伊藤野枝が眩しく見える『ケエツブロウよ』 ― 2024年06月02日
紀伊国屋ホールで劇団青年座公演『ケエツブロウよ:伊藤野枝ただいま帰省中』(作:マキノノゾミ、演出:宮田慶子、出演:那須凛、横堀悦夫、松川真也、他)を観た。先日観た『飛龍伝』はマキノノゾミ演出、今回は脚本だ。
青年座は30年前、今回と同じマキノノゾミと宮田慶子のコンビで『MOTHER:君わらひたまふことなかれ』を上演している。私は、その公演を観劇し、戯曲まで入手している。印象深い芝居だったのだ。今回の公演を知り、『MOTHER』の続編のような芝居だろうと直感し、観劇したくなり、チケットを手配した。
与謝野晶子を描いた『MOTHER』には与謝野鉄幹、北原白秋、石川啄木、佐藤春夫などの文学者が登場する。印象に残っているのは平塚明子(らいてう)と大杉栄だった。伊藤野枝は出てこない。今回の『ケエツブロウよ:伊藤野枝ただいま帰省中』は伊藤野枝が主人公である。大杉栄も登場する。
舞台は福岡県糸島郡今宿の海辺にある伊藤野枝の実家だ。開幕から終幕まで舞台は変わらない。この実家での十数年の時間を描いている。野枝が嫁ぎ先から8日で出奔して辻潤の元へ走る17歳のときから、大杉栄と共に28歳で虐殺された翌年のお盆に霊となって実家に帰ってくるまでの約10年である。時代も家族も変遷する。
「ケエツブロウ」とは海鳥カイツブリの方言だそうだ。野枝は次のような詩を残している。
ねえケエツブロウやいっそうの事に
死んでおしまい! その岩の上で――
お前が死ねば私も死ぬよ
どうせ死ぬならケエツブロウよ
かなしいお前とあの渦巻へ――
野枝の実家を舞台にしたこの芝居の面白さは、やっかいな娘を抱えた両親、妹、祖母、叔父たちの姿の描写にある。ドタバタとまでは言えないが、野枝を叱責しつつも野枝に巻き込まれていき、共感さえ抱くに至る展開が見事だ。作劇の妙を感じた。
パンフレットに掲載されているマキノノゾミの文章によれば「大杉の出てこない大杉の芝居」にする予定が「大杉も出てくる伊藤野枝の実家の話」になってしまったそうだ。人たらしの大杉栄が劇作家までたらしこんだみたいだ。
この芝居を観ていると、明治から大正にかけての時代の青年たちの溌剌さや傲慢さが眩しく見えてくる。時代が暗い方向に進んでいく前夜だから、よけいにそう感じるのかもしれない。
野枝の墓はバカでかい巨石だそうだ。木の墓標がたびたび倒されたり引き抜かれたりするので、叔父が巨石を運んできて墓標にしたという。終幕では、実家の居間に忽然と現れた巨石に照明が当たる。『天国への階段』が流れる。
青年座は30年前、今回と同じマキノノゾミと宮田慶子のコンビで『MOTHER:君わらひたまふことなかれ』を上演している。私は、その公演を観劇し、戯曲まで入手している。印象深い芝居だったのだ。今回の公演を知り、『MOTHER』の続編のような芝居だろうと直感し、観劇したくなり、チケットを手配した。
与謝野晶子を描いた『MOTHER』には与謝野鉄幹、北原白秋、石川啄木、佐藤春夫などの文学者が登場する。印象に残っているのは平塚明子(らいてう)と大杉栄だった。伊藤野枝は出てこない。今回の『ケエツブロウよ:伊藤野枝ただいま帰省中』は伊藤野枝が主人公である。大杉栄も登場する。
舞台は福岡県糸島郡今宿の海辺にある伊藤野枝の実家だ。開幕から終幕まで舞台は変わらない。この実家での十数年の時間を描いている。野枝が嫁ぎ先から8日で出奔して辻潤の元へ走る17歳のときから、大杉栄と共に28歳で虐殺された翌年のお盆に霊となって実家に帰ってくるまでの約10年である。時代も家族も変遷する。
「ケエツブロウ」とは海鳥カイツブリの方言だそうだ。野枝は次のような詩を残している。
ねえケエツブロウやいっそうの事に
死んでおしまい! その岩の上で――
お前が死ねば私も死ぬよ
どうせ死ぬならケエツブロウよ
かなしいお前とあの渦巻へ――
野枝の実家を舞台にしたこの芝居の面白さは、やっかいな娘を抱えた両親、妹、祖母、叔父たちの姿の描写にある。ドタバタとまでは言えないが、野枝を叱責しつつも野枝に巻き込まれていき、共感さえ抱くに至る展開が見事だ。作劇の妙を感じた。
パンフレットに掲載されているマキノノゾミの文章によれば「大杉の出てこない大杉の芝居」にする予定が「大杉も出てくる伊藤野枝の実家の話」になってしまったそうだ。人たらしの大杉栄が劇作家までたらしこんだみたいだ。
この芝居を観ていると、明治から大正にかけての時代の青年たちの溌剌さや傲慢さが眩しく見えてくる。時代が暗い方向に進んでいく前夜だから、よけいにそう感じるのかもしれない。
野枝の墓はバカでかい巨石だそうだ。木の墓標がたびたび倒されたり引き抜かれたりするので、叔父が巨石を運んできて墓標にしたという。終幕では、実家の居間に忽然と現れた巨石に照明が当たる。『天国への階段』が流れる。
別役実の一人芝居『風のセールスマン』を観た ― 2024年06月04日
下北沢のアトリエ乾電池で劇団東京乾電池公演『風のセールスマン』(作:別役実、演出:柄本明、出演:柴田鷹雄)を観た。アトリエ乾電池は劇団東京乾電池の稽古場&自主公演会場である。客席は50前後だ。
チラシには「2009年に別役実がアーサー・ミラーの名作『セールスマンの死』を下敷きに柄本明に書き下ろした自身唯一の一人芝居」とある。別役実が『セールスマンの死』をどう料理したのかに興味がわき、会場に足を運んだ。
舞台にはバス停とベンチ、そして電信柱1本。別役ワールドである。大きな鞄を持ったセールスマンが雨傘をさして登場する。雨は降っていない。
1時間20分の独白は、話がアチコチにとめどなくふくらんで行く。犬の首輪と鎖、手鏡、剃刀、洗濯物を干すロープなどの小道具が次々に出てくるだけでなく、背景に巨大な目玉が浮かびあがったり、どこからか段ボール箱(ホームレス居住用?)が出現したりもする。にぎやかな道具だてだが、やはり、静かで悲しい物語である。
セールスマンの悲哀を描いている点は『セールスマンの死』と共通だが、別役実の世界はアーサー・ミラーとはかなり異なる。風のセールスマンは死にはしない(多くの人と同様に死の影を帯びてはいるが)。アーサー・ミラーほどには暗くないと言えるかもしれない。風のセールスマンは、あの米国のセールスマンのように自己幻想と厳しい現実の狭間に生きているのではなく、水虫防止付き靴底のセールスという仕事から逃亡したがっている「訪問販売員」である。
この訪問販売員は、風に舞い散る落ち葉のように街から街へと彷徨っている。どこに居ても不審者を見る視線にさらされる漂泊の人である。定住を夢見つつ彷徨う独白は、自分の家族(妻や子)を巡るさまざまな追憶におよび、現実か妄想かが判然としない世界に迷い込んでいく。
