脱原発は文明論である2011年09月21日

『福島の原発事故をめぐって:いくつか学び考えたこと』(山本義隆/みすず書房/2011.8.25)、『原発社会からの離脱:自然エネルギーと共同体自治に向けて』(宮台真司・飯田哲也/講談社現代新書/2011.6.20)
『福島の原発事故をめぐって:いくつか学び考えたこと』(山本義隆/みすず書房/2011.8.25)
『原発社会からの離脱:自然エネルギーと共同体自治に向けて』(宮台真司・飯田哲也/講談社現代新書/2011.6.20)

◎元・東大全共闘代表の著作

 書店の店頭で『福島の原発事故をめぐって』が目に止まった。かつての全共闘運動のシンボルでもあった東大全共闘代表・山本義隆氏の著作だからだ。
 予備校教師を続けている山本義隆氏が在野の研究者として物理学の本を多数執筆していることは知っていた。毎日出版文化賞や大仏次郎賞などを受賞した『磁力と重力の発見(全3巻)』は数年前に読んだ。しかし、本書を目にしたとき、意外な感じがした。時事的・社会的テーマの本に思えたからだ。
 山本氏の身の処し方は、ある意味でストイックである。著作は物理学や物理学思想に関するものだけで、全共闘運動や自身に関しては何も語らず、外国旅行もしていない。そんな彼が社会へのメッセージ性のある本を公にするのは『知性の叛乱』(1969.6.15/前衛社)以来ではなかろうか。

 そんな思いが脳裏をよぎり本書を購入した。薄い本なので一気に読了できた。タイトルの通り、福島の原発事故について考察し、かなり根源的に脱原発を説いた内容だった。

 本書を読んだのをきっかけに、脱原発の根拠について少し勉強してみようと思い、『原発社会からの離脱』も読んだ。

◎私の考え

 私自身は、3.11以降、原発は止めるべきだと考えている。無毒化に何万年もかかる放射性廃棄物を作りだしてしまうという致命的な欠陥があるからだ。
 かつて、地球上には放射性物質が大量に存在していた。その放射性物質が長い時間をかけて崩壊し、放射線を出さない安定した物質になった。そして、地球上に多様な生物が発生したと考えられている。
 核分裂によってエネルギーを取りだすという技術は、現在の地救上から消滅した放射性物質を生成してしまう。この技術には、世界を生命発生以前の環境に変えてしまう危険性がある。対処不能な本質的に危険な技術だと思う。

 そんな考えを前提にこの二つの本を読んだ。
 
◎壮大で明快な論旨

 『福島の原発事故をめぐって』は薄い本だが論旨は壮大で明快だ。3つの章に分かれている。

 最初の章では、日本における原発開発の源流に「核兵器開発の潜在力を維持したい」という国策があったと指摘している。原子力の平和利用が国策であったのは間違いないが、その背景に外交政策・安全保障政策があったと考えるのは自然だと思える。

 第2の章では、原子核物理学という理論から原子核工学という技術に至る距離の大きさを述べ、放射性廃棄物を生成する原発は未完成の技術だと指摘している。当然の指摘だ。

 第1と第2の章は、原発批判の典型となる考察である。本書でユニークなのは「科学技術幻想とその破綻」というタイトルの第3の章である。この章で著者の真骨頂が発揮されている。
 福島原発事故を考察する科学史家・山本義隆氏の視野は16世紀文化革命・17世紀科学革命にまで遡る。そして、次のように科学技術幻想を断罪する。

 「福島原発の大事故は、自然に対して人間が上位に立ったというガリレオやベーコンやデカルトの増長、そして科学技術は万能という19世紀の幻想を打ち砕いた」

 原発事故の淵源をガリレオやデカルトから出発した科学思想に求めるというのは、壮大で根源的な文明論的反省である。かつて、全共闘運動が「近代合理主義という強固な壁」を乗り越えようと苦闘した(と私は思う)ことを想起した。

◎元・原子力ムラ住人の興味深い考察と提言

 『福島の原発事故をめぐって』がアウトサイダーの学究が書斎で考察した静かな書だとするなら、『原発社会からの離脱』は政治経済や社会現象の現場に近い研究者二人が縦横無尽にしゃべり合ったにぎやか書である。

 おしゃべりな社会学者・宮台真司氏主導の本かなと思ったが、飯田哲也氏の主張や解説が中心の内容だった。宮台氏は聞き役兼コメンテータという役所だ。この二人は1959年生まれの同世代だそうだ。山本義隆氏より18歳若い。

 原発の技術的非合理性、社会的非合理性を論じた対談だが、自然エネルギーへのシフトが強調されている。
 本書には「知識社会」という言葉が頻出する。それはヨーロッパにはあるが日本では形成されていないものだそうだ。一言で言うと「ヨーロッパは進んでいる。日本は遅れている。」という内容である。北欧やドイツの紹介はあるが、原発国・フランスへの言及はない。本当のところはよくわからないが、著者たちのような見方もありうるだろうなという気はしてくる。

 山本義隆氏は原発開発の源流に核兵器開発の潜在力維持の考えがあったとしているが、宮台氏は「核武装うんぬんは政治オンチの戯言」と述べている。脱原発思想から左翼的硬直性を排除したいという考えだろう。眺めている時間の違いもありそうだ。

 また、二人とも地球温暖化懐疑論を非知的な考えとして退けている。反原発の広瀬隆氏との大きな違いだ。私は、地球温暖化論は原発推進のための陰謀だとまでは思わないが、電力会社が原発推進のために温暖化論を政治的に利用したのは確かだと思う。原発と温暖化論は検証すべきテーマの一つだ。

 飯田哲也氏は3.11以降テレビでよく見るが、本書によって経歴などを初めて知り、興味深い人物だと思った。原子核工学を専攻し、神戸製鋼で原発関連の仕事に従事し、電力中央研究所でIAEA関連の業務に携わっていたそうだ。いわゆる「原子力ムラ」出身者で、現在は環境エネルギー政策研究所所長である。かなり幅の広い人物のようだ。

 本書で面白いのは、飯田氏の語る原子力ムラや日本の官僚たちの生々しい実態である。確かに、何とかしなければ日本はダメになると思えてくる。
 本書は、原発推進の社会を形成してきた日本の官僚制や政治経済などの問題点を指摘するだけでなく、それを打開する方策も述べている。打開策実施のキーワードは経済合理性の導入である。
 と書くと、かなり現実的な提言の書のように思えるが、必ずしもそうとは言い切れない。社会が変わるには、それを構成する一人ひとりの意識が変わらなければならいという点も指摘されていて、かなり文明論的でもある。
 そこに、山本義隆氏の考察と通底するものを感じた。

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