『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(塩野七生)を再読 ― 2024年06月12日
「最近の研究では、フリードリヒ2世はルネサンスの先駆者とはみなされていない」と述べた歴史研究者・藤澤房俊氏の『フリードリヒ2世』を読み、6年前に読んだ塩野七生氏の『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』を再読したくなった。塩野氏の評伝はフリードリヒ2世の先駆性を強調していたと思うので、藤澤氏と塩野氏の見解の相違点を確認したくなったのだ。
6年前には単行本(2013.12刊行)で読んだが、再読は新潮文庫版(2020.1刊行)にした。
『皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上)(下)』(塩野七生/新潮文庫)
文庫版冒頭の「文庫版への前書き、あるいは、読者への手紙」には、文庫化にあたって「手直し」をしたと書いてある。どの程度の手直しかは不明だ。文庫版で付加されているのは、鼻などが破壊されたフリードリッヒ2世の胸像写真と「鷹狩りの書」のカラー図版8頁である。後者は本文で「色つきで紹介できないのが残念に思うくらいに美しい」と記述した書の図版である。カラー図版掲載の文庫版も本文は変えていない。
本書を再読し、自分が評価する男を魅力的描く塩野氏の筆力を再認識した。同時に敵役(本書では法王たち)の卑小さも浮き彫りにする。歴史作家のひとつの見解だと認識しつつも、ほとんど説得されてしまう。
本書のキーワードは「政教分離」と「法治国家」である。中世にはない近代的概念だ。時代に先駆けて「政教分離」と「法治国家」という合理性を追究したのがフリードリッヒ2世の生涯だった――それが塩野氏の評伝の要旨だと思う。
藤澤氏の評伝では、法王との対立のベースを北方のドイツ(神聖ローマ帝国)と南イタリア(シチリア王国)統合の意図としている。法典や官僚制の整備については、それが中世において画期的であることは認めつつも、ローマ法やイスラームの官僚制をベースにしたもので、帝国&王国の基盤固をめざしていたとしている。塩野氏と藤澤氏の見解にどれほどの違いがあるか、私には判断できない。「中世」や「ルネサンス」という概念を十分に把握できていないからである。
藤澤氏と塩野氏の評伝で、史実に関して大きな違いはない。最も違っているのは、塩野氏が少年期のフリードリヒ2世がパレルモの街を自由に歩き回っていたことを重視しているのに対し、藤澤氏はそんなことはあり得なかったとしている点である。これが大きな問題か小さな問題か、私にはわからない。
両氏の評伝の巻末には参考文献リストがある。塩野氏のリストは外国の文献ばかりだが、藤澤氏のリストには日本人の文献も多い。しかし、塩野氏の『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』はない。研究書ではなく歴史小説と位置付けているのだと思う。
塩野氏は本書でも「中世史どころか歴史の研究者でもなく歴史を語る作家にすぎない私でも……」などと語っている。自身を「作家」と位置付けて歴史を縦横に語る塩野氏のスタンスは、歴史研究者には視野外の存在かもしれない。それなりに史料をふまえていても、それを超えた独自の奔放な見解を「研究」と同列には扱えないのだろう。
塩野氏と藤澤氏の評伝を読み比べて、歴史上の人物の評価の難しさを再認識した。昔の人物でなく現代や近代の人物であっても、その言動をどう評価するかはさまざまだろう。保守的か革新的かなどの大雑把な基準は、当事者の本人にも判断しかねるかもしれない。フリードリッヒ2世をルネサンスの先駆者と見なすか否かは、どうでもいい話に思えてきた。フリードリッヒ2世を卓越した魅力的人物とみなす点では、塩野氏も藤澤氏も同じである。その魅力を魅力的に語る才は塩野氏の方にある。
蛇足めくが、フリードリヒ2世の敵役のローマ法王の一人・グレゴリウス9世(フリードリッヒの破門、異端裁判所などで有名)の年齢が塩野版と藤澤版でかなり違っている。この法王が即位した1227年、フリードリヒ2世は32歳だった。そのときの法王の年齢は、藤澤版では83歳、塩野氏版では57歳になっている。ネット検索してみると諸説あるようだが定説はわからない。塩野氏の評伝は、フリードリヒ2世との比較でグレゴリウス9世の年齢にたびたび言及しているので、ちょっと気になった。
