手塚治虫はファウスト・フリークだった ― 2023年09月03日
ゲーテの『ファウスト』読了後、手塚治虫の『ネオ・ファウスト』を大昔に読んだことを思い出した。内容は失念しているが本棚に保存している。また、ネット検索で、手塚治虫には『ファウスト』という古い作品もあると知り、古書で入手、あらためて二つのマンガ版ファウストを読んだ。
『ファウスト』(手塚治虫/手塚治虫漫画全集/講談社)
『ネオ・ファウスト』(手塚治虫/朝日新聞社)
『ファウスト』と『ネオ・ファウスト』は、表紙で明らかなように画風がかなり異なる。『ファウスト』は丸っこい可愛い絵の子供向けマンガ、『ネオ・ファウスト』は手塚治虫晩期の大人向けマンガである。前者の発表は1949年(21歳)、後者は1988年(60歳)に雑誌連載、逝去後に出版された未完作である。
『ファウスト』はゲーテの原作をマンガ化した「世界名作もの」第1陣である。第2陣は『罪と罰』だった(これは、かなり以前に読んだ記憶がある)。本書の「あとがき」によれば、手塚治虫は中学時代からゲーテの原作を何十回も読み返していたそうだ。ファウスト・フリークだったのだ。『ファウスト』はマンガ的に脚色しているが、原作の大筋を把握できる。
『ネオ・ファウスト』ゲーテの原作を枠組みに、現代を舞台にしている。冒頭は東大・日大闘争に続く1970年2月のNG大闘争の場面、主人公は争乱の大学にあって超然と世間離れの研究に没頭している老学者・一ノ関教授(ファウスト)である。私たち団塊世代にとっては懐かしくも身につまされる設定だ。
『ネオ・ファウスト』は時間SF、バイオSFであり、1960年代の世相を映した社会性もある。意欲的で面白い。この作品を『朝日ジャーナル』に連載した1988年1月から12月にかけて、手塚治虫は入退院をくり返していた。そして1989年2月、胃がん(本人には告知されなかった)で死去、享年60歳、最期まで執筆意欲があったそうだ。
『ネオ・ファウスト』は1970年を主な舞台にした第一部が終わり、十数年を経た現代(当時の現代=1988年頃)の第二部が開幕して20頁で途切れている。これから面白くなりそうな予感を秘めて絶筆になってしまった。実に残念である。
『ファウスト』(手塚治虫/手塚治虫漫画全集/講談社)
『ネオ・ファウスト』(手塚治虫/朝日新聞社)
『ファウスト』と『ネオ・ファウスト』は、表紙で明らかなように画風がかなり異なる。『ファウスト』は丸っこい可愛い絵の子供向けマンガ、『ネオ・ファウスト』は手塚治虫晩期の大人向けマンガである。前者の発表は1949年(21歳)、後者は1988年(60歳)に雑誌連載、逝去後に出版された未完作である。
『ファウスト』はゲーテの原作をマンガ化した「世界名作もの」第1陣である。第2陣は『罪と罰』だった(これは、かなり以前に読んだ記憶がある)。本書の「あとがき」によれば、手塚治虫は中学時代からゲーテの原作を何十回も読み返していたそうだ。ファウスト・フリークだったのだ。『ファウスト』はマンガ的に脚色しているが、原作の大筋を把握できる。
『ネオ・ファウスト』ゲーテの原作を枠組みに、現代を舞台にしている。冒頭は東大・日大闘争に続く1970年2月のNG大闘争の場面、主人公は争乱の大学にあって超然と世間離れの研究に没頭している老学者・一ノ関教授(ファウスト)である。私たち団塊世代にとっては懐かしくも身につまされる設定だ。
『ネオ・ファウスト』は時間SF、バイオSFであり、1960年代の世相を映した社会性もある。意欲的で面白い。この作品を『朝日ジャーナル』に連載した1988年1月から12月にかけて、手塚治虫は入退院をくり返していた。そして1989年2月、胃がん(本人には告知されなかった)で死去、享年60歳、最期まで執筆意欲があったそうだ。
『ネオ・ファウスト』は1970年を主な舞台にした第一部が終わり、十数年を経た現代(当時の現代=1988年頃)の第二部が開幕して20頁で途切れている。これから面白くなりそうな予感を秘めて絶筆になってしまった。実に残念である。
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