そして、彷徨は終わらない――やはり、アーサー・ミラーより暗いか。
チラシには「2009年に別役実がアーサー・ミラーの名作『セールスマンの死』を下敷きに柄本明に書き下ろした自身唯一の一人芝居」とある。別役実が『セールスマンの死』をどう料理したのかに興味がわき、会場に足を運んだ。
舞台にはバス停とベンチ、そして電信柱1本。別役ワールドである。大きな鞄を持ったセールスマンが雨傘をさして登場する。雨は降っていない。
1時間20分の独白は、話がアチコチにとめどなくふくらんで行く。犬の首輪と鎖、手鏡、剃刀、洗濯物を干すロープなどの小道具が次々に出てくるだけでなく、背景に巨大な目玉が浮かびあがったり、どこからか段ボール箱(ホームレス居住用?)が出現したりもする。にぎやかな道具だてだが、やはり、静かで悲しい物語である。
セールスマンの悲哀を描いている点は『セールスマンの死』と共通だが、別役実の世界はアーサー・ミラーとはかなり異なる。風のセールスマンは死にはしない(多くの人と同様に死の影を帯びてはいるが)。アーサー・ミラーほどには暗くないと言えるかもしれない。風のセールスマンは、あの米国のセールスマンのように自己幻想と厳しい現実の狭間に生きているのではなく、水虫防止付き靴底のセールスという仕事から逃亡したがっている「訪問販売員」である。
この訪問販売員は、風に舞い散る落ち葉のように街から街へと彷徨っている。どこに居ても不審者を見る視線にさらされる漂泊の人である。定住を夢見つつ彷徨う独白は、自分の家族(妻や子)を巡るさまざまな追憶におよび、現実か妄想かが判然としない世界に迷い込んでいく。
そして、彷徨は終わらない――やはり、アーサー・ミラーより暗いか。
フリードリヒ2世は「ルネサンスの先駆者」ではなかった… ― 2024年06月07日
大型書店の歴史書の棚で次の本を見つけたので、さっそく購入して読んだ。
『フリードリヒ2世:シチリア王にして神聖ローマ皇帝』(藤澤房俊/平凡社/2022.3)
私はフリードリヒ2世(フェデリコ2世)に関心がある。「世界の驚異」「最初の近代人」と呼ばれた13世紀の神聖ローマ皇帝である。関心があると言っても、評伝は塩野七生氏の『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』を読んだだけだ。他には、いくつかの歴史概説書で彼に触れている箇所に着目して読んできたにすぎず、2年前に出た本書の存在も知らなかった。
著者・藤澤房俊氏は1943年生まれ、イタリア近現代史が専門の研究者である。「あとがき」で「本書はフリードリヒ2世の研究書ではない。長年にわたって買いためていた多くの先行研究をもとにまとめた、フリードリヒ2世の評伝である」と述べている。
私は藤澤氏の『地中海の十字路=シチリアの歴史』を数カ月前に読んだ。その中でフリードリヒ2世について約20ページを費やして語っていた。「桁外れの人物だっただけに、神話が数多く生まれた」「稀有な人物だったので、伝説が広く流布した」との指摘が印象に残った。本書は、『地中海の十字路』で軽く触れていたフリードリヒ2世の「神話」「伝説」について詳述している。
フリードリヒ2世を「玉座についた最初の近代人」と評したのは19世紀の歴史家ブルクハルトである。著者は「ブルクハルトの理解とは異なり、時代を先取りしたフリードリヒ2世の近代性が独り歩きすることになった」と指摘し、次のように述べている。
「最近の研究では、フリードリヒ2世はルネサンスの先駆者ではなく、中世の頂点と凋落を具現する皇帝とみなされている」
「今日の歴史研究では、フリードリヒ2世が、母方のノルマン朝の法律、統治体制を継承し、父方の祖父フリードリヒ1世(赤髭王)の帝国理念を追求した中世の皇帝であることに異議を唱える人はいない」
著者によれば、フリードリヒ2世はシチリア王&神聖ローマ皇帝を追求した中世の人物であり、卓越した魅力的な人物ではあるが近代人とは言えない、ということである。
当時、ローマ教皇が最も恐れていたのは、北方のドイツ(神聖ローマ帝国)と南イタリア・シチリアが統合されて挟み撃ち状態になることだった。そして、フリードリヒ2世が秘めていた真の目的は、まさに北方と南方の統合だった。いかに面従腹背であっても教皇との対立が顕在化するのは避けられない。本書のサブタイトル「シチリア王にして神聖ローマ皇帝」は、そんなフリードリヒ2世の姿を端的に表している。
少年時代のフリードリヒ2世は複合文化の街パレルモを一人で歩き回って市井の人々に接していた、という話がある。また、八ヵ国語を自由に操る語学の天才だったと言われている。著者によれば、これらの話は「伝説」に過ぎない。
少年時代のフリードリヒ2世が護衛なしにパレルモの街を歩き回ることはあり得ず、王宮のなかで帝王学を学んでいたそうだ。語学に関しては、ラテン語を学んだとは推測でき、ドイツに赴いた際にドイツ語を習得したと思われるが、アラビア語などを習得したかは不明だそうだ。彼を実際に目にした同時代の年代記作家は「彼は多くのさまざまな言語を知っていた」と書き残している。
フリードリヒ2世は「無神論者」「アンチキリスト」と呼ばれることがある。だが、彼は「皇帝の地位は神から授けられた。それゆえに皇帝と神は一体」と考えており、晩年は自分自身をキリストになぞらえたそうだ。
中世と言えば異端審問が思い浮かぶ。フリードリヒ2世にとっては神と一体の皇帝に逆らう者こそが異端であり、シチリアにおいて謀反を起こす者を政治色の強い異端審問で処罰した。ロンバルディーアの都市同盟との抗争においても、都市同盟を異端とみなしていた。もちろん、中央集権を目指す政治的動機がベースだった。かなり苛烈な皇帝だったようだ。
著者は、フリードリヒ2世を「多面的な人物で、とりわけ当時においておそらく最も学識ある王であったことは論をまたない」と評価している。
フリードリヒ2世が亡くなって32年後、「シチリアの晩禱」事件が発生する。フランス王族支配に対するシチリア人の暴動である。本書の結語は、この事件に関する次のコメントである。
「その主たる要因は北イタリアにおける戦費を賄うためにフリードリヒ2世がおこなった過度な課税、都市の自治の否定、シチリア人とは無関係の終わることのない戦いなどで、長期にわたってシチリア人に鬱積した不満の爆発という側面があった。」
『フリードリヒ2世:シチリア王にして神聖ローマ皇帝』(藤澤房俊/平凡社/2022.3)