6年前には単行本(2013.12刊行)で読んだが、再読は新潮文庫版(2020.1刊行)にした。
『皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上)(下)』(塩野七生/新潮文庫)
文庫版冒頭の「文庫版への前書き、あるいは、読者への手紙」には、文庫化にあたって「手直し」をしたと書いてある。どの程度の手直しかは不明だ。文庫版で付加されているのは、鼻などが破壊されたフリードリッヒ2世の胸像写真と「鷹狩りの書」のカラー図版8頁である。後者は本文で「色つきで紹介できないのが残念に思うくらいに美しい」と記述した書の図版である。カラー図版掲載の文庫版も本文は変えていない。
本書を再読し、自分が評価する男を魅力的描く塩野氏の筆力を再認識した。同時に敵役(本書では法王たち)の卑小さも浮き彫りにする。歴史作家のひとつの見解だと認識しつつも、ほとんど説得されてしまう。
本書のキーワードは「政教分離」と「法治国家」である。中世にはない近代的概念だ。時代に先駆けて「政教分離」と「法治国家」という合理性を追究したのがフリードリッヒ2世の生涯だった――それが塩野氏の評伝の要旨だと思う。
藤澤氏の評伝では、法王との対立のベースを北方のドイツ(神聖ローマ帝国)と南イタリア(シチリア王国)統合の意図としている。法典や官僚制の整備については、それが中世において画期的であることは認めつつも、ローマ法やイスラームの官僚制をベースにしたもので、帝国&王国の基盤固をめざしていたとしている。塩野氏と藤澤氏の見解にどれほどの違いがあるか、私には判断できない。「中世」や「ルネサンス」という概念を十分に把握できていないからである。
藤澤氏と塩野氏の評伝で、史実に関して大きな違いはない。最も違っているのは、塩野氏が少年期のフリードリヒ2世がパレルモの街を自由に歩き回っていたことを重視しているのに対し、藤澤氏はそんなことはあり得なかったとしている点である。これが大きな問題か小さな問題か、私にはわからない。
両氏の評伝の巻末には参考文献リストがある。塩野氏のリストは外国の文献ばかりだが、藤澤氏のリストには日本人の文献も多い。しかし、塩野氏の『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』はない。研究書ではなく歴史小説と位置付けているのだと思う。
塩野氏は本書でも「中世史どころか歴史の研究者でもなく歴史を語る作家にすぎない私でも……」などと語っている。自身を「作家」と位置付けて歴史を縦横に語る塩野氏のスタンスは、歴史研究者には視野外の存在かもしれない。それなりに史料をふまえていても、それを超えた独自の奔放な見解を「研究」と同列には扱えないのだろう。
塩野氏と藤澤氏の評伝を読み比べて、歴史上の人物の評価の難しさを再認識した。昔の人物でなく現代や近代の人物であっても、その言動をどう評価するかはさまざまだろう。保守的か革新的かなどの大雑把な基準は、当事者の本人にも判断しかねるかもしれない。フリードリッヒ2世をルネサンスの先駆者と見なすか否かは、どうでもいい話に思えてきた。フリードリッヒ2世を卓越した魅力的人物とみなす点では、塩野氏も藤澤氏も同じである。その魅力を魅力的に語る才は塩野氏の方にある。
蛇足めくが、フリードリヒ2世の敵役のローマ法王の一人・グレゴリウス9世(フリードリッヒの破門、異端裁判所などで有名)の年齢が塩野版と藤澤版でかなり違っている。この法王が即位した1227年、フリードリヒ2世は32歳だった。そのときの法王の年齢は、藤澤版では83歳、塩野氏版では57歳になっている。ネット検索してみると諸説あるようだが定説はわからない。塩野氏の評伝は、フリードリヒ2世との比較でグレゴリウス9世の年齢にたびたび言及しているので、ちょっと気になった。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://dark.asablo.jp/blog/2024/06/12/9692403/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。