マグリブの巡礼紀行文学(リフラ)研究を紹介した小冊子 ― 2021年12月20日
『イブン・バットゥータの世界大旅行』(平凡社新書)に続いて同じ著者の次の小冊子を読んだ。
『イブン・ジュバイルとイブン・バットゥータ:イスラーム世界の交通と旅』(家島彦一/世界史リブレット人/山川出版社)
復習気分で読みはじめたが、想定した以上に歯ごたえのある専門的な内容だった。この冊子はイブン・ジュバイルとイブン・バットゥータの人物像や旅行の概説書ではなく、サブタイトルの「イスラーム世界の交通と旅」が主テーマである。
メッカ巡礼が重要だったイスラーム世界では、巡礼の旅に関する情報を記録した旅行記「リフラ(巡礼紀行文学)」が多く書かれた。イブン・バットゥータの『大旅行記』もリフラの一つである。
代表的なリフラは、イブン・バットゥータより180年前に生れたイブン・ジュバイルの『メッカ巡礼記』で、リフラの手本とされてきた。イブン・バットゥータもイブン・ジュバイルのリフラ持参で旅行し、その『大旅行記』にはイブン・ジュバイルからの引用が多いそうだ。
著者はリフラの研究家で、12世紀後半から19世紀末までに書かれた64種類のリフラの変遷を比較・検討・分析している。門外漢には少し遠い世界である。
マグリブとマシュリクの違いの解説は興味深かった。エジプトより西の北アフリカ地中海岸の一帯をマグリブ(西方)と呼ぶと知ったのは、一昨年チュニジア旅行をした頃だった。エジプトより東はマシュリク(東方)である。こんな呼び方があるのは、二つの地域の間に何らかの違いがあるからだろうが、あまり深く考えなかった。
本書を読んで、マグリブの人のマシュリクに対する複雑な思いの一端を知った。イブン・ジュバイルもイブン・バットゥータもマグリブの人であり、リフラはマグリブ人たちによるメッカ巡礼記として特殊な発展をとげたそうだ。アレクサンドリアやメッカのあるマシュリクはマグリブ人にとっては先進的な理想郷だった。しかし、マグリブの巡礼者が実見したマシュリクは政治・社会・文化の堕落したイスラームの姿だった。そして、本来の正しいイスラムームはマグリブにしかない、というマグリブ人意識が高揚したらしい。面白い話である。
著者は本書で、イブン・バットゥータが中国に行ってないかもしれないとは述べていない。少し不思議である。ただし、神秘主義に傾いたイブン・バットゥータを次のよう描いている。
「(…)得意満面に弁をふるっているうちに、彼自らが旅した実地体験の記憶と、他人から伝え聞いた情報がいりまじり、しだいに現実と空想の世界とが混然一体となって、彼の旅行談は誇大化していったのであり、それは旅人としての彼の心象や思考が吐露したものとであると考えられるのである。」
『イブン・ジュバイルとイブン・バットゥータ:イスラーム世界の交通と旅』(家島彦一/世界史リブレット人/山川出版社)
復習気分で読みはじめたが、想定した以上に歯ごたえのある専門的な内容だった。この冊子はイブン・ジュバイルとイブン・バットゥータの人物像や旅行の概説書ではなく、サブタイトルの「イスラーム世界の交通と旅」が主テーマである。
メッカ巡礼が重要だったイスラーム世界では、巡礼の旅に関する情報を記録した旅行記「リフラ(巡礼紀行文学)」が多く書かれた。イブン・バットゥータの『大旅行記』もリフラの一つである。
代表的なリフラは、イブン・バットゥータより180年前に生れたイブン・ジュバイルの『メッカ巡礼記』で、リフラの手本とされてきた。イブン・バットゥータもイブン・ジュバイルのリフラ持参で旅行し、その『大旅行記』にはイブン・ジュバイルからの引用が多いそうだ。
著者はリフラの研究家で、12世紀後半から19世紀末までに書かれた64種類のリフラの変遷を比較・検討・分析している。門外漢には少し遠い世界である。
マグリブとマシュリクの違いの解説は興味深かった。エジプトより西の北アフリカ地中海岸の一帯をマグリブ(西方)と呼ぶと知ったのは、一昨年チュニジア旅行をした頃だった。エジプトより東はマシュリク(東方)である。こんな呼び方があるのは、二つの地域の間に何らかの違いがあるからだろうが、あまり深く考えなかった。
本書を読んで、マグリブの人のマシュリクに対する複雑な思いの一端を知った。イブン・ジュバイルもイブン・バットゥータもマグリブの人であり、リフラはマグリブ人たちによるメッカ巡礼記として特殊な発展をとげたそうだ。アレクサンドリアやメッカのあるマシュリクはマグリブ人にとっては先進的な理想郷だった。しかし、マグリブの巡礼者が実見したマシュリクは政治・社会・文化の堕落したイスラームの姿だった。そして、本来の正しいイスラムームはマグリブにしかない、というマグリブ人意識が高揚したらしい。面白い話である。
著者は本書で、イブン・バットゥータが中国に行ってないかもしれないとは述べていない。少し不思議である。ただし、神秘主義に傾いたイブン・バットゥータを次のよう描いている。
「(…)得意満面に弁をふるっているうちに、彼自らが旅した実地体験の記憶と、他人から伝え聞いた情報がいりまじり、しだいに現実と空想の世界とが混然一体となって、彼の旅行談は誇大化していったのであり、それは旅人としての彼の心象や思考が吐露したものとであると考えられるのである。」
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