私はフリードリヒ2世(フェデリコ2世)に関心がある。「世界の驚異」「最初の近代人」と呼ばれた13世紀の神聖ローマ皇帝である。関心があると言っても、評伝は塩野七生氏の『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』を読んだだけだ。他には、いくつかの歴史概説書で彼に触れている箇所に着目して読んできたにすぎず、2年前に出た本書の存在も知らなかった。
著者・藤澤房俊氏は1943年生まれ、イタリア近現代史が専門の研究者である。「あとがき」で「本書はフリードリヒ2世の研究書ではない。長年にわたって買いためていた多くの先行研究をもとにまとめた、フリードリヒ2世の評伝である」と述べている。
私は藤澤氏の『地中海の十字路=シチリアの歴史』を数カ月前に読んだ。その中でフリードリヒ2世について約20ページを費やして語っていた。「桁外れの人物だっただけに、神話が数多く生まれた」「稀有な人物だったので、伝説が広く流布した」との指摘が印象に残った。本書は、『地中海の十字路』で軽く触れていたフリードリヒ2世の「神話」「伝説」について詳述している。
フリードリヒ2世を「玉座についた最初の近代人」と評したのは19世紀の歴史家ブルクハルトである。著者は「ブルクハルトの理解とは異なり、時代を先取りしたフリードリヒ2世の近代性が独り歩きすることになった」と指摘し、次のように述べている。
「最近の研究では、フリードリヒ2世はルネサンスの先駆者ではなく、中世の頂点と凋落を具現する皇帝とみなされている」
「今日の歴史研究では、フリードリヒ2世が、母方のノルマン朝の法律、統治体制を継承し、父方の祖父フリードリヒ1世(赤髭王)の帝国理念を追求した中世の皇帝であることに異議を唱える人はいない」
著者によれば、フリードリヒ2世はシチリア王&神聖ローマ皇帝を追求した中世の人物であり、卓越した魅力的な人物ではあるが近代人とは言えない、ということである。
当時、ローマ教皇が最も恐れていたのは、北方のドイツ(神聖ローマ帝国)と南イタリア・シチリアが統合されて挟み撃ち状態になることだった。そして、フリードリヒ2世が秘めていた真の目的は、まさに北方と南方の統合だった。いかに面従腹背であっても教皇との対立が顕在化するのは避けられない。本書のサブタイトル「シチリア王にして神聖ローマ皇帝」は、そんなフリードリヒ2世の姿を端的に表している。
少年時代のフリードリヒ2世は複合文化の街パレルモを一人で歩き回って市井の人々に接していた、という話がある。また、八ヵ国語を自由に操る語学の天才だったと言われている。著者によれば、これらの話は「伝説」に過ぎない。
少年時代のフリードリヒ2世が護衛なしにパレルモの街を歩き回ることはあり得ず、王宮のなかで帝王学を学んでいたそうだ。語学に関しては、ラテン語を学んだとは推測でき、ドイツに赴いた際にドイツ語を習得したと思われるが、アラビア語などを習得したかは不明だそうだ。彼を実際に目にした同時代の年代記作家は「彼は多くのさまざまな言語を知っていた」と書き残している。
フリードリヒ2世は「無神論者」「アンチキリスト」と呼ばれることがある。だが、彼は「皇帝の地位は神から授けられた。それゆえに皇帝と神は一体」と考えており、晩年は自分自身をキリストになぞらえたそうだ。
中世と言えば異端審問が思い浮かぶ。フリードリヒ2世にとっては神と一体の皇帝に逆らう者こそが異端であり、シチリアにおいて謀反を起こす者を政治色の強い異端審問で処罰した。ロンバルディーアの都市同盟との抗争においても、都市同盟を異端とみなしていた。もちろん、中央集権を目指す政治的動機がベースだった。かなり苛烈な皇帝だったようだ。
著者は、フリードリヒ2世を「多面的な人物で、とりわけ当時においておそらく最も学識ある王であったことは論をまたない」と評価している。
フリードリヒ2世が亡くなって32年後、「シチリアの晩禱」事件が発生する。フランス王族支配に対するシチリア人の暴動である。本書の結語は、この事件に関する次のコメントである。
「その主たる要因は北イタリアにおける戦費を賄うためにフリードリヒ2世がおこなった過度な課税、都市の自治の否定、シチリア人とは無関係の終わることのない戦いなどで、長期にわたってシチリア人に鬱積した不満の爆発という側面があった。」
『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(塩野七生)を再読 ― 2024年06月12日
「最近の研究では、フリードリヒ2世はルネサンスの先駆者とはみなされていない」と述べた歴史研究者・藤澤房俊氏の『フリードリヒ2世』を読み、6年前に読んだ塩野七生氏の『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』を再読したくなった。塩野氏の評伝はフリードリヒ2世の先駆性を強調していたと思うので、藤澤氏と塩野氏の見解の相違点を確認したくなったのだ。
6年前には単行本(2013.12刊行)で読んだが、再読は新潮文庫版(2020.1刊行)にした。
『皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上)(下)』(塩野七生/新潮文庫)
文庫版冒頭の「文庫版への前書き、あるいは、読者への手紙」には、文庫化にあたって「手直し」をしたと書いてある。どの程度の手直しかは不明だ。文庫版で付加されているのは、鼻などが破壊されたフリードリッヒ2世の胸像写真と「鷹狩りの書」のカラー図版8頁である。後者は本文で「色つきで紹介できないのが残念に思うくらいに美しい」と記述した書の図版である。カラー図版掲載の文庫版も本文は変えていない。
本書を再読し、自分が評価する男を魅力的描く塩野氏の筆力を再認識した。同時に敵役(本書では法王たち)の卑小さも浮き彫りにする。歴史作家のひとつの見解だと認識しつつも、ほとんど説得されてしまう。
本書のキーワードは「政教分離」と「法治国家」である。中世にはない近代的概念だ。時代に先駆けて「政教分離」と「法治国家」という合理性を追究したのがフリードリッヒ2世の生涯だった――それが塩野氏の評伝の要旨だと思う。
藤澤氏の評伝では、法王との対立のベースを北方のドイツ(神聖ローマ帝国)と南イタリア(シチリア王国)統合の意図としている。法典や官僚制の整備については、それが中世において画期的であることは認めつつも、ローマ法やイスラームの官僚制をベースにしたもので、帝国&王国の基盤固をめざしていたとしている。塩野氏と藤澤氏の見解にどれほどの違いがあるか、私には判断できない。「中世」や「ルネサンス」という概念を十分に把握できていないからである。
藤澤氏と塩野氏の評伝で、史実に関して大きな違いはない。最も違っているのは、塩野氏が少年期のフリードリヒ2世がパレルモの街を自由に歩き回っていたことを重視しているのに対し、藤澤氏はそんなことはあり得なかったとしている点である。これが大きな問題か小さな問題か、私にはわからない。
