伎の襲名という仕掛けの面白さをあらためて感じた。この芝居の主要人物は、仇討ち対象の辰治(元・研ぎ屋)と仇を追う九市郎、才次郎の兄弟である。24年前、この三人を中村勘九郎、市川染五郎、中村勘太郎が演じた。今回の上演でも、この三人を演じるのは同じ中村勘九郎、市川染五郎、中村勘太郎である。だが、三人とも中身は息子に変わっている。24年前に仇を討つ弟だった勘太郎は襲名し、今回は仇を討たれる勘九郎である。

 演し物や役者名が同じまま、実際に演じる生身の人間は世代交代していく。20年か30年先にこの芝居が上演されるときも、役者名はそのままで世代交代しているかもしれない。何だか合理的な枠組み継承システムに思えてくる。

 世代交代の再々演と言っても、同じ役者が24年前と同じ役を演じているケースもある。からくり人形を演じる怪優・片岡亀蔵などである。これもスゴイことだ。

 DVDでこの芝居を観たとき、同時代の風俗を奔放に取り入れたギャグの頻発に笑った。この芝居が20年以上経って古典作品のように甦るとは想像しなかった。

 再々演にあたって昔のギャグをどう扱うか、気になった。多くはそのまま使用していた。固定電話に関する台詞では「五十代以上の人にしかわからないでしょが…」とつけ加え、プロ野球選手と結婚するには女子アナになるという話に「20年前は…」と言い足しているのが笑えた。同時代の「ナマモノ」であるギャグは、年月を経ると別種の面白さが出てくるのだと感じた。
 
 この芝居には、俵万智の『サラダ記念日』の短歌をパロディにした箇所がある。DVDで観たときには、歌舞伎の世界にキワ物を持ち込んでいる面白さを感じた。今回の上演でも同じパロディ短歌をそのまま使用していた。それを観ながら『サラダ記念日』はキワ物などではなく、すでに古典に近いと思った。『野田版 研辰の討たれ』も同じで、すでに古典になりつつあるのかもしれない。

 終演後のカーテンコールには驚いた。歌舞伎座でのカーテンコールは私には初めての体験だと思う。