初演から50年の時間を塗り込んだ『ぼくらが大河をくだる時』2022年10月25日

上:公演チラシ、下:『ぼくらが大河をくだる時』(清水邦夫/新潮社/1974.2)
 新宿シアタートップスという劇場(客席100ぐらい)で、オフィス3〇〇公演『ぼくらが大河をくだる時~新宿薔薇戦争~』(作:清水邦夫、演出:渡辺えり、出演:吉田侑生、岩戸秀年、岡森諦、他)を観た。初演は50年前だ。観劇に先立って、清水邦夫の戯曲集『ぼくらが大河をくだる時』(新潮社/1974.2)をひっぱり出して再読し、半世紀前にタイムスリップした気分になった。

 清水邦夫は懐かしい劇作家だ。私より12歳年長の1936年生まれ、彼が新進劇作家としてデビューしたのは、私が大学生だった半世紀以上前である。当初は新劇の人と思っていたが、蜷川幸雄とのコンビで新宿アートシアターで上演した芝居(本作もその一つ)は過激で熱気があった。私には、新劇とアングラの中間の人のイメージがある。

 と言っても、当時、実際に舞台を観たのは『想い出の日本一萬年』(1970年9月)と『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』(1971年10月)だけだ。あの頃に出た戯曲集を読んでいたので印象が強いのだと思う(観劇は、学生の私には手間と金銭のかかる一大事業だった)。

 昨年4月、清水邦夫逝去のニュースに接した。死因は老衰とあった。84歳での老衰死に違和感と無惨を感じた。この違和感と無惨は彼の作品群のイメージに重なる。

 私より7歳若い渡辺えりは、山形の演劇少女だった高校生(17歳)のとき、町の本屋の演劇雑誌に載った戯曲『ぼくらが大河をくだる時』に感動・号泣し、それを原稿用紙に書き写したそうだ。そんな思い入れ深い作品を、67歳になった50年後、ついに上演――それが今回の公演である。

 都内の公衆便所を舞台にしたこの芝居、戯曲には登場人物「詩人、兄、父親、便所に群がる男たち」と記している。科白があるのは3人で、それ以外は群衆である。今回の演出は、その群衆に工夫をこらしている。私は半世紀前の初演を観ていないが、1972年版を2022年版にバージョンアップしているのは確かだ。

 登場人物は3人+男女24人で、その24人が多彩だ。生演奏を終始流しているバンドネオン奏者やタンゴダンサーもいる。戯曲の「便所に群がる男たち」はゲイ(薔薇族)であると同時に社会であり外界である。今回の群衆は、機動隊とゲバ棒学生を演ずるだけでなく、幕末から21世紀までの時間をさまざまな乱舞(乱闘や舞踏)で表現している。機動隊とゲバ棒の乱闘がタンゴの舞踏会に変容していくさまも面白い。

 単純化して言えば、この芝居は、革命の挫折からの新たな出発の模索を暗く詩的に描いている。それは、連合赤軍事件後の当時の空気の反映だった。2022年版は暗さを踏襲しつつも、それを突き抜ける姿を提示しているように感じた。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
ウサギとカメ、勝ったのどっち?

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://dark.asablo.jp/blog/2022/10/25/9535715/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。