両氏の評伝の巻末には参考文献リストがある。塩野氏のリストは外国の文献ばかりだが、藤澤氏のリストには日本人の文献も多い。しかし、塩野氏の『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』はない。研究書ではなく歴史小説と位置付けているのだと思う。
塩野氏は本書でも「中世史どころか歴史の研究者でもなく歴史を語る作家にすぎない私でも……」などと語っている。自身を「作家」と位置付けて歴史を縦横に語る塩野氏のスタンスは、歴史研究者には視野外の存在かもしれない。それなりに史料をふまえていても、それを超えた独自の奔放な見解を「研究」と同列には扱えないのだろう。
塩野氏と藤澤氏の評伝を読み比べて、歴史上の人物の評価の難しさを再認識した。昔の人物でなく現代や近代の人物であっても、その言動をどう評価するかはさまざまだろう。保守的か革新的かなどの大雑把な基準は、当事者の本人にも判断しかねるかもしれない。フリードリッヒ2世をルネサンスの先駆者と見なすか否かは、どうでもいい話に思えてきた。フリードリッヒ2世を卓越した魅力的人物とみなす点では、塩野氏も藤澤氏も同じである。その魅力を魅力的に語る才は塩野氏の方にある。
蛇足めくが、フリードリヒ2世の敵役のローマ法王の一人・グレゴリウス9世(フリードリッヒの破門、異端裁判所などで有名)の年齢が塩野版と藤澤版でかなり違っている。この法王が即位した1227年、フリードリヒ2世は32歳だった。そのときの法王の年齢は、藤澤版では83歳、塩野氏版では57歳になっている。ネット検索してみると諸説あるようだが定説はわからない。塩野氏の評伝は、フリードリヒ2世との比較でグレゴリウス9世の年齢にたびたび言及しているので、ちょっと気になった。
6年前には単行本(2013.12刊行)で読んだが、再読は新潮文庫版(2020.1刊行)にした。
『皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上)(下)』(塩野七生/新潮文庫)
文庫版冒頭の「文庫版への前書き、あるいは、読者への手紙」には、文庫化にあたって「手直し」をしたと書いてある。どの程度の手直しかは不明だ。文庫版で付加されているのは、鼻などが破壊されたフリードリッヒ2世の胸像写真と「鷹狩りの書」のカラー図版8頁である。後者は本文で「色つきで紹介できないのが残念に思うくらいに美しい」と記述した書の図版である。カラー図版掲載の文庫版も本文は変えていない。
本書を再読し、自分が評価する男を魅力的描く塩野氏の筆力を再認識した。同時に敵役(本書では法王たち)の卑小さも浮き彫りにする。歴史作家のひとつの見解だと認識しつつも、ほとんど説得されてしまう。
本書のキーワードは「政教分離」と「法治国家」である。中世にはない近代的概念だ。時代に先駆けて「政教分離」と「法治国家」という合理性を追究したのがフリードリッヒ2世の生涯だった――それが塩野氏の評伝の要旨だと思う。
藤澤氏の評伝では、法王との対立のベースを北方のドイツ(神聖ローマ帝国)と南イタリア(シチリア王国)統合の意図としている。法典や官僚制の整備については、それが中世において画期的であることは認めつつも、ローマ法やイスラームの官僚制をベースにしたもので、帝国&王国の基盤固をめざしていたとしている。塩野氏と藤澤氏の見解にどれほどの違いがあるか、私には判断できない。「中世」や「ルネサンス」という概念を十分に把握できていないからである。
藤澤氏と塩野氏の評伝で、史実に関して大きな違いはない。最も違っているのは、塩野氏が少年期のフリードリヒ2世がパレルモの街を自由に歩き回っていたことを重視しているのに対し、藤澤氏はそんなことはあり得なかったとしている点である。これが大きな問題か小さな問題か、私にはわからない。
両氏の評伝の巻末には参考文献リストがある。塩野氏のリストは外国の文献ばかりだが、藤澤氏のリストには日本人の文献も多い。しかし、塩野氏の『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』はない。研究書ではなく歴史小説と位置付けているのだと思う。
塩野氏は本書でも「中世史どころか歴史の研究者でもなく歴史を語る作家にすぎない私でも……」などと語っている。自身を「作家」と位置付けて歴史を縦横に語る塩野氏のスタンスは、歴史研究者には視野外の存在かもしれない。それなりに史料をふまえていても、それを超えた独自の奔放な見解を「研究」と同列には扱えないのだろう。
塩野氏と藤澤氏の評伝を読み比べて、歴史上の人物の評価の難しさを再認識した。昔の人物でなく現代や近代の人物であっても、その言動をどう評価するかはさまざまだろう。保守的か革新的かなどの大雑把な基準は、当事者の本人にも判断しかねるかもしれない。フリードリッヒ2世をルネサンスの先駆者と見なすか否かは、どうでもいい話に思えてきた。フリードリッヒ2世を卓越した魅力的人物とみなす点では、塩野氏も藤澤氏も同じである。その魅力を魅力的に語る才は塩野氏の方にある。
蛇足めくが、フリードリヒ2世の敵役のローマ法王の一人・グレゴリウス9世(フリードリッヒの破門、異端裁判所などで有名)の年齢が塩野版と藤澤版でかなり違っている。この法王が即位した1227年、フリードリヒ2世は32歳だった。そのときの法王の年齢は、藤澤版では83歳、塩野氏版では57歳になっている。ネット検索してみると諸説あるようだが定説はわからない。塩野氏の評伝は、フリードリヒ2世との比較でグレゴリウス9世の年齢にたびたび言及しているので、ちょっと気になった。
豪華キャストの『おちょこの傘もつメリーポピンズ』を堪能 ― 2024年06月18日
花園神社境内の紫テントで新宿梁山泊の『おちょこの傘もつメリーポピンズ』(作:唐十郎、演出:金守珍、出演:中村勘九郎、豊川悦司、寺島しのぶ、風間杜夫、六平直政、他)を観た。豪華キャストによるテント芝居である。
子供時代に父の故・勘三郎に連れられて紅テントに通っていた勘九郎は、今回のテント芝居出演で「天上の父に嫉妬してほしい」と語っている。豊川悦司が渡辺えりの劇団3〇〇出身だとは今回初めて知った。寺島しのぶは6年前に唐作品『秘密の花園』に出演しているが、テントは今回が初めてだ。3年前に72歳でテント芝居デビューした風間杜夫は、いまや唐十郎テント芝居の常連だ。
