『科挙』と『宦官』---1960年代の新書を読む2010年06月26日

『科挙 --- 中国の試験地獄』(宮崎市定/中公新書)、『宦官 --- 側近政治の構造』(三田村泰助/中公新書)
 次の2冊の中公新書を読んだ。

  『科挙 --- 中国の試験地獄』(宮崎市定/中公新書)
  『宦官 --- 側近政治の構造』(三田村泰助/中公新書)

 2冊とも、かなり以前に購入したまま未読だった。先日、中国旅行をして、宦官が生息していた紫禁城(故宮)や科挙の試験場の跡などを見てきたのをきっかけに、本棚の奥に眠っていた本を探し出して読んだ。

 この2冊はどちらも初版は1963年、中公新書の初期に刊行され、その後も版を重ねているロングセラー新書だ。
 2冊とも碩学が専門分野のテーマを一般人に解説するという往時の典型的なスタイルの新書だ。近年流行のスカスカの新書に比べると歯ごたえがある(スカスカ新書にもそれなりの面白さと意義はあるとは思うが)。

 科挙と宦官はまったく別のテーマだが、この2冊を読んで中国の歴史の厚みを再認識した。両方ともはるか昔の古代に始まり、幾多の王朝を通じて長い期間存在し、清朝末期に廃止された。科挙が始まったのは約1400年前で、廃止されたのは1904年だ。宦官の始まりはもっと古く、中国文明のあけぼのの頃から存在し、1912年の清朝滅亡まで存続した。最後の宦官が亡くなったのは約10年前らしい(故宮見学のときにガイドに聞いた話)。三田村氏は「中国はまず四千年の宦官の歴史をもつことになる」と述べている。

 科挙は千数百年、宦官は四千年、その長い歴史を通じてさまざまな変化が生じている。それを新書1冊で概説するのが難しいことは容易に想像できる。その分、『科挙』も『宦官』もやや難しい解説本になっている。
 『科挙』は、この試験制度の解説が中心なので比較的読みやすかったが、『宦官』の内容の大半は、さしずめ数千年にわたる宮廷の抗争史のあんばいで、かなり多くの人名(帝、官僚、宦官など)が次々に登場する。高校で習った世界史を忘れかけている頭には少々負担だった。

 科挙といえば四書五経を丸暗記する前近代的な試験制度、というイメージもあったが、本書で認識をあらためた。
 科挙は貴族たちが要職を独占する貴族主義を廃するために始められたのだ。世襲や推薦ではなく多くの人が参加可能な試験によって役人を登用する制度は、確かに近代的である。こんな制度を、日本の大和時代、ヨーロッパでは中世が始まったばかりの頃から導入しているのだから、中国は先進的だったことになる。

 宮崎氏は「ヨーロッパにおける近世初期ブルジョワジーのような階級が、中国ではすでに宋代に成立したのである」と指摘している。その頃、中国はヨーロッパより約500年は先行していたことになる。
 と言っても、科挙を導入したことによって中国の制度が近代的に機能するようになったわけではなさそうだ。『宦官』に紹介されている数々のエピソードが示すような側近政治の攻防戦もくりかえされてきたようだ。
 
 科挙と宦官に関して、三田村氏が『宦官』において、次のように記述している。

 「唐代から宋代にかけて、中国社会は大きな時代の転換を経験した。唐代にあった階級的身分制度が大幅に撤廃され、個人の自由がいちじるしくのびてきた」「教養を身につけたものは、国家試験にさえ通れば、身分の制約をうけずに実力次第で大臣宰相になれたのである。だから、それに無縁な下層の庶民階級は、この時代の空気を敏感にみてとって、永遠の下積みからのがれるべく志をたてたのである。それが宦官になることであった。」

 このような記述を読むと、中国が長い歴史のなかで培ってきたダイナミズムを感じる。そのダイナミズムは現代中国にも継承されているようにも思える。

 蛇足に近いが、この2冊には面白い共通点がある。著者の碩学たちは、終章にあたる部分で、それまでの記述をふまえたかたちで現代日本の世相批判のような記述をし、一書をしめくくっているのだ。

 『科挙』では、日本の大学入試偏重の弊害を指摘し、そこから終身雇用制の見直しを提言している。
 『宦官』では、現代の権力機構の中の人間は男性の形態をとどめつつも組織的人間となって非人間化され、あたかも宦官のようだと指摘し、巨大企業の管理機構において権力に直属して情報を独占する側近グループが存在することへの懸念を示している。

 この2冊が刊行されたのは1960年代だ。このような記述を終章に付加するのは、当時の新書のスタイルだったのかもしれない。50年近く経った現時点で読むと、この最後の数ページが浮いて見える。蛇足のようにも思える。しかし、当時の雰囲気をしのぶことができる愛嬌でもある。思いがけなくこのような記述に接することができるのは、古い新書を読むときの余禄とも言える。