科学はオカルトに勝てるのだろうか2010年06月03日

『信じぬ者は救われる』(香山リカ×菊池誠/かもがわ出版)、『科学と神秘のあいだ』(菊池誠/筑摩書房)
 「ニセ科学」批判の物理学者・菊池誠氏の『科学と神秘のあいだ』と、菊池誠氏と香山リカ氏の対談『信じぬ者は救われる』を読んだ。オカルトやニセ科学の問題点を批判的に取り上げた本だ。以前に読んだ香山リカ氏の『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』も似たテーマの本だった。これは、私が興味をもっているテーマでもある。

 私はオカルトや超能力を信じていないので、基本的に著者たちの考えに共感しながら読んだ。2冊とも比較的軽いタッチの本なので読みやすい。しかし、読みながら「科学が、オカルトやニセ科学に勝てるのだろうか。結局のところ、オカルトやニセ科学を信ずる人の根絶はおろか、減少することもないのではなかろうか」という気分になってきた。

 人類の歴史において科学技術が発展してきたことは事実だし、それにともない迷信が減少し無知蒙昧が啓発されてきたはずではある。しかし、人の精神のありようは文明の初期からさほど変化していないのかもしれない。迷信や無知蒙昧は形を変えて現代に生き延び、遠い未来までも生きながらえるような気がする。「あなたの前世が見えます」という江原啓之のような人物を信じる人は、残念ながら百年先にも千年先にもいそうに思える。それを「迷信」や「無知蒙昧」という言葉で表現するのは適切ではないかもしれないが。

 オウムを脱会させるチームが別のオカルトの様相になってきて「オカルトに勝つにはオカルトしかない」という話は、「科学」に象徴される合理主義の限界を表しているようでもある。
 科学者である菊池誠氏は「科学が絶対に教えてくれないことってあるじゃないですか」と述べ、「心のありかた」「いかに生きるか」「善とはなにか」「命の意味」などについて科学は答えないと指摘している。その通りである。

 科学に限界があるのは確かであっても、それがただちに科学の否定や科学を超えた「何か」を肯定することになるとは考えにくいと私は思う。しかし、そう思わない人も少なくないようだ。
 菊池誠氏はオカルトを信じるのもニセ科学を信じるのも「説明がほしい」という点では似たようなものだと指摘している。また、「科学と非科学のあいだというのはグラデーションになっていて、きちんとした線が引けるようなものじゃない」とも述べている。その通りだと思う。そこが、このテーマの面倒なところでもある。

 『科学と神秘のあいだ』の最後の方で、軽いエッセイの趣とは異なる話題に遭遇し、不意打ちを食らったような心地がした。「ルイセンコ説」の話である。かつて、スターリン時代のソ連の生物学者ルイセンコの「獲得形質は遺伝する」という説をめぐるイデオロギー論争が起こった。私も詳しいことは知らないが、私が学生時代の1960年代に接した科学論をめぐる話題などが記憶の底から甦ってきて、過去の亡霊に出会ったような気分になった。

向前一小歩、文明一大歩2010年06月19日

 先週、北京・桂林・上海を巡る中国旅行に行った。中国に行くのは初めてだった。予測はしていたが、北京・上海が東京をしのぐ大都市開発にまい進している様子に圧倒され、太陽が赤く見えるスモッグに暗然とした。

 それはさておき、私たち日本人が中国の街を歩くとき、あの不可思議な漢字の看板のせいで、他の異国の街とは全く異なる感慨を抱かざるを得ない。中国語を習得している人にとっては、漢字の看板も英語の看板も似たものかもしれない。しかし、中国語を知らない日本人にとって、ある程度読めてしまう漢字の看板は、分かりそうで分からない謎々のようなものだ。だから、中国の街を歩いていると、隔靴掻痒の夢の街をさまよっているような不思議な気分になってくる。

 初めての中国旅行で私が面白く思ったのは、多くの男子トイレに掲示されていた「向前一小歩、文明一大歩」という表記だ。中国に行ったことがある人にとっては何でもない表記かもしれないが、私には印象的だった。だから、場所柄もわきまえずに写真を撮ってしまった。

 この表記は、トイレを汚さないために一歩前に出ろという意味だろうとは容易に推測できる。それにしても、トイレで一歩前に出ることが「文明」の「大きな一歩」になるとは、何という大げさな表現だろうと思ってしまう。トイレで小便するときの小さな一歩が、まるで人類初の月着陸を果たしたアームストロング船長の一歩のようである。

 とは言っても、白髪三千丈式の大仰な表現ではなく、「文明」という言葉は中国と日本では意味が違うのだろうとは推測した。そこで、この標語をメモして、中国人ガイドに「文明」の意味を聞いてみた。ガイドの苦笑いをしながらの説明で、「文明」にマナーとか礼儀という意味があることが分かった。
 説明のあと、中国人ガイドは「あの表記を写真に撮る日本人がいるので、びっくりしました」と言った。私も写真を撮りましたとは言いそびれたが、自分が一般的日本人のワン・オブ・ゼムであることをあらためて認識させられることになった。