『おちょこの傘もつメリーポピンズ』の初演は1976年10月の状況劇場、私は2年前の劇団唐組の公演を観ている。その後、戯曲を入手したので、今回は観劇前にそれなりの事前準備をした。あらかじめ戯曲を読み、そこに盛り込まれている多様な事柄を自分なりにチェックしたのである。豪華キャストによる芝居を十全に楽しむためだ。
まず、Prime Videoで『メリーポピンズ』と『終着駅』を観た。この有名映画を私は未見だった。戯曲に登場する音楽はYoutubeで聞き返した。「ハロー、ハロー、ハロー」や「チムチムニ、チムチムニ」、森進一の『心の旅』、アダモ(フランスの森進一?)の『バラの花咲く街角』などである。
そして、1970年代初頭に女性週刊誌で報じられた森進一の事件についてもネットで調べた。森進一が狂信的女性ファンから婚約不履行で告訴された事件である。女性の主張は狂言として退けられ、森進一が全面勝訴したが、この女性と接触があった森進一の母親が裁判中に自殺している。唐十郎は女性週刊誌の記事から妄想を膨らませ、この女性をヒロインにした『おちょこの傘もつメリーポピンズ』を書いたのである。
事前準備のせいもあり、このテント芝居を十分に楽しむことができた。「よくわからないけれど面白い」のが唐十郎の芝居だが、私にとって今回の公演は、わかりやすくて面白かった。「銀河鉄道の夜」「ハムレット」「ラ・マンチャの男」「アントナン・アルトー」「欲望という名の電車」などの断片をかき混ぜた芝居の時空に演劇への愛を感じた。
中村勘九郎はハツラツとしている。豊川悦司はアテ書きのようにピッタリとはまっている。ヒロイン・寺島しのぶの比類なき存在感に魅せられた。風間杜夫はお約束のカラオケ・マイクを手に男声バックコーラスを従えて堂々と登場する。六平直政の傍若無人と豹変が交錯する怪演に圧倒される。至福と陶酔の時間だった。
この戯曲には作者の書き間違いをそのまま台詞にしている不思議な箇所がある。その箇所で、「唐さんがそう書いている」と言いながら勘九郎と豊悦が天国の唐十郎に深く礼をする。執筆当時に追悼場面を想定していたはずはないが、絶妙の演出だ。
芝居のラスト近くで、元演劇青年の保健所員が『欲望という名の電車』終盤の「この爪は切らなくちゃ」という台詞を引用する。ラストになって『おちょこの傘もつメリーポピンズ』と『欲望という名の電車』のヒロインが重なり、同種の人物に見えてくる。不幸な女性の妄想の果ての悲惨を描いた芝居なのだ。
ラストの屋台崩しの空中浮遊シーンは戯曲と少し異なる演出だった。勘九郎が豊悦(の死骸)を抱いて浮遊するのではなく、雨のなかを勘九郎だけが浮遊する。この演出の方が豊悦の「犬死に」を強く印象づける。勘九郎がメリーポピンズの傘で飛び去った後、屋台崩しの借景の雨の中から傘を差した寺島しのぶが歩いて来る。戯曲にないシーンだ。これがカーテンコールにつながる。ヒロインの存在感を示す秀逸な演出だ。
カーテンコールと恒例の役者紹介が終わり、舞台がはねても拍手がいつまでも続いた。席を立つ客はいない。かなりの時間が経って、豊川悦司、寺島しのぶ、中村勘九郎が登場した。舞台衣装からジャージや襦袢姿になっていた。
子供時代に父の故・勘三郎に連れられて紅テントに通っていた勘九郎は、今回のテント芝居出演で「天上の父に嫉妬してほしい」と語っている。豊川悦司が渡辺えりの劇団3〇〇出身だとは今回初めて知った。寺島しのぶは6年前に唐作品『秘密の花園』に出演しているが、テントは今回が初めてだ。3年前に72歳でテント芝居デビューした風間杜夫は、いまや唐十郎テント芝居の常連だ。
『おちょこの傘もつメリーポピンズ』の初演は1976年10月の状況劇場、私は2年前の劇団唐組の公演を観ている。その後、戯曲を入手したので、今回は観劇前にそれなりの事前準備をした。あらかじめ戯曲を読み、そこに盛り込まれている多様な事柄を自分なりにチェックしたのである。豪華キャストによる芝居を十全に楽しむためだ。
まず、Prime Videoで『メリーポピンズ』と『終着駅』を観た。この有名映画を私は未見だった。戯曲に登場する音楽はYoutubeで聞き返した。「ハロー、ハロー、ハロー」や「チムチムニ、チムチムニ」、森進一の『心の旅』、アダモ(フランスの森進一?)の『バラの花咲く街角』などである。
そして、1970年代初頭に女性週刊誌で報じられた森進一の事件についてもネットで調べた。森進一が狂信的女性ファンから婚約不履行で告訴された事件である。女性の主張は狂言として退けられ、森進一が全面勝訴したが、この女性と接触があった森進一の母親が裁判中に自殺している。唐十郎は女性週刊誌の記事から妄想を膨らませ、この女性をヒロインにした『おちょこの傘もつメリーポピンズ』を書いたのである。
事前準備のせいもあり、このテント芝居を十分に楽しむことができた。「よくわからないけれど面白い」のが唐十郎の芝居だが、私にとって今回の公演は、わかりやすくて面白かった。「銀河鉄道の夜」「ハムレット」「ラ・マンチャの男」「アントナン・アルトー」「欲望という名の電車」などの断片をかき混ぜた芝居の時空に演劇への愛を感じた。
中村勘九郎はハツラツとしている。豊川悦司はアテ書きのようにピッタリとはまっている。ヒロイン・寺島しのぶの比類なき存在感に魅せられた。風間杜夫はお約束のカラオケ・マイクを手に男声バックコーラスを従えて堂々と登場する。六平直政の傍若無人と豹変が交錯する怪演に圧倒される。至福と陶酔の時間だった。
この戯曲には作者の書き間違いをそのまま台詞にしている不思議な箇所がある。その箇所で、「唐さんがそう書いている」と言いながら勘九郎と豊悦が天国の唐十郎に深く礼をする。執筆当時に追悼場面を想定していたはずはないが、絶妙の演出だ。
芝居のラスト近くで、元演劇青年の保健所員が『欲望という名の電車』終盤の「この爪は切らなくちゃ」という台詞を引用する。ラストになって『おちょこの傘もつメリーポピンズ』と『欲望という名の電車』のヒロインが重なり、同種の人物に見えてくる。不幸な女性の妄想の果ての悲惨を描いた芝居なのだ。
ラストの屋台崩しの空中浮遊シーンは戯曲と少し異なる演出だった。勘九郎が豊悦(の死骸)を抱いて浮遊するのではなく、雨のなかを勘九郎だけが浮遊する。この演出の方が豊悦の「犬死に」を強く印象づける。勘九郎がメリーポピンズの傘で飛び去った後、屋台崩しの借景の雨の中から傘を差した寺島しのぶが歩いて来る。戯曲にないシーンだ。これがカーテンコールにつながる。ヒロインの存在感を示す秀逸な演出だ。
カーテンコールと恒例の役者紹介が終わり、舞台がはねても拍手がいつまでも続いた。席を立つ客はいない。かなりの時間が経って、豊川悦司、寺島しのぶ、中村勘九郎が登場した。舞台衣装からジャージや襦袢姿になっていた。
半世紀以上前の『文明の生態史観』を再読した ― 2024年06月21日
