「小市民」生活の奇妙な場面を積み上げる静謐な不条理劇 ― 2021年12月14日
新国立劇場小劇場で『あーぶくたった、にいたった』(作:別役実、演出:西沢栄治)を観た。「小市民」を描いた別役実の静謐な不条理劇である。
舞台には例によって電信柱が1本、上手のレトロな郵便ポストは何故か傾いたまま半分埋まっている。電信柱に万国旗がかかっているのがかえって寂しげである。開演前からロビーにも舞台にも三波春夫のメドレーが流れている。「1970年のこんにちわ~」と歌い終わった時点で開幕になった。
第1場はムシロの上の金屏風を背にした新郎と新婦の会話。まだ存在していない娘や息子の運命に関する妄想がエスカレートしていく。第2場も似たような婚礼場面で、新婦と新婦の両親が新郎を待っているが、新郎は来ない。新郎が来ないことはあらかじめわかっていたようでもある……そんなささやかな不条理シーンが電信柱の下で繰り返される。
タイトルの「あーぶくたった、にいたった」は「あぶく立った、煮え立った」という意味のわらべ唄で、この劇のシーン転換のたびに、子供の声で「あーぶく立った、煮い立った。煮えたかどうだか、食べてみよ。ムシャ、ムシャ、ムシャ。まだ煮えない」という唄がくり返し流れる。
また、舞台装置や役者の配置を指示する「ト書き」までが音声で流れる。私は戯曲を読んでいないので、これが作者の仕掛けなのか演出家の工夫なのかはわからない。「男1」「女1」「男2」「女2」などの役名があからさまに耳に入ると、舞台上の異世界の象徴性が高まる効果がある。
各シーンの男女は同一の人物の時間経過を追っているようにも、少しズレた分身のようにも見え、人の半生が長いようにも一瞬のようにも感じられる。婚礼から老いて死を迎えるまでの時間は、豆が煮える時間にも満たない。邯鄲の夢だ。
舞台には例によって電信柱が1本、上手のレトロな郵便ポストは何故か傾いたまま半分埋まっている。電信柱に万国旗がかかっているのがかえって寂しげである。開演前からロビーにも舞台にも三波春夫のメドレーが流れている。「1970年のこんにちわ~」と歌い終わった時点で開幕になった。
第1場はムシロの上の金屏風を背にした新郎と新婦の会話。まだ存在していない娘や息子の運命に関する妄想がエスカレートしていく。第2場も似たような婚礼場面で、新婦と新婦の両親が新郎を待っているが、新郎は来ない。新郎が来ないことはあらかじめわかっていたようでもある……そんなささやかな不条理シーンが電信柱の下で繰り返される。
タイトルの「あーぶくたった、にいたった」は「あぶく立った、煮え立った」という意味のわらべ唄で、この劇のシーン転換のたびに、子供の声で「あーぶく立った、煮い立った。煮えたかどうだか、食べてみよ。ムシャ、ムシャ、ムシャ。まだ煮えない」という唄がくり返し流れる。
また、舞台装置や役者の配置を指示する「ト書き」までが音声で流れる。私は戯曲を読んでいないので、これが作者の仕掛けなのか演出家の工夫なのかはわからない。「男1」「女1」「男2」「女2」などの役名があからさまに耳に入ると、舞台上の異世界の象徴性が高まる効果がある。
各シーンの男女は同一の人物の時間経過を追っているようにも、少しズレた分身のようにも見え、人の半生が長いようにも一瞬のようにも感じられる。婚礼から老いて死を迎えるまでの時間は、豆が煮える時間にも満たない。邯鄲の夢だ。
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