書き替えの痕跡を検証する安部公房の評伝の決定版 ― 2024年09月19日
今年は安部公房生誕100年。書店の棚に文庫の新刊が積まれ、映画『箱男』の上演も始まった。次の本も出た。
『安部公房:消しゴムで書く』(鳥羽耕史/ミネルヴァ書房/2024.7)
一読して安部公房評伝の決定版だと思った。著者は1968年生まれの研究者である(私より20歳若い)。安部公房との面識はない。資料の渉猟や関係者への取材に10年の歳月を要したそうだ。労作である。
私は半世紀以上昔の学生時代には安部公房ファンだった。1960年代後半からはリアルタイムで安部公房作品に接してきた。主要作品や関連本を読んいるし、没後に刊行された全集30巻も購入した(私が持っている唯一の個人全集)。全集は拾い読みしただけだが、この作家の概要は把握した気になっている。
この評伝には、そんな私の知らない事項が次々に出てくる。曖昧で釈然としなかった事柄もクリアに見えてくる。よくぞここまで掘り起こしたものだと感心した。
本書の著者・鳥羽耕史氏は17年前に『運動体・安部公房』を上梓している。私は13年前にその本を読み、若き安部公房の政治的芸術活動を抽出した記述に感心した。同じ頃、安部公房の娘ねりによる『安部公房伝』も読み、この作家の実像を垣間見た。後日、『安部公房伝』を補完するような山口果林の『安部公房とわたし』を読み、実像の垣間見が深化した。『安部公房とはだれか』(木村陽子)も苦い評伝のようだった。2年前にはヤマザキマリの『壁とともに生きる:わたしと「安部公房」』で、この作家の普遍的な人気を再認識した。
この評伝のサブタイトル「消しゴムで書く」は、安部公房が自身の文学を語ったエッセイ(講談社の『われらの文学 7 安部公房』巻末の「私の文学」という共通タイトルの自己解説)に付した表題である。生活の作品化を拒絶し、生活の軌跡を作品に映すことを否定する姿勢を「消しゴムで書く」と表現したのだ。消しゴムで書くタイプの作家は「世界に対して自己の存在を、真空にちかいほどの大きな負圧として自覚する」とも述べている。印象深い文章だが、わかりやすくはなかった。
鳥羽氏は本書のはしがきで「安部公房の伝記を書くことは、彼の意思に逆らうことである。」としたうえで、次のように述べている。
「本書では、明らかになった伝記的な事柄や影響関係、それがどのように作品とかかわっていたか、また、その痕跡を公房がどのように消去していったか、ということについて書いてみたい。(…)彼の消しゴムの手際の鮮やかさは、消されたものの復元によってしか見えず、その作業によってこそ、消しゴムで書いた作家の真価が見えてくる、と思うからだ。」
この伝記には二つの特徴がある。一つは芸術運動、政治運動、演劇活動など小説創作とはやや異なる領域の活動を詳述している点である。これは前作『運動体・安部公房』に共通している。もう一つは、安部公房が生涯にわたって自己の作品(小説・戯曲)を改変してきた軌跡を細かく辿っている点である。この二つの特徴は絡み合っていて、非常に興味深い。
安部公房は過去の作品を再刊する際に大幅に手を入れることがあった。また、過去の作品をベースにした新作を発表することも多かった。それは認識していたが、本書によって改変の詳細を知り、その膨大さに少々驚いた。著者は改変の事実を坦々と紹介し、それへのコメントは最小限に抑えている。だが、改変の軌跡の全貌紹介だけで自ずとひとつの安部公房論になっている。
安部公房の演劇活動に関する次のような記述もある。
「桐朋学園の教え子であり「果林」の芸名も与えた山口果林と恋愛関係に入ったことが、演劇への情熱を支えていたようにも見える。妻の安部真知は公房の舞台美術の担当を続けたため、公房は妻と愛人の間で舞台演出をしていたことになる。」
以前に読んだ『安部公房とはだれか』(木村陽子)では、安部公房が劇団活動に傾斜していった要因の一つに舞台美術家としての安部真知の成長があったとし、次のように述べていた。
「舞台人として真知が大きな飛躍を遂げた60年代後半以降の安部演劇は、トータル・アドバイザーとしての真知のアイディアと感性によって補完される部分が大きかった」
安部公房の演劇に深く関与した妻と愛人の緊張関係を想像すると、ちょっと怖くなるあやういバランスの上の劇団活動だったのかと思ってしまう。