Eテレの『3か月でマスターする世界史』の講師・岡本隆司氏の『世界史序説』が、梅棹忠夫の「生態史観」を援用して世界史を解説していた。テレビ番組でも「梅棹・文明地図」を紹介していた。
『文明の生態史観』を読んだのは半世紀以上昔の大学生の頃だ。内容の大半は失念している。すでに過去の遺物のように感じていた「生態史観」が現在でも注目されていると知り、書架の奥から古い本を探し出して再読した。
『文明の生態史観』(梅棹忠夫/中央公論社/1967.1.20初版,1967.10.20 10版)
読み返しながら、半世紀以上昔の初読のときに抱いた感想をかすかに思い出した。日本と西欧は高度文明の第一地域、西欧以外のユーラシア大陸は近代化が遅れた第二地域とする見解に、日本人の自尊心をくすぐる考え方だと驚いた。それだけである。日本人論として読んだのだと思う。本書で著者が嘆いている受け取り方である。若輩の私は世界史や生態学への知見や関心が乏しく、そんな読み方しかできなかった。
『文明の生態史観』の文章はやさしいが、概念をきちんと把握するのはやさしくない。人類の歴史をある程度把握していないと生態史観が提示したイメージを得心できない。私は今回、岡本氏の『世界史序説』を読んだうえで本書を再読したので、ナルホドと思いながら読み進めることができた。
あらためて驚いたのが、「生態史観」を提示した時期の古さだ。「文明の生態史観序説」の発表は「中央公論」1957年2月号、75歳の私が小学2年生のときである。この論文を中心にした『文明の生態史観』が出版されたのは10年後の1967年、私は大学生になっていた。
「生態史観」が世に出た1957年は60年安保以前、日本の高度成長前夜である。執筆当時、日本はまだ国連に加盟していない(本文で国連加盟に触れている)。そんな時期に、生態学的な観察をふまえて日本と西欧だけが高度文明国だと考察したのだから驚く。慧眼である。
本書を読みながら「第一地域」「第二地域」という命名は逆の方がわかりやすいと感じた。文明が発生し、いくつもの帝国が興亡したユーラシア大陸の主要部を「第一地域」、主要部の東西の辺境にあったが故に他に先駆けて近代化したのが「第二地域」(日本と西欧)とすれば歴史の流れが反映される。
とは言え、梅棹忠夫は歴史学者ではなく生態学者である。生態学の視点で世界の現状を捉えようとすれば、やはり高度文明国を「第一地域」とするべきかもしれない。
『文明の生態史観』を読んだのは半世紀以上昔の大学生の頃だ。内容の大半は失念している。すでに過去の遺物のように感じていた「生態史観」が現在でも注目されていると知り、書架の奥から古い本を探し出して再読した。
『文明の生態史観』(梅棹忠夫/中央公論社/1967.1.20初版,1967.10.20 10版)
読み返しながら、半世紀以上昔の初読のときに抱いた感想をかすかに思い出した。日本と西欧は高度文明の第一地域、西欧以外のユーラシア大陸は近代化が遅れた第二地域とする見解に、日本人の自尊心をくすぐる考え方だと驚いた。それだけである。日本人論として読んだのだと思う。本書で著者が嘆いている受け取り方である。若輩の私は世界史や生態学への知見や関心が乏しく、そんな読み方しかできなかった。
『文明の生態史観』の文章はやさしいが、概念をきちんと把握するのはやさしくない。人類の歴史をある程度把握していないと生態史観が提示したイメージを得心できない。私は今回、岡本氏の『世界史序説』を読んだうえで本書を再読したので、ナルホドと思いながら読み進めることができた。
あらためて驚いたのが、「生態史観」を提示した時期の古さだ。「文明の生態史観序説」の発表は「中央公論」1957年2月号、75歳の私が小学2年生のときである。この論文を中心にした『文明の生態史観』が出版されたのは10年後の1967年、私は大学生になっていた。
「生態史観」が世に出た1957年は60年安保以前、日本の高度成長前夜である。執筆当時、日本はまだ国連に加盟していない(本文で国連加盟に触れている)。そんな時期に、生態学的な観察をふまえて日本と西欧だけが高度文明国だと考察したのだから驚く。慧眼である。
本書を読みながら「第一地域」「第二地域」という命名は逆の方がわかりやすいと感じた。文明が発生し、いくつもの帝国が興亡したユーラシア大陸の主要部を「第一地域」、主要部の東西の辺境にあったが故に他に先駆けて近代化したのが「第二地域」(日本と西欧)とすれば歴史の流れが反映される。
とは言え、梅棹忠夫は歴史学者ではなく生態学者である。生態学の視点で世界の現状を捉えようとすれば、やはり高度文明国を「第一地域」とするべきかもしれない。
海運に焦点をあてた十字軍の概説書を読んだ ― 2024年06月23日
十字軍に関する次のブックレットを読んだ。
『十字軍と地中海世界』(太田敬子/世界史リブレット/山川出版社)
先日読んだ『フリードリヒ2世』(藤澤房俊)に、本書を引用した記述があった。
〔破門を受けた皇帝が、教皇の意思に逆らって、十字軍を率いて聖地に赴いた例はなかった。太田敬子によれば「フリードリヒ二世の十字軍は、歴代の十字軍のなかでもっともプロフェッショナルな、そして注意深く計画された遠征であった」。〕
交渉によって無血でイェルサレムを奪還した十字軍が、用意周到なプロの軍団だったことの事情や効果をもう少し詳しく知りたいと思い、本書を入手した。
本書は海運にウェイトを置いた十字軍の概説書である。大量の物資の海上移動がなければ十字軍の継続も十字軍国家の維持もできなかった。本書によって馬専用の馬匹輸送船なるものを初めて知った。帆船とガレー船の機能の違いもよくわかった。
興味深い事項が多いが、薄い本に十字軍200年の歴史を詰め込んでいて、頭の中がゴチャゴチャしてくる。3年前に塩野七生氏の『十字軍物語』を読み、ある程度は十字軍を知っている気がしていたが、その内容はすでに蒸発していた。このブックレットを読了したとき、知識整理のためにもう一度読み返さなければ、という気分になった。
フリードリヒ二世の十字軍に関しては、周到な戦闘準備の船団で出発したのは確かだが、到着したときには十分な戦闘態勢を整えることはできなかったそうだ。到着の遅れで先発隊の多くが帰還し、破門のせいでヨハネ騎士団、テンプル騎士団が離反したからである。無血奪還が周到な戦闘態勢と関係したか否かはよくわからない。
本書で驚いたのは十字軍がパレスティナに作った港湾都市アッコの繁栄である。13世紀初頭、イスラムにイェルサレムを奪い返された後も交易で大きな利益をあげていたそうだ。当時のアッコの歳入はイングランド王国全土の歳入に匹敵したという。「花の第三回」と言われたる十字軍のリチャード獅子心王の本国と小さな港湾都市が遜色ないのが意外だ。あらためて「交易」という経済活動の重要性を感じた。