『科挙』と『宦官』---1960年代の新書を読む2010年06月26日

『科挙 --- 中国の試験地獄』(宮崎市定/中公新書)、『宦官 --- 側近政治の構造』(三田村泰助/中公新書)
 次の2冊の中公新書を読んだ。

  『科挙 --- 中国の試験地獄』(宮崎市定/中公新書)
  『宦官 --- 側近政治の構造』(三田村泰助/中公新書)

 2冊とも、かなり以前に購入したまま未読だった。先日、中国旅行をして、宦官が生息していた紫禁城(故宮)や科挙の試験場の跡などを見てきたのをきっかけに、本棚の奥に眠っていた本を探し出して読んだ。

 この2冊はどちらも初版は1963年、中公新書の初期に刊行され、その後も版を重ねているロングセラー新書だ。
 2冊とも碩学が専門分野のテーマを一般人に解説するという往時の典型的なスタイルの新書だ。近年流行のスカスカの新書に比べると歯ごたえがある(スカスカ新書にもそれなりの面白さと意義はあるとは思うが)。

 科挙と宦官はまったく別のテーマだが、この2冊を読んで中国の歴史の厚みを再認識した。両方ともはるか昔の古代に始まり、幾多の王朝を通じて長い期間存在し、清朝末期に廃止された。科挙が始まったのは約1400年前で、廃止されたのは1904年だ。宦官の始まりはもっと古く、中国文明のあけぼのの頃から存在し、1912年の清朝滅亡まで存続した。最後の宦官が亡くなったのは約10年前らしい(故宮見学のときにガイドに聞いた話)。三田村氏は「中国はまず四千年の宦官の歴史をもつことになる」と述べている。

 科挙は千数百年、宦官は四千年、その長い歴史を通じてさまざまな変化が生じている。それを新書1冊で概説するのが難しいことは容易に想像できる。その分、『科挙』も『宦官』もやや難しい解説本になっている。
 『科挙』は、この試験制度の解説が中心なので比較的読みやすかったが、『宦官』の内容の大半は、さしずめ数千年にわたる宮廷の抗争史のあんばいで、かなり多くの人名(帝、官僚、宦官など)が次々に登場する。高校で習った世界史を忘れかけている頭には少々負担だった。

 科挙といえば四書五経を丸暗記する前近代的な試験制度、というイメージもあったが、本書で認識をあらためた。
 科挙は貴族たちが要職を独占する貴族主義を廃するために始められたのだ。世襲や推薦ではなく多くの人が参加可能な試験によって役人を登用する制度は、確かに近代的である。こんな制度を、日本の大和時代、ヨーロッパでは中世が始まったばかりの頃から導入しているのだから、中国は先進的だったことになる。

 宮崎氏は「ヨーロッパにおける近世初期ブルジョワジーのような階級が、中国ではすでに宋代に成立したのである」と指摘している。その頃、中国はヨーロッパより約500年は先行していたことになる。
 と言っても、科挙を導入したことによって中国の制度が近代的に機能するようになったわけではなさそうだ。『宦官』に紹介されている数々のエピソードが示すような側近政治の攻防戦もくりかえされてきたようだ。
 
 科挙と宦官に関して、三田村氏が『宦官』において、次のように記述している。

 「唐代から宋代にかけて、中国社会は大きな時代の転換を経験した。唐代にあった階級的身分制度が大幅に撤廃され、個人の自由がいちじるしくのびてきた」「教養を身につけたものは、国家試験にさえ通れば、身分の制約をうけずに実力次第で大臣宰相になれたのである。だから、それに無縁な下層の庶民階級は、この時代の空気を敏感にみてとって、永遠の下積みからのがれるべく志をたてたのである。それが宦官になることであった。」

 このような記述を読むと、中国が長い歴史のなかで培ってきたダイナミズムを感じる。そのダイナミズムは現代中国にも継承されているようにも思える。

 蛇足に近いが、この2冊には面白い共通点がある。著者の碩学たちは、終章にあたる部分で、それまでの記述をふまえたかたちで現代日本の世相批判のような記述をし、一書をしめくくっているのだ。

 『科挙』では、日本の大学入試偏重の弊害を指摘し、そこから終身雇用制の見直しを提言している。
 『宦官』では、現代の権力機構の中の人間は男性の形態をとどめつつも組織的人間となって非人間化され、あたかも宦官のようだと指摘し、巨大企業の管理機構において権力に直属して情報を独占する側近グループが存在することへの懸念を示している。

 この2冊が刊行されたのは1960年代だ。このような記述を終章に付加するのは、当時の新書のスタイルだったのかもしれない。50年近く経った現時点で読むと、この最後の数ページが浮いて見える。蛇足のようにも思える。しかし、当時の雰囲気をしのぶことができる愛嬌でもある。思いがけなくこのような記述に接することができるのは、古い新書を読むときの余禄とも言える。