『ディアナの森』は地理的紀行が知的迷宮に変転する書2024年05月18日

『ディアナの森:ユーロアジア歴史紀行』(前田耕作/せりか書房/1998.7)
 一昨年12月、89歳で亡くなった前田耕作先生の次の本を読んだ。先生の尊称を付すのは、カルチャーセンターなどで講義をいくつか受講し、一緒にシチリア旅行をしたこともあり、前田先生と表記しないとしっくりこないからである。

 『ディアナの森:ユーロアジア歴史紀行』(前田耕作/せりか書房/1998.7)

 本書は互いに絡みあった20編のエセー集成である。私はかなり以前に本書を購入したが、何編かを拾い読みしただけだった。研究者の随想なので未知の固有名詞が頻出し、サラサラとは読めなかったのだ。今回、意を決して頭から通して読んだ。

 前田先生は「あとがき」で次のように述べている。

 「文字通りのエセー、私語、試考の類で、私の漂流ぶり、パラムナード(漂歩)のさまをより多くの人にみてもらおうと書きかさねたものである。これらのエセーの間隙に書いた『バクトリア王国の興亡』『宗祖ゾロアスター』とを合わせて読んでいただければ、私が奈辺を漂っているか、およそ察していただけよう。」

 昨年2月に開催された追悼シンポジウム「前田耕作先生の業績を語る会」で、後輩学者の一人が「<夢想・歴史・神話/宗教>を結ぶ“前田学”」ということを語っていた。私に難しいことはわからないが、本書によってあらためて、さまざまな遺物や遺跡をベースにアジア・ヨーロッパの異文化交流や精神史を追究した人だったと思った。

 ギボンやプルタルコスの史書の講義のとき、先生は史書に出て来る地名をいちいち地図で確認しながら話を進め、その地を訪れた逸話に触れることも多かった。先生の行動範囲の広さに驚いた。古跡巡りの旅行をご一緒したとき「何も残っていなくても、その現場に立ってみることが大事だ」とおっしゃっていた。現場に立てば、書斎で得られないものが見えてくるのだと思う。

 「ユーロアジア歴史紀行」のサブタイトルがある本書は、地理的紀行が時間紀行と脳内紀行に変転していくエセー集である。旅行譚のつもりで読み始めるといつの間にやら知的時空の迷宮に引きずりこまれ、知識も知力も乏しい私は途方に暮れそうになる。そんな体験にも一種の心地よさがあり、前田先生の後ろ姿を遠く眺めながら漂流している気分になる。本書に現場の空気が流れているせいだろう。

 本書には多くの学者の名が出てくる。私の知らない人が多い。頻出するのは『金枝篇』のフレイザーである。原始宗教・儀礼・神話・習慣などを比較研究した『金枝篇』を私は読んだことがない。大部な書だから読む予定もない。面白そうな世界だろうとは思うが、底なし沼のようでもあり、近づくのがこわい。

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