著者は「戦争によって交易が妨げられることはまれで、キリスト教商人もムスリム商人も戦争とはかかわりまく取引をおこなった」と述べている。
十字軍が交易を促進したという側面があるが、交易で暮らす人々にとって十字軍は迷惑な存在だったようだ。
『十字軍と地中海世界』(太田敬子/世界史リブレット/山川出版社)
先日読んだ『フリードリヒ2世』(藤澤房俊)に、本書を引用した記述があった。
〔破門を受けた皇帝が、教皇の意思に逆らって、十字軍を率いて聖地に赴いた例はなかった。太田敬子によれば「フリードリヒ二世の十字軍は、歴代の十字軍のなかでもっともプロフェッショナルな、そして注意深く計画された遠征であった」。〕
交渉によって無血でイェルサレムを奪還した十字軍が、用意周到なプロの軍団だったことの事情や効果をもう少し詳しく知りたいと思い、本書を入手した。
本書は海運にウェイトを置いた十字軍の概説書である。大量の物資の海上移動がなければ十字軍の継続も十字軍国家の維持もできなかった。本書によって馬専用の馬匹輸送船なるものを初めて知った。帆船とガレー船の機能の違いもよくわかった。
興味深い事項が多いが、薄い本に十字軍200年の歴史を詰め込んでいて、頭の中がゴチャゴチャしてくる。3年前に塩野七生氏の『十字軍物語』を読み、ある程度は十字軍を知っている気がしていたが、その内容はすでに蒸発していた。このブックレットを読了したとき、知識整理のためにもう一度読み返さなければ、という気分になった。
フリードリヒ二世の十字軍に関しては、周到な戦闘準備の船団で出発したのは確かだが、到着したときには十分な戦闘態勢を整えることはできなかったそうだ。到着の遅れで先発隊の多くが帰還し、破門のせいでヨハネ騎士団、テンプル騎士団が離反したからである。無血奪還が周到な戦闘態勢と関係したか否かはよくわからない。
本書で驚いたのは十字軍がパレスティナに作った港湾都市アッコの繁栄である。13世紀初頭、イスラムにイェルサレムを奪い返された後も交易で大きな利益をあげていたそうだ。当時のアッコの歳入はイングランド王国全土の歳入に匹敵したという。「花の第三回」と言われたる十字軍のリチャード獅子心王の本国と小さな港湾都市が遜色ないのが意外だ。あらためて「交易」という経済活動の重要性を感じた。
著者は「戦争によって交易が妨げられることはまれで、キリスト教商人もムスリム商人も戦争とはかかわりまく取引をおこなった」と述べている。
十字軍が交易を促進したという側面があるが、交易で暮らす人々にとって十字軍は迷惑な存在だったようだ。
封建制を巡る多様な考察を紹介する『封建制の文明史観』 ― 2024年06月25日
梅棹忠夫の『文明の生態史観』に言及した歴史書があると知り、入手して読んだ。5年前に出た新書である。
『封建制の文明史観:近代化をもたらした歴史の遺産』(今谷明/PHP新書)
著者は日本中世政治史専攻の歴史研究者。本書は「封建制」を巡る古今東西のさまざまな見解の変遷を紹介している。学者の見解だけでなく、島崎藤村や大隈重信の言説にもかなりのページを割き、エピソードも多く盛り込んでいる。封建制について興味深く勉強できた。封建制が意味する内容が時代や論者によって揺らいでいることもわかった。面白い歴史書である。
第1章では「モンゴルの世界征服と封建制」について論じている。モンゴル軍が敗れた地域が世界に三つあるという。エジプトのマムルーク朝と日本とドイツ(神聖ローマ帝国)である。この三つは、モンゴルに攻められた当時、封建制のさなかにあり、強靭な軍事力でモンゴルを跳ね返した。モンゴルに征服されたのは「東洋的専制主義」と呼ばれる官僚制の強い地域だった。
エジプトがモンゴルを破ったのは承知している。元寇については「神風」説は怪しく(『蒙古襲来と神風』服部英雄)、鎌倉武士が頑張ったのだろうと思う。ドイツに関しては、バトゥのモンゴルが勝っていたがオゴタイ・ハン死去の知らせで引き揚げたと思っていた。著者によれば、その説はつじつまが合わず、ドイツの反撃にあって撤退したそうだ。初めて聞く話だ。驚いた。
いずれにしても、封建制の歴史的な機能を評価しているのは『文明の生態史観』に共通する。騎馬民族の影響を受けない東西の辺境に位置する西欧と日本が、軍事封建制を経ていち早く近代化した、というのが梅棹説である。
今谷氏は、1957年の「文明の生態史観序説」の登場を「その脚光ぶりは、46年の丸山真男「超国家主義の論理と心理」のデビューと好一対であろう」とし、反発を含めた反響を紹介している。そして、次のように述べている。
「とにもかくにも、梅棹学説は、戦後日本に蔓延していた封建制害悪説に風穴をあけ、封建制再評価のさきがけとなったものであるが、それは同時に、明治以降の近代日本にあって、同じ議論がかつておこなわれた、その繰り返し、先祖返りにすぎない、とも言い得るものである。」
『封建制の文明史観:近代化をもたらした歴史の遺産』(今谷明/PHP新書)
著者は日本中世政治史専攻の歴史研究者。本書は「封建制」を巡る古今東西のさまざまな見解の変遷を紹介している。学者の見解だけでなく、島崎藤村や大隈重信の言説にもかなりのページを割き、エピソードも多く盛り込んでいる。封建制について興味深く勉強できた。封建制が意味する内容が時代や論者によって揺らいでいることもわかった。面白い歴史書である。
第1章では「モンゴルの世界征服と封建制」について論じている。モンゴル軍が敗れた地域が世界に三つあるという。エジプトのマムルーク朝と日本とドイツ(神聖ローマ帝国)である。この三つは、モンゴルに攻められた当時、封建制のさなかにあり、強靭な軍事力でモンゴルを跳ね返した。モンゴルに征服されたのは「東洋的専制主義」と呼ばれる官僚制の強い地域だった。
エジプトがモンゴルを破ったのは承知している。元寇については「神風」説は怪しく(『蒙古襲来と神風』服部英雄)、鎌倉武士が頑張ったのだろうと思う。ドイツに関しては、バトゥのモンゴルが勝っていたがオゴタイ・ハン死去の知らせで引き揚げたと思っていた。著者によれば、その説はつじつまが合わず、ドイツの反撃にあって撤退したそうだ。初めて聞く話だ。驚いた。
いずれにしても、封建制の歴史的な機能を評価しているのは『文明の生態史観』に共通する。騎馬民族の影響を受けない東西の辺境に位置する西欧と日本が、軍事封建制を経ていち早く近代化した、というのが梅棹説である。
今谷氏は、1957年の「文明の生態史観序説」の登場を「その脚光ぶりは、46年の丸山真男「超国家主義の論理と心理」のデビューと好一対であろう」とし、反発を含めた反響を紹介している。そして、次のように述べている。
