初演から43年目に歌舞伎『椿説弓張月』を観た2012年05月15日

横尾忠則氏の2枚のポスター(上)と今回の歌舞伎のポスターとチラシ(下)
 地下鉄の駅構内のポスターで五月花形歌舞伎(新橋演舞場)夜の部が『椿説弓張月』(主演・市川染五郎)だと知り、「これは観ておかねば」と思った。そして、昨夜観てきた。歌舞伎を観るのは久しぶりだ。

 『椿説弓張月』を観なければと考えたのは、ポスターのせいである。と言っても、今回の上演ポスターではなく、40年以上昔の初演時の横尾忠則氏のポスターだ。

 馬琴の読本を原作に三島由紀夫が歌舞伎化・演出した『椿説弓張月』が国立劇場で初演されたのは1969年11月、三島自決の1年前だった。
 当時、大学生だった私は歌舞伎にはあまり関心がなかったが、横尾忠則氏制作の『椿説弓張月』のポスターには大いに惹かれた。あの頃、三島由紀夫は世間の耳目を集めるマルチ・タレントだったが、横尾忠則氏はそれ以上に注目されるスーパースターだった。
 歌舞伎『椿説弓張月』がメディアに取り上げられるときも、このポスターが話題になることが多かったように思う。何かの雑誌の折り込み付録がこのポスターの複製だった。本物よりはサイズの小さい印刷物だったが、私はその付録ポスターを自室の壁に貼っていた。本物のポスターはニューヨークのメトロポリタン美術館にも保存されていると聞いたこともある。

 そして長い年月を経て、いまから10年ほど前、私は神田の古本屋で『椿説弓張月』ポスターを入手した。シルクスクリーンのB1サイズ(103×72.8cm)で、かなりの迫力がある。
 購入した後で気付いたのだが、このポスターは画集などに掲載されているものと配色が異なっている。黒と青が反転しているのだ。印刷ミスの稀覯版ではと、ネットで調べているうちに、横尾忠則氏のサイトに出会い、そこで質問したところ、横尾氏ご本人から「セカンド・バージョンです」との返事をいただいた。
 その後、歌舞伎座での再演時のオフセット印刷のポスター(こちらは色は反転していない)も入手し、わが家の玄関の壁には時計をはさんで2枚の『椿説弓張月』が仰々しく飾られている。

 そんなわけで私は、学生時代の日々も現在もほぼ毎日、視線の片隅に『椿説弓張月』のポスターを感じながら暮らしているのだ。
 ところが私は、馬琴の『椿説弓張月』は未読だし、歌舞伎の『椿説弓張月』も観ていなかった。ポスターを独立した作品として眺めているので、それで不都合はない。とは言うものの、やはり、三島由紀夫や馬琴への礼を失しているような気もしていた。

 私が五月花形歌舞伎『椿説弓張月』を観なければと考えたのは、そんな事情による。原作を未読の私は、『椿説弓張月』は「保元の乱に敗れて伊豆大島に流されて源為朝が、琉球へ渡って悪者退治の大活躍をする気宇壮大な物語」という程度の知識しかなかった。歌舞伎を観るにあたって、簡単な原作の口語訳を読み、三島由紀夫の台本『椿説弓張月』(「三島由紀夫全集第24巻」所収)も読んだ。歌舞伎は事前に台本を読んでおく方が楽しめると考えているからだ。

 歌舞伎『椿説弓張月』を観て「やはり歌舞伎は動く錦絵だなあ」という平凡ではあるが心地よい感興にひたる時間を過ごせた。また、歌舞伎は台本を読むだけでは楽しむことはできないという当然のことを再認識した。現代戯曲なら、戯曲そのものを文学作品として読み、自分なりの想像力で鑑賞できる。しかし、歌舞伎台本だけで舞台空間を感じるのは私には無理である。

 歌舞伎を観終えて、あらためて『椿説弓張月』初演時のことを考えてみた。三島事件の1年前、三島由紀夫はすでに自決を決意していたのだろうか。初演時の作者自身の解説には次のようなことが書かれている(「三島由紀夫全集第24巻」解題)。

  〔英雄為朝はつねに挫折し、つねに決戦の機を逸し、つねに死へ、「故忠への回帰」に心を誘はれる。彼がのぞんだ平家征伐の花々しい合戦の機会はつひに彼を訪れないのである。
   あらゆる戯曲が告白を内包してゐる、といふのは私の持論だが、作者自身のことを云へば、為朝のその挫折、その花々しい運命からの疎外、その「未完の英雄」のイメージは、そしてその清澄高邁な性格は、私の理想の姿であり、力を入れて書いた(略)〕

 1年後の自決を予感しているように読めなくもないが、自己演出過剰の人だったので、作家の本心はよくわからない。
 あの1969年頃は、世の中、何が起こってもおかしくないという予感と期待にあふれていた。世情は騒然としていて「沖縄奪還」も一つの大きな政治課題だった。沖縄はベトナム戦争の基地でもあった。

 歌舞伎『椿説弓張月』の下の巻は琉球王国が舞台である。これについて、三島由紀夫自身、次のように演出を解説している。

  〔近ごろ流行のツーリズムの悪弊である安つぽい「現地主義」を大胆に捨てて、すべて日本の歌舞伎衣装に、ただ琉球の染物を用ひて、あくまで無知蒙昧な歌舞伎芝居に徹したのである〕

 ここで言う「ツーリズム」が何を指して言っているのか、私には不明瞭だ。確かに、下の巻の舞台はエキゾチックな南島風の錦絵場面ではなく、むしろ平凡である。
 初演時の1969年は沖縄返還の3年前で、沖縄はパスポートがなければ行けない遠い所だった。そして、日米の間にある「奪還」すべき政治課題の地でもあった。あの頃、私たちは3年後に沖縄が返還されるとは考えていなかった。また、米国がベトナムから撤退を余儀なくされることになるとも考えていなかった。
 そんな情況が『椿説弓張月』の上演に影響しているとは考えにくいが、その気になれば沖縄にまつわるさまざまな課題を台本の裏に潜り込ませることは可能だったようにも思える。それをあえてしなかったと宣言しているのが上記の文章と見るのはうがちすぎだろうか。

 奇しくも本日(2012年5月15日)は沖縄の本土復帰40周年の日である。馬琴が源氏の末裔と琉球王国にまつわる伝奇ロマンを世に出して200年経った。
 横尾忠則氏の2枚のポスターの背景は、ひとつは幻想的な青い海、他方は不気味な黒い海だ。この2枚を並べて眺めると、沖縄にまつわる現実と伝奇が時空を越えてうねっているように見えてくる。

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