『安部公房:消しゴムで書く』(鳥羽耕史/ミネルヴァ書房/2024.7)
一読して安部公房評伝の決定版だと思った。著者は1968年生まれの研究者である(私より20歳若い)。安部公房との面識はない。資料の渉猟や関係者への取材に10年の歳月を要したそうだ。労作である。
私は半世紀以上昔の学生時代には安部公房ファンだった。1960年代後半からはリアルタイムで安部公房作品に接してきた。主要作品や関連本を読んいるし、没後に刊行された全集30巻も購入した(私が持っている唯一の個人全集)。全集は拾い読みしただけだが、この作家の概要は把握した気になっている。
この評伝には、そんな私の知らない事項が次々に出てくる。曖昧で釈然としなかった事柄もクリアに見えてくる。よくぞここまで掘り起こしたものだと感心した。
本書の著者・鳥羽耕史氏は17年前に『運動体・安部公房』を上梓している。私は13年前にその本を読み、若き安部公房の政治的芸術活動を抽出した記述に感心した。同じ頃、安部公房の娘ねりによる『安部公房伝』も読み、この作家の実像を垣間見た。後日、『安部公房伝』を補完するような山口果林の『安部公房とわたし』を読み、実像の垣間見が深化した。『安部公房とはだれか』(木村陽子)も苦い評伝のようだった。2年前にはヤマザキマリの『壁とともに生きる:わたしと「安部公房」』で、この作家の普遍的な人気を再認識した。
この評伝のサブタイトル「消しゴムで書く」は、安部公房が自身の文学を語ったエッセイ(講談社の『われらの文学 7 安部公房』巻末の「私の文学」という共通タイトルの自己解説)に付した表題である。生活の作品化を拒絶し、生活の軌跡を作品に映すことを否定する姿勢を「消しゴムで書く」と表現したのだ。消しゴムで書くタイプの作家は「世界に対して自己の存在を、真空にちかいほどの大きな負圧として自覚する」とも述べている。印象深い文章だが、わかりやすくはなかった。
鳥羽氏は本書のはしがきで「安部公房の伝記を書くことは、彼の意思に逆らうことである。」としたうえで、次のように述べている。
「本書では、明らかになった伝記的な事柄や影響関係、それがどのように作品とかかわっていたか、また、その痕跡を公房がどのように消去していったか、ということについて書いてみたい。(…)彼の消しゴムの手際の鮮やかさは、消されたものの復元によってしか見えず、その作業によってこそ、消しゴムで書いた作家の真価が見えてくる、と思うからだ。」
この伝記には二つの特徴がある。一つは芸術運動、政治運動、演劇活動など小説創作とはやや異なる領域の活動を詳述している点である。これは前作『運動体・安部公房』に共通している。もう一つは、安部公房が生涯にわたって自己の作品(小説・戯曲)を改変してきた軌跡を細かく辿っている点である。この二つの特徴は絡み合っていて、非常に興味深い。
安部公房は過去の作品を再刊する際に大幅に手を入れることがあった。また、過去の作品をベースにした新作を発表することも多かった。それは認識していたが、本書によって改変の詳細を知り、その膨大さに少々驚いた。著者は改変の事実を坦々と紹介し、それへのコメントは最小限に抑えている。だが、改変の軌跡の全貌紹介だけで自ずとひとつの安部公房論になっている。
安部公房の演劇活動に関する次のような記述もある。
「桐朋学園の教え子であり「果林」の芸名も与えた山口果林と恋愛関係に入ったことが、演劇への情熱を支えていたようにも見える。妻の安部真知は公房の舞台美術の担当を続けたため、公房は妻と愛人の間で舞台演出をしていたことになる。」
以前に読んだ『安部公房とはだれか』(木村陽子)では、安部公房が劇団活動に傾斜していった要因の一つに舞台美術家としての安部真知の成長があったとし、次のように述べていた。
「舞台人として真知が大きな飛躍を遂げた60年代後半以降の安部演劇は、トータル・アドバイザーとしての真知のアイディアと感性によって補完される部分が大きかった」
安部公房の演劇に深く関与した妻と愛人の緊張関係を想像すると、ちょっと怖くなるあやういバランスの上の劇団活動だったのかと思ってしまう。

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