「とにもかくにも、梅棹学説は、戦後日本に蔓延していた封建制害悪説に風穴をあけ、封建制再評価のさきがけとなったものであるが、それは同時に、明治以降の近代日本にあって、同じ議論がかつておこなわれた、その繰り返し、先祖返りにすぎない、とも言い得るものである。」
『飛龍伝』は不思議な芝居 ― 2024年06月28日
先日、下北沢OFF・OFFシアターで『初級革命講座 飛龍伝』を観て、4年前に観た『飛龍伝2020』とはずいぶん違う芝居だと思った。数十年前に読んだはずの戯曲とも印象が異なり、この芝居の戯曲を確認したくなった。
ネット古書店を探索し、次の2冊を入手して読んだ。
『初級革命講座 飛龍伝』(つかこうへい/角川文庫/1977.11)
『飛龍伝90' 殺戮の秋』(つかこうへい/白水社/1990.11)
角川文庫の『初級革命講座 飛龍伝』は戯曲でなく小説だった。ガッカリだ。小説なら『小説 初級革命講座 飛龍伝』としてほしかった。戯曲をベースに膨らませた小説のようだが、先日観た芝居ほど面白くない。ワンパターンの荒唐無稽が白々しい。小説からは芝居の熱気や迫力が伝わってこない。舞台で役者を動かすのと、小説で登場人物を動かすのは、かなり異質の表現or創作なのだと思う。
『飛龍伝90' 殺戮の秋』は1990年に読売文学賞を受賞した戯曲だ。扉に主演の富田靖子の写真が載っている。読み終えて、私が数十年前に読んだのは本書だと思えてきた。図書館で借りたのだと思う。荒唐無稽とパッションがミックスした「つかワールド」が面白い。
「世界革命戦争」を目指した1970年と20年後の1990年が交錯する芝居である。冒頭、全共闘崩れの「電通朝日新聞NHK三菱銀行」勤務を揶揄する台詞や、海江田万里(元慶応フロント)、糸井重里(元法政全共闘)をおちょくるシーンがあり、笑える。と言っても、パロディ劇ではない。架空世界に展開する過剰な愛と闘争の活劇である。
驚いたことに、1990年上演のこの芝居はyoutubeで全編(約2時間半)を観ることができた。画質は悪いが舞台の雰囲気はわかる。戯曲を読んだ後、動画を観て、この芝居を楽しめた。やはり、戯曲を読むだけで舞台の迫力をつかむのは難しい。低画質であっても動画を観ると舞台を想像できる。
動画で観た舞台に、冒頭の海江田・糸井のシーンはない。幕開きは賑やかな盆踊りだ。「君の行く道は、果てしなく遠い~」が陽気な盆踊り曲になっている。ヘルメットに浴衣姿で楽しそうに踊っているのは元全共闘の銀行支店長、元機動隊も登場する――この祝祭的シーンに作者の才を感じた。
舞台は90年の盆踊りから70年の闘争時代に移る。世界革命戦争につき進む40万全共闘と、その弾圧に命をかける機動隊、持ちつ持たれつの両者の謀略と殺戮と愛の活劇が始まる。滑稽な寓話と身につまされる愛憎がないまぜになり、熱気が立ち込める。つかワールドはパッションだと感得した。
ネットで調べると、この芝居はアイドル女優を主役に繰り返し上演されている。羅列すれば、初代・富田靖子(1990年)、2代目・牧瀬里穂(1992年)、3代目・石田ひかり(1994年)、4代目・内田有紀(2001年)、5代目・広末涼子(2003年)、6代目・黒木メイサ(2010年)、7代目・桐谷美玲(2013年)である。そして、私が初めて観た『飛龍伝2020』の菅井友香が8代目になる。
何故、こんなに持続するのか、不思議な芝居である。本来的には全共闘運動とは無関係に思える芝居だが、時代を超えて人を惹きつける何かがあるのだろう。それは、主演女優をカッコよく見せる作劇術かもしれない。
ネット古書店を探索し、次の2冊を入手して読んだ。
『初級革命講座 飛龍伝』(つかこうへい/角川文庫/1977.11)
『飛龍伝90' 殺戮の秋』(つかこうへい/白水社/1990.11)
角川文庫の『初級革命講座 飛龍伝』は戯曲でなく小説だった。ガッカリだ。小説なら『小説 初級革命講座 飛龍伝』としてほしかった。戯曲をベースに膨らませた小説のようだが、先日観た芝居ほど面白くない。ワンパターンの荒唐無稽が白々しい。小説からは芝居の熱気や迫力が伝わってこない。舞台で役者を動かすのと、小説で登場人物を動かすのは、かなり異質の表現or創作なのだと思う。
『飛龍伝90' 殺戮の秋』は1990年に読売文学賞を受賞した戯曲だ。扉に主演の富田靖子の写真が載っている。読み終えて、私が数十年前に読んだのは本書だと思えてきた。図書館で借りたのだと思う。荒唐無稽とパッションがミックスした「つかワールド」が面白い。
「世界革命戦争」を目指した1970年と20年後の1990年が交錯する芝居である。冒頭、全共闘崩れの「電通朝日新聞NHK三菱銀行」勤務を揶揄する台詞や、海江田万里(元慶応フロント)、糸井重里(元法政全共闘)をおちょくるシーンがあり、笑える。と言っても、パロディ劇ではない。架空世界に展開する過剰な愛と闘争の活劇である。
驚いたことに、1990年上演のこの芝居はyoutubeで全編(約2時間半)を観ることができた。画質は悪いが舞台の雰囲気はわかる。戯曲を読んだ後、動画を観て、この芝居を楽しめた。やはり、戯曲を読むだけで舞台の迫力をつかむのは難しい。低画質であっても動画を観ると舞台を想像できる。
動画で観た舞台に、冒頭の海江田・糸井のシーンはない。幕開きは賑やかな盆踊りだ。「君の行く道は、果てしなく遠い~」が陽気な盆踊り曲になっている。ヘルメットに浴衣姿で楽しそうに踊っているのは元全共闘の銀行支店長、元機動隊も登場する――この祝祭的シーンに作者の才を感じた。
舞台は90年の盆踊りから70年の闘争時代に移る。世界革命戦争につき進む40万全共闘と、その弾圧に命をかける機動隊、持ちつ持たれつの両者の謀略と殺戮と愛の活劇が始まる。滑稽な寓話と身につまされる愛憎がないまぜになり、熱気が立ち込める。つかワールドはパッションだと感得した。
ネットで調べると、この芝居はアイドル女優を主役に繰り返し上演されている。羅列すれば、初代・富田靖子(1990年)、2代目・牧瀬里穂(1992年)、3代目・石田ひかり(1994年)、4代目・内田有紀(2001年)、5代目・広末涼子(2003年)、6代目・黒木メイサ(2010年)、7代目・桐谷美玲(2013年)である。そして、私が初めて観た『飛龍伝2020』の菅井友香が8代目になる。
何故、こんなに持続するのか、不思議な芝居である。本来的には全共闘運動とは無関係に思える芝居だが、時代を超えて人を惹きつける何かがあるのだろう。それは、主演女優をカッコよく見せる作劇術かもしれない。
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