なはーとで『博覧会と〈人間の展示〉』の展示を観た ― 2022年09月27日
いま那覇市に来ている。昨年オープンした巨大複合施設「那覇文化芸術劇場なはーと」の小スタジオで開催中の『帝国の祭典:博覧会と〈人間の展示〉』(入場無料)を観た。
「人間の展示」という言葉が刺激的で、どんな展示だろうと興味を抱いた。展示物は写真絵葉書が中心だった。19世紀中頃から20世紀初頭にかけての「帝国主義」の時代、主に欧州で開催された博覧会の様子を伝える写真である。絵葉書サイズだから目を近づけなければよく見えない。欄外に小さな文字が入っている写真もあり、読み取るのは難儀だ。拡大展示してくれればいいのに、と思った。
だが、そんな望みは無理だと悟った。写真の量が膨大なのである。壁面に延々と並んだ写真に圧倒される。大半の写真が未開人(欧米から見た)の写真である。その多くは博覧会のために現地から連れて来られた(あるいは派遣、もしくは招待された)人々である。19世紀の欧米人に感情移入すれば、異文化の世界を眺めてワクワクしたのだろうと思う。
博覧会の意義はいろいろあるだろうが、人々の好奇心を満たす異文化の見世物という要素が強かったと思う。幕末のパリ博覧会には幕府や薩摩藩も出展している。そのとき、渋沢栄一は「自分が観られている」と強く意識したそうだ。展示物の古い欧文書籍に侍の顔写真があり、誰だろうとよく見ると福沢諭吉だった。
この展示には欧州の博覧会だけでなく「大日本帝国」で開催された博覧会の写真もある。そこには北海道の土人(アイヌ)や台湾の生蛮などの写真が並んでいた。
かつての博覧会で行われていた、人々の優越意識に基づく「未開人の展示」は否定されて当然だろう。だが、人間の好奇心や探究心が人間に向かうのは避けられない。優越意識や差別意識とは無縁の「人間の展示」とはどんな形態になるのだろうか、などと考えてしまった。
「人間の展示」という言葉が刺激的で、どんな展示だろうと興味を抱いた。展示物は写真絵葉書が中心だった。19世紀中頃から20世紀初頭にかけての「帝国主義」の時代、主に欧州で開催された博覧会の様子を伝える写真である。絵葉書サイズだから目を近づけなければよく見えない。欄外に小さな文字が入っている写真もあり、読み取るのは難儀だ。拡大展示してくれればいいのに、と思った。
だが、そんな望みは無理だと悟った。写真の量が膨大なのである。壁面に延々と並んだ写真に圧倒される。大半の写真が未開人(欧米から見た)の写真である。その多くは博覧会のために現地から連れて来られた(あるいは派遣、もしくは招待された)人々である。19世紀の欧米人に感情移入すれば、異文化の世界を眺めてワクワクしたのだろうと思う。
博覧会の意義はいろいろあるだろうが、人々の好奇心を満たす異文化の見世物という要素が強かったと思う。幕末のパリ博覧会には幕府や薩摩藩も出展している。そのとき、渋沢栄一は「自分が観られている」と強く意識したそうだ。展示物の古い欧文書籍に侍の顔写真があり、誰だろうとよく見ると福沢諭吉だった。
この展示には欧州の博覧会だけでなく「大日本帝国」で開催された博覧会の写真もある。そこには北海道の土人(アイヌ)や台湾の生蛮などの写真が並んでいた。
かつての博覧会で行われていた、人々の優越意識に基づく「未開人の展示」は否定されて当然だろう。だが、人間の好奇心や探究心が人間に向かうのは避けられない。優越意識や差別意識とは無縁の「人間の展示」とはどんな形態になるのだろうか、などと考えてしまった。
「食い物のうらみ」は歴史を動かす ― 2022年09月30日
飢餓の時代を表すタイトルに惹かれて次の本を読んだ。
『カブラの冬:第一次世界大戦期ドイツの飢餓と民衆』(藤原辰史/人文書院)
第一次世界大戦中のドイツでは飢饉で76万人の餓死者が出た。ジャガイモがなくなり、カブラ(ルタバカ=スウェーデンカブ)ばかりが食卓に上った1916年から1917年にかけての冬を「カブラの冬」と呼ぶそうだ。本書は、10年ほど前に京大の「第一次世界大戦の総合的研究」という共同研究班が刊行した「レクチャー 第一次世界大戦を考える」という叢書の一冊である。
私はナチス史に関心があるが、ナチスの台頭と飢餓の関係を意識したことはなかった。本書によって、第一次世界大戦時の「飢餓の記憶」がナチスを生んだという指摘を知り、あらためて「食い物のうらみ」の怖さを考えた。
私は1948年生まれの戦後世代で飢餓の記憶はないが、親の世代は戦中戦後の食糧不足を体験している。子供の頃、母親から「誰もが空腹だった」話を繰り返し聞かされてきたので、疑似的な飢餓記憶は多少あるかもしれない。私の子供や孫の世代は幸いなことに飢餓と無縁に暮らしていると思うが、地球上から飢餓が消えたわけではない。
近現代史はさまざまな大量餓死に刻印されている。日本は太平洋戦争でガ島(ガダルカナル)などで多くの餓死者を出している。スターリン時代のウクライナでは330の万人という尋常でない餓死者が出た。総力戦の時代には、ドイツだけでなくほとんどの参戦国の人々が飢えていた。 戦争は食糧の生産や流通を阻害することが多く、必然的に飢餓を招来する。未だに戦争の時代である21世紀、新たな飢餓の時代が来る可能性を考えてしまう。
『カブラの冬:第一次世界大戦期ドイツの飢餓と民衆』(藤原辰史/人文書院)
第一次世界大戦中のドイツでは飢饉で76万人の餓死者が出た。ジャガイモがなくなり、カブラ(ルタバカ=スウェーデンカブ)ばかりが食卓に上った1916年から1917年にかけての冬を「カブラの冬」と呼ぶそうだ。本書は、10年ほど前に京大の「第一次世界大戦の総合的研究」という共同研究班が刊行した「レクチャー 第一次世界大戦を考える」という叢書の一冊である。
私はナチス史に関心があるが、ナチスの台頭と飢餓の関係を意識したことはなかった。本書によって、第一次世界大戦時の「飢餓の記憶」がナチスを生んだという指摘を知り、あらためて「食い物のうらみ」の怖さを考えた。
私は1948年生まれの戦後世代で飢餓の記憶はないが、親の世代は戦中戦後の食糧不足を体験している。子供の頃、母親から「誰もが空腹だった」話を繰り返し聞かされてきたので、疑似的な飢餓記憶は多少あるかもしれない。私の子供や孫の世代は幸いなことに飢餓と無縁に暮らしていると思うが、地球上から飢餓が消えたわけではない。
近現代史はさまざまな大量餓死に刻印されている。日本は太平洋戦争でガ島(ガダルカナル)などで多くの餓死者を出している。スターリン時代のウクライナでは330の万人という尋常でない餓死者が出た。総力戦の時代には、ドイツだけでなくほとんどの参戦国の人々が飢えていた。 戦争は食糧の生産や流通を阻害することが多く、必然的に飢餓を招来する。未だに戦争の時代である21世紀、新たな飢餓の時代が来る可能性を考えてしまう。
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